「女帝」を「じょてい」と読むのは間違い
国士舘大学で開催された生涯学習センター公開講座「皇位継承とさまざまな儀式」では、国士舘大学教授の藤森馨先生により、歴代の女帝にまつわる歴史や皇位継承についての解説が行われた。
「現代では『女帝』についての議論が多数行われていますが、正しい知識はあまり浸透していないように思います」と藤森先生。
まず、その筆頭に挙げられるものが、「読み方」だ。
「昨今、テレビなどでも『女帝』『女王』は『じょてい』『じょおう』などと呼びますが、実はこれは間違い。正しくは『にょてい』『にょおう』と読みます。3月3日の雛祭りでお内裏様とお雛様の下の段に、3人の女官がいますよね。あれを『にょかん』と呼ぶように、『女』は『じょ』ではなく、『にょ』と読むのが本来正しい呼び方です」
過去の女帝たちは、皇統を守るために即位した
飛鳥時代に誕生した女帝・推古天皇(554年に即位)など、これまでの日本の歴史を振り返っても、女性の天皇は存在してきた。「推古天皇や持統天皇(703年に即位)など、過去に女性が天皇に即位したケースもあるのだから、女性の天皇を認めるべきでは」との声もあるが、反対の声も多い。なぜ「女性天皇」の誕生に待ったがかかるのか。
「過去に女性が天皇になっても、崩御するまで務めることはまれ。つまり、一時的に即位するケースが多かったんです。たとえば、候補となる男性皇族がまだ幼くて皇位につくことができなかった場合などに、皇后が一時的に即位し、天皇の座を守る。そのように、自分の息子に皇位を継がせるまでの、空白の期間を埋めるために女性天皇が存在したのでは……という研究が発表されています」
女帝として有名な持統天皇も、天智天皇の娘(内親王)として生まれた後、叔父の大海人皇子(のちの天武天皇)と結婚。天武天皇の崩御後、その子供である草壁皇子に後を継がせようとしたものの、まだ皇子が年齢が若かったことなどを理由に、草壁皇子を皇太子にした後、自らが天皇として即位する。
女性が天皇に即位している過去の例は、皇統を守るためだったと言える。
かつて女帝は「親王、もしくは天皇から4世以内の皇族」としか結婚できなかった
だが、仮に女帝が誕生した場合、困るのがその結婚相手探しだと藤森先生は指摘する。
「平安時代中期くらいまでは、内親王は生涯独身を貫くケースも多かったのです。それは『継嗣令(けいしりょう)』で、内親王の結婚相手は、『天皇、もしくは天皇から4世以内の皇族に限る』と定められていたからです」
内親王が皇族だけでなく、大臣や良家などの臣下との結婚(降嫁)も認められるようになったのは、桓武(かんむ)天皇の時代に入ってから。だが、そのために、藤原家をはじめ、天皇家の外戚として権力をふるう一族が登場するなど、政治に多大な影響を与えるケースもあった。
近代以降、戦前までは、内親王と非皇族の婚姻はなかった。昭和22年に制定された現在の『皇室典範』では、第12条に「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあるように、内親王が一般男性と結婚することで、皇籍離脱するように定められている。そのため、昭和天皇以降の内親王は一般男性と結婚することで、すべて皇籍から外れている。
この結婚に伴う女性皇族の皇室離脱と深刻な男性皇族不足から、女性宮家の創設についても検討の対象になっている。女性宮家の議論はまだ始まったばかりだが、女帝の場合同様、結婚相手探しの問題についても取り組む必要があるという。
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取材講座:「皇位継承とさまざまな儀式」(国士舘大学生涯学習センター世田谷キャンパス)
文・写真/藤村はるな