経済的にも困らず孤独でもないのに
かつて高齢者は尊敬される存在だった。なぜなら長生きすることがまれだったから。そこから出て来た言葉が古稀(こき)。70才を寿いで言う言葉だが、これは「古来稀なり」から来たものだ。
しかし今や女性の半分近く、男性の4分の1が90才まで生きる時代。平成29年度版高齢社会白書によれば、総人口に占める65才以上の割合は27.3%。これがさらに2065年には38.4%に達するというのだから、とてつもない勢いで高齢者が増えていくのは確実だ。
それに伴って増加しているのが老人性うつ。なかでも最近増加しているのは、こういうケースだという。
・派手な遊びはできないけれども衣食住に困ることはなく、たまには贅沢もできる。
・子供や孫もいて、立派に育っている。
・話相手の友人もいないわけではなくて、まあまあいる。
・傍からみると悠々自適な余生なのに、毎日のように死にたい、死にたいと電話をかけてきたりメールを送ってきたりする。
・周りの人たちが励ましても全然聞かない。
家族や周囲がどんなに安心させるようなことを言っても耳に入らない。会いに行ってもやはり「死にたい」という。
杉山先生は言う。
「うつ状態の人は、ネガティブなことを考えたくて考えているわけではないのです。脳のモードがそうなってしまったのだと理解してください。いったん、うつ病モードに定着してしまうと、なかなか脳のモードが切り替わりません。前向きな助言も耳に入らないのです」
うつを引き起こすのは脳のあの場所
うつに関係するのが、脳の各部位だ。
まず内側前頭前野。ここは自己に対する社会的な評価をするところだという。ここがネガティブな亢進をして、自分には価値がないということを発信するようになると、うつになる。
背外側前頭前野。ここは希望を見出したり感情を抑制したりする機能を持つ部位だ。人間はある程度の時間がたつと、気分が切り替わるようになっている。落ち込んでも別のことを考えると気持ちが上向いてきたり、ハイテンションだったのが落ち着いたりするのはそのためだ。しかし、ここの機能が停滞すると、希望を抱くことができなくなり、いやな感情がいつまでも残ってしまう。
大脳辺縁系。ここは気分を作り出している。うつになるとここがずっと亢進し、嫌な気分が続いてしまう。
海馬体。ここは記憶を作るところだ。ひと昔前には脳細胞は新生しないといわれていたが、海馬体では新しい細胞が作られ続けているということが常識となっている。だから私たちは何才になっても新しいことを覚えられるのだ。しかしうつ状態が続くと海馬体の細胞が減ってくる。そうなると、新しいことを覚えたり、興味を持ったりということがなくなる。
このため、うつからの回復の指標として、海馬体の変化を見ようとする研究もあるという。海馬体の量でどれくらい回復しているか診断するのである。
親しい人の死からプロ野球のスポンサー変更まで
高齢者は人生経験が豊富なのに、なぜうつになるのか。それには、高齢者になると喪失体験が増えてくるからだという。
「人生は喪失の連続です。子供の成長はうれしいけれど、子供の巣立ちは寂しい。長く務めた会社も辞めてしまえば同僚ともめったに合わなくなる。親しい人たちや両親・兄弟や親戚との死別も増えていく。友人が亡くなると自分の一部がもがれたように感じる人も少なくないのです。
そして忘れてはならないのは、環境の変化です。国際関係も変わっていくし、国内の大企業が傾いたりといった大きなところから、銀行の名称やプロ野球のスポンサーが変わるなどの身近なものまで、慣れしたしんだものがどんどん変わっていきます。
そうしたちょっとした喪失体験が、本人も周囲も気づかないうちに積み重なっていきます。高齢者になるとは、そういうことなのです」(杉山先生)
ではどのようにしたらうつ状態から抜け出せるのか。これについては「老人性うつ「死にたい」ともらす親に子はどうしたら?」で。
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すぎやま・たかし 神奈川大学人間科学部教授、心理学者
1970年山口県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科にて心理学を専攻。医療や障害児教育、犯罪者矯正、職場のメンタルヘルス、子育て支援など、さまざまな心理系の職域を経験、脳科学と心理学を融合させた次世代型の心理療法の開発・研究に取り組んでいる。臨床心理士、1級キャリア・コンサルティング技能士。『ウルトラ不倫学』『「どうせうまくいかない」が「なんだかうまくいきそう」に変わる本』等著書多数。
◆取材講座:メンタルヘルス・マネジメント講座「大人の人間関係論 part2」(神奈川大学みなとみらいエクステンションセンター/KUポートスクエア)
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