自分の話を延々とする人
記者の昔からの知りあいで、何の仕事をしても上昇気流に乗れない人がいる。決して能力がないわけではなく、怠惰でもない。だが、あることが欠けている。自分を客観視する能力だ。
仕事をするにしても、その人にとって大事なのは自己の利益。話をすれば自分主体の話題。その人のスタイルはいつでも「自分は」「自分が」だ。そのため周囲から見ると他人を思いやっていないように感じられてしまうのだ。実際、その人と一緒にいると、こちらの話は聞いてもらえず、自分の話だけ延々と聞かされる。結果、自然と距離を置くようになった。
人は誰でも子どものころには保護者に守られ、世間から優遇されて、「自分は世界の中心だ」と思いこむ。それが長じるにつれて、自分の人生の主人公は自分だと認識したうえで、他人も尊重するようになる。それが成長というものだ。このプロセスはとても大切で、幼少期に保護された記憶がない人ほど、いつまで経っても周囲に自分への注目や讃美を求めるといわれる。
つまり成長のひとつの指標は、「主観から客観へ」と変化できることにある。同じことが、100年前、学問の世界で次々と起こったのだという。
水平線から見えてくる船は帆柱から
この100年前の大変革について教えてくれたのが、早稲田大学エクステンションセンター中野校で開催されている那須政玄教授の「哲学―常識批判の基盤を形成するために」の第6回「人間と動物―動物は人間よりも劣っているのか―」だ。主観から客観へ。その大変革は、19世紀から20世紀初め、数学、物理学、心理学、そして生物学の分野で起こった。
「数学界ではそれまで主流だった『ユークリッド幾何学』とは異なる『ロバチェフスキー幾何学』や『リーマン幾何学』が生まれました。『ユークリッド幾何学』は、世界には無限に平面があるという前提で、平行線は交わらないとする学問です。しかし地球は丸い。水平線から見えてくる船は、船の全景ではなく、一番高い部分の帆柱から見えてきます。これこそ地球が丸い証拠です。もし真っ平なら、遠くに小さく見えるものが大きく見えてくるだけですから。つまり、今まで前提として考えていたことが覆ってしまった。平面ではない前提でものごとを考えなければいけないのでは、というところから、新しい幾何学が生まれました」(那須教授)
物理学界では、現代物理学が生まれた。
「ニュートンは、りんごの落ちるさまを見て万有引力を発見しましたが、その前提は『りんごを見ている人は静止している』ことです。でもアインシュタインは『りんごを見ている人も同じく動いている』と考えようとしました。それが相対性理論です」
チンパンジーにバナナを取らせる実験
心理学でもまた、変革が起こる。
「19世紀までは『人間には(特別な)心がある』という前提で考えられていました。東洋学者フリードリヒ・マックス・ミューラーをはじめとする知識人は『人は白い紙を見れば寒々しく、ピンクなら暖かく感じるものだ』と考えていたんです。しかし『ホントに心なんかあるの?』と言いだした学者グループが現れた。それがゲシュタルト心理学です。ゲシュタルトとは、日本語に訳しにくいのですが、ドイツ語で『イメージ』『形態』といった意味。
それまでは『動物と人間はレベルの違う生き物だから、動物実験は意味がない』と考えられていました。しかしゲシュタルト心理学の創始者の一人でドイツの心理学者ヴォルフガング・ケーラーは、動物実験の重要性を説き、チンパンジーに竿と箱を与え、紐で吊したバナナを取らせるなどの実験を行いました。動物も人間と同じように見え、同じように考えるかを検証しようとしたのですね。これが類人猿の最初の洞察実験です」
那須先生は続いて、「ルビンの壺」の例を挙げた。
「ルビンの壺」とはデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した図で、黒地に白い壺が描かれている。
「黒い部分に注目すると、向かい合った人の横顔が見え、白い部分に注目すると、壺(または杯)に見えます。黒い地と白い図の部分は、相対的な関係にあり、どちらを背景に見るかで認識が変わってくる。つまり『心』そのものがあるとは言えない、すべてのものは、その背景によって認識が変わってくるという考え方が浸透してきました」
それまでの西洋の学問は、自分がまっすぐに見えるから平面があると信じていたし、動いていると思わなければ静止していると疑わなかった。これは自分主体の考え方だ。それを改め、客観的視点を取り入れるようになったことが、大変革の源だったという。
そして、ドイツの生物学者であり哲学者でもあるヤーコプ・フォン・ユクスキュル(1864-1944)が「環境世界」という考え方を導入する。
「環境世界とは、動物にはそれぞれ固有のものの捉え方・見え方があるのだから、その動物になりきって世界がどう見えるかを考えようというものです。それまで人間は動物をひとつの尺度で測って見ていたのですが、20世紀初頭、この考え方が大きく改められました。じつはこうした考え方こそ、現代の発達障害と呼ばれる人たちを理解するときに、とても大切な考え方なのです」
何年も先のカレンダーの曜日を言い当てる人
「同じ人間でも、人によって見え方や聞こえ方が異なる場合があります。発達障害と呼ばれる人たちはその感覚が鋭敏なのです。日光はまぶしすぎるし、スーパーやカフェはうるさすぎる。こう感じる人たちが、いくら先生から『落ちつきなさい』と言われても、本人にはどうしようもない。こういう時に、その人の中に入って、その人がどう感じるのか、どう見えるのかを考えることが重要です。
現代でも一律に『知能検査』のようなもので数値を測って、数値がいくつなければいけないなどと偏見を持って決めてかかる傾向はあります。発達障害と呼ばれる人たちには、何年も先のカレンダーの曜日を言い当てたり、写真を撮るように教科書を暗記することができる能力を持った人たちがいます。ひとつの基準で判断する時代は20世紀初頭に終わったにもかかわらず、偏見を持たれているのです」
100年前、すでに学問の多くのジャンルでは、主観から客観へと意識が変わっていった。なのに私たちは、あまりに主観にとらわれすぎていないか。もう少し柔軟に考えて、他者の立場に立って物事を考えようという哲学者ユクスキュルの考え方は、現代にこそ必要だろう。発達障害が15人に1人という大きな割合で存在するということは、彼らの能力が、淘汰されるべき欠点ではなく、必要不可欠なものだという説もあるくらいだ。
この講座は、ややもすると難解になりがちな「哲学」を、わたしたちの身の回りの事象に置き換え、解説するものだった。哲学は、本のみで勉強するより、講座というライブの場で教えてもらえば、よく理解でき楽しめる学問なのかもしれない。
(続く)
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取材講座:「哲学 ― 常識批判の基盤を形成するために ― 」の第6回「人間と動物―動物は人間よりも劣っているのか―」(早稲田大学エクステンションセンター中野校)
文/和久井香菜子 写真/和久井香菜子(講座写真)、(c)Photosebia、(c)Hawkeye、(c)mykeyruna / fotolia
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