「日本人は宗教を持たない人が多い」は本当か
外国人と親しくなると、必ず聞かれるのが日本人の宗教観についてだ。
「宗教を持っていないといいながら、どうしてみんな神社仏閣に行くのか」
「いろいろな宗教を同時に何となく受け入れていることが信じられない」
「教会で結婚し、子供が生まれると神社に行き、葬式は仏教でして矛盾しないのか」
「宗教を持っていないという人が多いのに、なぜあれほど治安がよく街がきれいなのか」
多くの日本人が、自分は宗教を持っていないと考えているのに対し、その行動様式からは信仰心があるように見えるという。
これについて、東洋大学の竹村先生は「日本人は『宗教的ではない』と言われがちですが、私自身は必ずしもそうは思いません」と語る。
「イスラム教徒のように厳密な戒律も持たず、キリスト教徒のように定期的に教会に行く習慣もない。一見、大多数の日本人は、ほぼ宗教とは無関係な生活を送っているように見えます。たしかに、特定の信仰を持たないという意味では日本人は宗教的ではないでしょう。
しかしそれは、あくまでキリスト教における「神」のような絶対者への信仰を持たないということ。その代わりに、日本人の生活には無意識のうちに宗教心、とくに仏教の教えが溶け込んでいます。たとえば、『おかげさま』などの言葉もそのひとつです」(竹村先生。以下「 」内同)
「おかげさま」という言葉は仏教から生まれた
私たちが日常なにげなく使う「おかげさま」。
「おかげさま」は、本来は仏様による助けやご加護を感謝し、仏様や周囲の人に自分が「生かされていること」を感謝する言葉から生まれたもの。これ以外にも、仏教で使われる言葉は私たちの日常に山ほどある。
私たちの日常の暮らしの中には、仏教の見方や考え方が組み込まれています。仏教の根本概念を理解するのに大切なものが「無我」と「縁起」ですが、私たちは自然に「無我の境地で」とか、「人との縁を大切にして」などと使ってきました。
また日本人は、大自然とか大きないのちとか、そういう自分を越えた存在のなかで自分が生かされていると感じています。「おかげさま」や「縁」といった言葉には、そうした感覚が息づいています。そういった感覚が生まれたことには、日本に四季が明確にあることも大きいと思います」
四季の移り変わりに心動かされる日本人だからこそ
「うっとうしい梅雨の季節にも、私たちは雨に濡れて咲く紫陽花の姿にほっとしたりします。梅雨があるからこそ紫陽花はますます美しい。また、美しい紫陽花を見ると梅雨も楽しく思える。そうした関係性の中に、私たちはいのちを見出したりします。しかも季節は春夏秋冬と移りゆき、人は去り行く季節を名残惜しみ、次に来る季節を待ち望む。そうした気持ちを抱くことの奥には、大自然のいのちに育まれている、抱かれているという感覚があるのではないかと思うのです。
この関係主義的世界観こそ、仏教が持っているものです。それゆえに、日本人は仏教を自然に受け入れてきたし、他の宗教についても寛容なのではないでしょうか。その意味で、私は日本人はけっして非宗教的ではないと思っています」
仏教を知れば日本文化がわかる
仏教はまた、日本文化のあらゆる側面に影響を与えてきた。文学、美術、茶道や華道、武道、建築や庭園、書道、料理と、仏教は文化・芸術から生活に至るまで、多くの物事の基盤となってきた。仏教を学ぶことで、日本文化がより深く理解できると、竹村先生はいう。
「『仏教入門』~日本人の心に脈々と生きる仏教とは何か~」は全6回。すでに第1回「釈尊の教え」、第2回「初期仏教の思想」は終了したが、この9月からはいよいよ大乗仏教に入っていく。
9月23日には第3回「大乗経典の真意」、11月25日には第4回「唯識の世界観」、来年1月27日には第5回「華厳の世界観」、来年3月24日には第6回「密教の曼荼羅思想」が予定されている。
(続く)
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約2400文字で分かる仏教の基本 醍醐寺の講座より
取材・文・写真/藤村はるな