秀吉によるキリスト教弾圧。その裏にあるカトリック側の事情とは

【Interview】上智大学文学部史学科教授 川村信三先生(その3)

日本のキリスト教史の中でも痛ましい事件として語られる、26聖人の殉教。これは、日本で布教活動を行っていたカトリックの宣教師と信者26人が1597年、豊臣秀吉の命によって長崎で磔(はりつけ)の刑に処された事件だ。これについて、上智大学記念講座「『ルターとイグナチオ』同世代を生きた二人の改革者」にてコーディネーターを務める、同大文学部史学科教授の川村信三先生が、あまり語られないカトリック側の事情について、語った。

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日本のキリスト教史の中でも痛ましい事件として語られる、26聖人の殉教。これは、日本で布教活動を行っていたカトリックの宣教師と信者26人が1597年、豊臣秀吉の命によって長崎で磔(はりつけ)の刑に処された事件だ。これについて、上智大学記念講座「『ルターとイグナチオ』同世代を生きた二人の改革者」にてコーディネーターを務める、同大文学部史学科教授の川村信三先生が、あまり語られないカトリック側の事情について、語った。

信長も秀吉もキリスト教のもたらしたものを取捨選択していた

川村先生の専門は、16世紀の日本のキリスト教史だ。日本でのキリスト教の歴史については、まだまだ知られていないことが多いという。そのひとつが、カトリックの日本に於ける布教方法である。

16世紀、日本にやってきたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスが布教を許されたことは、よく知られている。

「16世紀の欧米と日本との交流は、接触したもの同士がどう向き合うか、というニュートラルな交流でした。そういった交流を通じて、織田信長や豊臣秀吉は、キリスト教がもたらした文化や文物から、好きなものだけを取り入れて、要らないものを追い出しました。キリスト教を取捨選択して受け入れていたのです」

信長の死後、秀吉は当初信長の政策を踏襲していたが、勢力増大に危惧を抱き、1597年、長崎で宣教師と信者26人が磔にして殺される「二十六聖人の殉教」が起こった。これは日本において、最高権力者がキリスト教聖職者・信者を処刑した初例といわれる。

川村先生は、信長と秀吉の時代では、宣教師と布教の仕方が違うのだと語る。読み解くキーポイントとなるのが、“西回りの布教・東回りの布教”である。

西回りは南米へ、東回りはイスラム・インド・中国、そして日本へ

「キリスト教布教のためにヨーロッパを出発した宣教師は、地球を西側に進むか、東側に進むかでまったくその先の道が違いました。西回りの場合は南米に向かいます。南米は武力で簡単に征服でき、文化もヨーロッパ式に染められたんです。

ところが東回りはそう簡単にはいきません。先ずイスラム教徒がいる、インド人がいる、中国人がいる。東回りルートには次々と古代文明が現れ、違う宗教や文化が根付いています。ありとあらゆるところで衝突が起き、彼らはその中で武力で征服して布教することが困難であることを学んでいきます。そしてさらに東に進んでいく、その果てに日本がありました。

日本にザビエルたちイエズス会がやってきた時、武力では征服できないとわかっていたはずです。その証拠にザビエルらはかなり慎重に行動しています。まずその地域の支配者に謁見し、贈り物をし、支配者や知識人にキリスト教を理解してもらうことから始めていったのです。

西回りルートで布教を進めていたのは、同じ男子修道会でも、イエズス会ではなく、フランシスコ会でした。フランシスコ会は、十字架の苦難と殉教を標榜し、命を懸けて布教する、そのためには殉教もやむを得ないという考え方でした。非常に清貧で、布教する対象も貧困にあえぐ人々でした。

南米をキリスト教化したフランシスコ会は、フィリピンにも布教します。そしてフィリピンも征服し、キリスト教が100%通じると信じて、日本にやってきました。その人たちが秀吉の前に来たときに何が起こるか、です。

イエズス会が70年くらいかけて東方地域をひとつひとつ、戦略をもって支配者から説得していった後に、殉教を辞さない覚悟のフランシスコ会の宣教師たちがやってきて、被支配者の貧しい人たちに布教を始めたのです。そして起こったのが、『二十六聖人の殉教』でした。26人のうち3人はイエズス会でしたが、その場に居合わせて巻き込まれた人たちでした」

西回りの成功体験を、東回りの終着点である日本でも通用させようとしたことで、猛烈な反撃を秀吉からくらったということか。

16世紀の異文化交流と19世紀の異文化交流はまったく違う

川村先生は、こうした16世紀の異文化交流は、幕末の19世紀の異文化交流とはまったく質の違うものだったと語る。

「このように16世紀の異文化交流は、日本側に取捨選択権がある、対等でニュートラルな交流でした。しかし、19世紀の異文化交流はまったく違います。19世紀にヨーロッパ列強が科学技術を持って日本にやってきた時、日本は抵抗することができませんでした。取捨選択することはできず、学ぶしかなかったのです。

キリスト教文化の受容については、しばしば16世紀と19世紀を混同する意見がありますが、まったく質が異なるものです」

キリスト教の側から見ることで、日本の歴史の別の側面が見えてくる。来年1月に開催予定の「遠藤周作『沈黙』が描ききらなかったキリシタンの史実」の講座では、川村先生の専門である16世紀のキリシタン史が講義される。

〔前の記事〕 宗教改革500周年。カトリックとプロテスタントはここが違う 宗教改革500周年。ルターの宗教改革を支えた画期的発明

取材・文・写真/藤村はるな

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