大震災から住民主体の町づくりを成功させた奇跡の町

もうすぐ東日本大震災から丸7年後の3・11を迎える。立命館大学では災害復興支援室を置き、災害の経験を未来に伝えていく活動を行っている。昨年の同大学土曜講座では東日本大震災被災後、高台移転を早期に実現させた奇跡の町が紹介された。それは津波の大きな被害を受けた宮城県石巻市北上町。その移転復興に力を尽くした一人、仙台市の建築家・手島浩之氏(都市建築設計集団/UAPPの代表/(公社)日本建築家協会宮城復興支援委員長)が話した、そのプロセスとは……。

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講演する手島浩之氏

もうすぐ東日本大震災から丸7年後の3・11を迎える。立命館大学では災害復興支援室を置き、災害の経験を未来に伝えていく活動を行っている。昨年の同大学土曜講座では東日本大震災被災後、高台移転を早期に実現させた奇跡の町が紹介された。それは津波の大きな被害を受けた宮城県石巻市北上町。その移転復興に力を尽くした一人、仙台市の建築家・手島浩之氏(都市建築設計集団/UAPPの代表/(公社)日本建築家協会宮城復興支援委員長)が話した、そのプロセスとは……。

家屋の全壊・全流失546棟の町が

仙台で建築設計事務所を営む手島氏が、(公社)日本建築家協会宮城復興支援委員長として石巻市北上町のまちづくりに石巻市北上町と関わることになったのは、2011年夏頃のことだ。

北上町は養殖漁業が盛んな町で「十三浜(じゅうさんはま)わかめ」が全国的に有名だ。震災時の世帯数は約1150世帯、居住者は約3900人。震災とその後の津波で、死者211人、行方不明者85人、家屋の全壊・全流失546棟と、甚大な被害を受けた。

そんな北上町の住民が震災後のまちづくりで望んだのは「高台移転」だった。移転に向けて、各集落の住民・行政・さまざまな立場の支援者たちが一緒になって「まちづくり」が始まった。

全戸を対象にヒアリングを

北上町の高台移転がうまくいった大きな理由のひとつに、徹底したヒアリングに基づいて、早い段階から住民合意を形成できたことが挙げられる。

2011年7月にはいくつかの集落について高台移転案を試験的に立案、10月からは被災住民全戸を対象に、北上総合支所を中心に、支援者たちと集落ごとの説明会とあわせて個別ヒアリングを実施し、徹底して住民の声に耳を傾けた。その結果、震災から一年も経たない2012年2月からは、集落ごとに高台移転の合意形成に着手することができたのである。

これらワークショップ(住民との話し合い)やヒアリングは、とても時間がかかる。しかし「まちづくり」という住民全員がかかわる大事について合意を形成するには、絶対に欠かせないことである。

この頃、住民たち皆が話し合った意見を市長に答申できる枠組みをつくろうとの声があがり、その結果、2012年6月には「北上まちづくり委員会」が発足した。「まちづくり」を通して、行政に任せっきりではなく、住民が自分たちの住む町は自分たちで決めるという意識が高まったのである。

「お互いに面倒をみあうから……」と6人の高齢独身女性が

もちろん、高台移転はすんなり決まったわけではない。

北上町の災害公営住宅入居希望者は単身の高齢者がかなり多く、孤立や孤独死の心配も高かった。逆に、広い庭や、3台や4台も停められる駐車場は必要ないという。熟慮を重ねた末、「長屋型の見守り重視タイプ」の公営住宅を作ることになったという。

なかには、仮設住宅でお互いに助け合った6人の高齢独身女性が、「お互いに面倒をみあうので一緒に入居させて」とグループ入居の要望を持ち込むケースもあったという。

 

多数決は勝者と敗者をつくる

語られるエピソードはどれも、住民の顔が浮かぶようなものばかりだったが、とくに心に残った2つのエピソードを紹介しよう。

ひとつは、高台に移転後の、自力再建住宅と災害公営住宅の区割りを決めていくときのプロセス。住民ワークショップで、候補として挙げられた案は3つあったが、どれも一長一短あって決まりそうにない。

「その案だと山側が暗くなるから心配」
「これだと完全に分断されているようだ」などなど。

なかなか合意案がまとまりそうにないなか、4案目として専門家が良いと思う案をつくってほしいの声を受け、改めて持って行ってこれらの案を説明していると、途中からザワザワしてきて、「これだな…」「うん、そうだな…」などと、言葉にならないつぶやきが聞こえてきて、説明を終えるときには、決定という流れになったという。

この町は知っていたんですよ、多数決を取ってしまうと勝者と敗者ができてしまうということを。長く集落運営をしているからこその知恵だったんです」(手島氏)

もう一つは、「誰がどこに住むか」という問題。住民にとっては大問題で、この合意形成に失敗した他地域では大量の離反者が出たという。手島氏たち建築家支援チームは1か月悩んだ末、たった3つの質問に答えるアンケートをとることにした。

「そこで決まったとすれば大いに満足できそうな宅地はいくつありますか」
「そこで決まったらある程度満足できそうな宅地はありますか」
「絶対ここはいやだという宅地はありますか」
このアンケートのポイントは、該当する宅地を幾つもあげてもらい、それに第一希望や第二希望をつけなかったところだという。

全員が、『ある程度満足』以上のところに入れるように調整しました。でも、『大いに満足』のところに入った人は数件しかありませんでした。だから、もし自分がそうだとしても絶対言わないでくださいと言いました

手島先生は、「ある程度みんな満足したからよかったね」というシナリオを描いていたそうだ。ところが蓋を開けてみると、「これは奇跡でねーでか!」と住民が言うほどみんなが大満足の結果に。誰一人脱落することなく、高台移転したのだ。

住民の思いとサポートするプロ集団

北上町は震災や津波で家を奪われるという深刻な事態に陥った。しかし、手島先生が語ったのは、失われた住環境をもう一度作り上げようとする人々の熱い思いだ。しかもそれをなしとげたのは、高齢者の人々だった。

そこには、皆で再び一緒に暮らしたい、という共通した意志があり、それをサポートするプロ集団(今回の手島氏のような)がいたことが大きい。

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今年2018年3月3日土曜日にも、立命館大学で災害をテーマにした土曜講座が開かれる。立命館大学総合心理学部教授のサトウタツヤ先生が、「個人、家族、地域における「一貫性の感覚」の重要性 健康生成論をベースに被災地の復興の人生径路を考えてみる」という講座を開催する。聴講は無料で申し込みも不要だ。

◆取材講座:「東北の復興住宅・まちづくりの現在~復興の現場を通して見えてきた「住民主体の地域再生」と専門家の役割~」(立命館大学土曜講座)

文/まなナビ編集室

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