本郷先生によれば、忠興という人は、表面的には、ケチのつけようのない人物だったという。当時の豊臣政権のもとにいた武将で、忠興と同年輩の武将は、だいたいが叩き上げだったから、地頭(じあたま)はよかったかもしれないが、イケメンで教養も兼ね備えた忠興と比べると、どうしても見劣りしたという。何せ、忠興の父親は、将軍足利義輝と足利義昭に仕え、和歌などの教養も高かった細川藤孝(幽斎)なのだから。
しかし、そんな長所も帳消しになるくらい、忠興の異常性はきわだっていた。とくに妻に対する入れ込みようはハンパではなく、そのストーカー気質はまさに、戦国一と言えるほどだったという。
生首にも動じないガラシャ、しつこい忠興
忠興のガラシャへの執着ぶりは凄まじく、さまざまなエピソードが残っている。ある日、植木屋さんとガラシャが話しているのを見た忠興は、嫉妬にかられて思わず植木屋を斬り殺した。
すると、その返り血を浴びた衣装をガラシャがそのまま身につけ続けるものだから、根をあげた忠興は謝罪した。また、二人で食事をとっているとき、椀に髪の毛が混入しているのを発見した忠興は激昂する。しかもガラシャが料理人をかばったものだから、ますます怒りに火がついた忠興は、その料理人を斬り殺して、生首をガラシャの目の前に置いた。
「あの野郎! ガラシャに手を出しやがったな!って、首をいきなり斬って、さあ、お前のお気に入りのやつだぞって言って、ガラシャの目の前に生首をドンと置いて見せたんだから、忠興のキレっぷりといったらないね。
ガラシャもガラシャで、キャー! とか叫べばかわいらしいんだろうけど、悲鳴をあげるどころか、じいっとその首の前に座ってたらしい。さすがに、しばらくして忠興が、おまえ、どういう神経してんの? って聞いたら、蛇の妻はやっぱり蛇ですからとか何とか答えたっていう。
そのわりに子どもボコボコ作ってて、夫婦ってものはこればっかりはわかんないものだなと思うね。まあとにかく、ガラシャだって、「たま」っていう名前どおり、相当なタマだったって話です」