小角にかかれば、神様さえ……
さて、『日本霊異記』には、伊豆への島流しにあった役小角のその後が書かれている。道照法師(どうじょうほうし・ちなみに弟子は行基。そして師匠は玄奘三蔵)が唐に渡った際、「五百虎の請を受けて」新羅に至り、その山の中で法花経を講じた時、虎たちの中に人間がいたというのだ。 その人物は倭語(わご)で問いかけてきたため、道照法師が「誰だ」と聞いたところ、それが役小角だった。法師は「これは我が国の聖人だ」と思い、高座から下りて役小角と会うことになった。そして、伊豆への島流しの原因となった「謀反を起こそうとしている」という話を吹聴した一言主(ひとことぬし)の大神は、「役行者(注:役小角の別名)に呪縛せられて、今に至るまで解脱せず」となった。
つまり、神様を呪縛してしまった、ということ……。ちなみに、一言主の大神とは、『古事記』に「葛城の一言主之大神」とも書かれているが、一言の願いであれば何でも聞き届ける神とされている。葛城山麓の奈良県御所市にある葛城一言主神社が全国の一言主神社の総本山。金先生の説明によれば、『日本霊異記』は仏教的説話集であり、いわば仏教が主役であるため、神道が脇役になっている。この話にもそんな影響が出ているのかもしれないとのことだった。
ここで不思議なのは、唐突に「新羅」という地名が出てきていること。その地の山中で、道照法師が役小角に出会っているのだ。なぜ新羅なのか、そして、そこで役小角の名前が「役行者」と変わっていることもよくわかっていない。新羅の山中で虎とともに役小角がいた、という記述からは、役行者がもっとも古く山ごもりを始めたということを指すのか。その地が新羅であったことは、新羅の山岳信仰と関係があるのかなど、金先生の興味もそこにあるようだった。