防災のためという申請なら返却された
青柳先生は、京都府内の社寺の「境内地編入」の理由を記した文書を調べた。それによると、防火、防風、砂防などの災害の必要性に迫られた申請はほぼ100%土地を返却され、風景美の理由だけではあまり認められなかったそうなのだ。
つまり、都の美観を守るとされる「風致地区」であるが、ただ美しいところをとっておきたかったのではなく、その制定の目的のひとつに防災があったのだ。
この「風致地区」、1926年に東京の明治神宮周辺の地区が初めて指定されたといわれる。京都では1930年から指定が始まった。しかし青柳先生は、それよりも以前、この1899(明治32)年に制定された「国有林野法」に、風致地区の原点を見出したという。
明治政府になって社寺の領地が没収されたことは知られているが、国の管理が行き届かないから、ならば理由付きで返却することにしよう、ということだったとは。「境内地編入」が京都エリアを形づくる大きなキーとなっていたのだ。京都と防災についての検証は、今後のさらなる調査が待たれる。
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取材講座データ | ||
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「歴史文化都市の防災と建築史学」 | 立命館大学土曜講座 第3194回 | 2017年2月25日 |
文/植月ひろみ 図版/青柳憲昌