絵巻は絵のみにあらず
『源氏物語絵巻』は完全な形では残っていない。まとまったものとしては名古屋市の徳川美術館に43面、東京・世田谷区の五島美術館に13面が所蔵されており、ほかにいくつか断簡がある。しかしその1面1面に表された抑制された所作や巧みな構図で、紫式部が描いた登場人物たちの懊悩や密かな喜びまでもがそこに存在するかのように思われてくる。
まずは絵巻の基本的な知識から。
絵巻というのは絵だけではない。詞書(ことばがき)という文章部分があってこそ「絵巻」なのである。『源氏物語絵巻』も、光源氏をめぐる濃厚な恋模様が料紙と呼ばれる装飾された紙の上に流麗な仮名文字で書かれている。つまり、「絵巻」とは、詞書と絵と料紙がセットになった芸術なのだ。
吹き抜け屋台で物語世界をのぞき見
『源氏物語絵巻』の構図の最大の特色は「吹抜屋台(ふきぬけやたい)」だろう。屋内の様子を斜め上の天井裏から覗き見るように構成されたその構図は、見る者を物語世界に引き込み、まるで物語の一員になったかのような臨場感を抱かせる。
几帳の前と後ろ、御簾の内と外、柱の陰……。調度を巧みに使いながら、物語の人間関係を象徴するかのように配置し、それらすべてが一目で俯瞰(ふかん)できる。それは、この重厚長大な物語を紡いだ紫式部の視線そのものとも言えそうだ。
笑っても泣いても引目鉤鼻
人物の顔の描き方は、目は一線、鼻は「く」の字の「引目鉤鼻(ひきめかきばな)」。すっと引かれた線のわずかな太い細いだけで登場人物の喜びや悲しみが表現される。
表情をあからさまに見せなくとも、考え抜かれた構図や巧みな人物配置が、引目鉤鼻の奥にある喜怒哀楽や葛藤を浮かび上がらせてくれる。
美は細部に宿る
ところでこの『源氏物語絵巻』、どれくらいのサイズなのだろうか。それがよくわかるのが、上に写真を掲載した『週刊ニッポンの国宝100』(小学館刊)第9号の「国宝原寸美術館」ページだ。
『源氏物語絵巻』はタテ21.9センチと、ほぼA5のタテ(21センチ)と同じ。A5サイズの書籍を想像すればよい。こんなに小さかったの?と思うくらいの大きさだ。このコンパクトな空間に、隅々まで非常に細かく、物語の主題と伏線が書き込まれている。
上に掲載した場面は、徳川美術館所蔵の「柏木(二)」。光源氏の正室である女三宮(おんなさんのみや)と密通した柏木(かしわぎ)が、自責の念から病に臥し、そこを光源氏の長男であり柏木の親友でもある夕霧が見舞うシーンである。右奥の屏風と襖(ふすま)にはやまと絵が描かれ、さらにその右奥に置かれた朱塗りの経机(きょうづくえ)には置かれているのは『法華経』。柏木の病気平癒の加持祈祷(かじきとう)のためのものである。
柏木が臥している左側に垂れ下がる壁代(かべしろ=目隠しの帳)には小桜文があるが、これは、2人の密通のきっかけとなった蹴鞠の場面を暗示している。柏木は桜の木のもとで蹴鞠(けまり)に興じ、それを御簾越しに隠れて見ていた女三宮も桜襲(さくらがさね)の装束を身につけていた。
意外なほど小さい『源氏物語絵巻』の中に、作者は『源氏物語』の世界観を封じ込めたのだ。
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文/まなナビ編集室 写真協力/小学館