19世紀は綿花・石炭・鉄道、20世紀は電気・石油・自動車
そして第2のグローバリゼーションは19世紀に起こったという。そう、イギリスの産業革命の結果もたされたものだった。
「第2のグローバリゼーションは、産業革命を契機に起こったヨーロッパ先進国の工業化です。先進国は生産と販売のネットワークを拡大するため、アジアやアフリカの植民地化を競って推し進めました。この植民地争奪戦争は19世紀末からピークに達しました」
そして、20世紀初頭、世界経済を牽引する新興産業が登場した。自動車産業や、電気・石油などのエネルギー産業などがその中心である。
「本格的なグローバリゼーションの波は1910年代に到達しますが、それは第3のグローバリゼーションと呼ぶことができるでしょう。当時の〈世界のGDP(国内総生産)に対する輸出入額の比率〉を見ると、1900年を迎える頃から飛躍的に増加し、1913年にピークを迎えています。この頃は旧産業から新産業への転換が起こり、あきらかに新しい工業が世界経済の基本になったのです。
交通・通信手段の飛躍的な発展も見られ、世界の経済のネットワークは緊密になっていきました。ご承知のように、この時に第1次世界大戦が起こり、その後1929年に起こった世界恐慌を契機に、各国は保護貿易に走り、第2次世界大戦に突入することになります」
上位8名が世界の下位36億人分の資産を
「そして第4のグローバリゼーションが起こっているのが現在です。いうまでもなくITなど情報産業の飛躍的な発展がそのベースになっています」
このように技術革新によって新しい産業が生まれ、より大きな市場を求めてグローバル化が進む。それは押しとどめることのできない歴史的な必然だと、湯沢先生は語る。しかし、大きな弊害もある。
「ひとつは世界を画一化することで民族の歴史や文化といった多様性が失われること。もうひとつの問題は格差の拡大です。世界の上位8名が世界の下位の人口36億人分に匹敵する資産を所有しているという報道もありました(国際NGO『オックスファム』の報告書による)」
多国籍企業の動きは現地国の利害を超越する。現地の事情などお構いなしに大きな工場を閉鎖すれば雇用不安が起こる。また、技術革新で産業構造が変化すれば、対応できずに取り残された人々には不満がくすぶる。その結果、当然のこととして反グローバリズムの動きが生まれる。