仏教を理解するために、仏教全体の見取り図を
「『仏教入門』~日本人の心に脈々と生きる仏教とは何か~」は全6回。第1回「釈尊の教え」、第2回「初期仏教の思想」は終了したが、この9月からはいよいよ大乗仏教に入っていく。
第3回「大乗経典の真意」、第4回「唯識の世界観」、第5回「華厳の世界観」、第6回「密教の曼荼羅思想」が予定されている。このテーマを選んだ意義について、竹村先生はこう語る。
「仏教は私たちにとってとても身近な存在です。しかし仏教思想は難しいと思われているのも事実です。その理由のひとつに、仏教の歴史や発展の流れがわからないことがあると思います。そこでこの講座では、仏教思想の基本の理解を深めていただくため、広範な仏教思想の中から、釈尊の思想、部派仏教の思想、大乗仏教の思想、密教の思想などを扱いながら、仏教全体の大きな見取り図を描こうと思い立ちました。
9月からは第3回「大乗経典の真意」に入りますが、日本の仏教はやはり大乗仏教、そして密教。こうした非常に高度な仏教が日本に流れ込んでいます。そこにはどんな歴史があったのかを、まず知っていただきたい。また、仏教は非常に高度な哲学を持っています。たとえば唯識、華厳、密教。このような深い世界があるのだということも、ぜひお伝えしたいと思っています」
そこで、その予習として、5分でわかる仏教の歴史を教えていただいた。
大乗仏教が日本に伝わる
仏教は紀元前4~5世紀にインドで誕生した。その開祖は釈尊(紀元前463-紀元前383年)である。釈尊の没後、教団は多くの部派に分かれ(部派仏教)、閉鎖的で高踏的なものとなっていった。
この動きに対して西暦紀元前後に生まれたのが、大乗仏教だ。大乗仏教が目指したのは、もっと社会や他者へ関わり、悩み苦しむ人を救おうとするもの。こうした大乗仏教に対して、それまでの部派仏教を小乗仏教と呼ぶようになる。
この大乗仏教が6世紀頃、日本に伝わる。仏教に深く帰依した聖徳太子はその普及に力を注いだ。その後、歴代の天皇も熱心に仏教を信奉し、奈良時代の741年、聖武天皇は東大寺を総国分寺とする国分寺制度の詔勅を発する。
法相宗の興福寺・薬師寺、華厳宗の東大寺、律宗の唐招提寺
奈良時代に栄えたのは、のちに南都六宗(なんとりくしゅう)と呼ばれる三論宗(さんろんしゅう)、成実宗(じょうじつしゅう)、法相宗(ほっそうしゅう)、倶舎宗(くしゃしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう)である。この中で今も残っているのは、法相宗、華厳宗、律宗だ。
法相宗は唯識(ゆいしき)思想を研究する宗派で、玄奘三蔵(げんじょうさんじょう)が中国に伝えたものが日本に伝来したもので、日本では興福寺や薬師寺がその中心である。
華厳宗は『華厳経』を研究する宗派で、日本では東大寺が中心であり、東大寺の大仏は『華厳経』の教主・廬舎那仏(るしゃなぶつ)をかたどったものだ。
律宗は唐から来日した鑑真(がんじん)が伝えたもので、鑑真が開いた唐招提寺が中心である。ただし戒律はどの宗派の者も学ばなければならないものであるため、唐招提寺はすべての宗の僧に開かれた寺院だった。
天台宗の比叡山延暦寺、真言宗の東寺・高野山金剛峰寺
さて、インドでは7世紀頃、密教という新しい仏教が生まれる。密教とは何かはとても難しい問題だが、密教自身の説明によれば、お釈迦様(釈尊)を越える根本的な仏(大日如来)の説いた思想が密教だとする。究極の真理を語る高度な仏教といえる。
平安時代には大きな2つの宗派が誕生した。最澄(767-822)の天台宗と、空海(774-835)の真言宗であるが、天台宗も密教を大きく取り入れていった。
天台宗の中心は比叡山延暦寺で、中国で成立した天台教学に禅・密教・律を包含したものだ。
真言宗の中心は教王護国寺(東寺)と高野山金剛峰寺で、空海が長安に渡って恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から学んだものが基盤となっており、即身成仏を説く。
浄土思想、末法思想の伝来
平安時代も末期に近づくと、中国から「称名念仏」を中心とする浄土思想が盛んとなる。天台浄土教の流れに登場した源信(942-1017)は、後に日本人の浄土観に影響を与える『往生要集』を著した。
戦乱・飢饉が相次いだ平安時代末には末法思想が台頭し、それは新たな仏教が生まれる土壌となった。
浄土宗、浄土真宗が生まれる
鎌倉幕府が発足した頃、民衆の救いを求める動きの中から現れたのが、法然(1133-1212)の浄土宗である。「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽往生がかなうと説く、その専修念仏の教えは瞬く間に広がった。総本山は知恩院である。
法然の弟子の親鸞(1173-1262)は、法然の教えこそが浄土の真宗だと説いた。親鸞の没後、多くの弟子の伝道活動によって広まった思想が浄土真宗となった。その後、蓮如の活動により本願寺が中心となっていくが、のちにその勢力を恐れた徳川家康により教団は二分され、いわゆる西本願寺・東本願寺が成立することとなる。また、浄土宗の流れから時宗の一遍も現れた。
禅宗が定着、そして日蓮宗が生まれた
鎌倉時代の仏教界にはもうひとつ、大きな動きが生まれた。宋(中国)で流行した禅が日本に伝わったのである。
栄西(1141-1215)が宋に渡って臨済宗の禅を持ち帰り、建仁寺(京都)を建立した。また、宋からは蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や無学祖元(むがくそげん)が来日し、鎌倉に建長寺、円覚寺が建立された。
一方、道元(1200-1253)も宋に渡って曹洞宗の禅を日本に持ち帰って永平寺(福井)を開山した。永平寺と總持寺(横浜)が大本山である。
また、天台宗に基づいた新たな民衆のための仏教として、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることで救われると説いたのが、日蓮(1222-1282)を宗祖とする日蓮宗である。総本山は身延山久遠寺(山梨)である。
浄土宗から日蓮宗までを鎌倉新仏教と呼ぶ。
以上、仏教の伝来から鎌倉新仏教までを概観したが、竹村学長によれば、奈良時代の仏教は「学問仏教」、平安時代の仏教は「学問と実践の仏教」、そして鎌倉時代の仏教は「実践の仏教」と見ることができるという。
仏教思想の奥にあるのは、「いまここにある私とは何か」という自己への探求だ。その思想と哲学を学ぶことは、自分とは何かを考えることにもなると、竹村学長は語る。
以上ザッと説明したが、日本の仏教の流れが頭に入っただろうか。ではこのインタビューの本題である仏教の思想について、竹村先生に次回から語っていただく。
(続く)
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取材・文・写真/まなナビ編集室