オスマン帝国に抵抗した心理戦の名手
オスマン帝国は14世紀から600年以上もの長きにわたって、中東を中心に北アフリカから東ヨーロッパにまで栄えた国だ。この強大な帝国に15世紀、戦いを挑んだワラキア公国(現在のルーマニア)の君主が、ドラキュラのモデルとなったヴラド公だ。ヴラドが生まれたとき、ワラキア公国はすでにオスマン帝国の支配下にあった。父が公位に就いていた間の5年間、ヴラドは現在のトルコで人質生活を強いられたが、その間、父と兄は暗殺された。その結果、帰国後、ヴラドは猜疑心が強くなり「父と兄の暗殺に関与した人を殺害したり、敵対する住民を串刺しにしてさらしたとも言われ、その様子は版画として残されています。」(江川ひかり先生、以下同)
このような所行から、ヴラド公は当時から「ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)・ドラクル」と呼ばれていた。
「ドラクル」には「竜」と「悪魔」の2つの意味がある。
特に30歳のころ、オスマン軍に奇襲をしかけて大勝したときは、敵が行軍してくる場所にオスマン軍の捕虜を串刺しにして並べて戦意をそぐという巧みな心理戦を行ったとされている。「ヴラド・串刺し公」はオスマン帝国にとってもあなどれない、恐怖に満ちた敵となった。こうして彼は「悪人」として歴史に名を残すことになった。