ワニの好き勝手脳から、ウマの好き嫌い脳へ
杉山先生は今年2月、心や脳の科学者が最善と考えて実行している子育てメソッドをもっと多くの人に知ってほしいと、『心理学者・脳科学者が子育てでしていること、していないこと』(主婦の友社刊)を刊行した。その中で取り上げられているのが、このワニの脳、ウマの脳、サルの脳、ヒトの脳の話だ。
脳は中心から外側に向けて、古いの脳の上に次世代の脳がかぶさるような形で、進化してきた。それをシンボリックにあらわすのが、ワニの脳、ウマの脳、サルの脳、ヒトの脳という考え方だ。
ワニの脳は、いわば本能のままに快楽を求める脳だ。「春眠暁を覚えず」の今の季節であれば、「布団の中でゴロゴロしていると気持ちいい!」と感じるのがワニの脳だ。「めんどくさいことはイヤ~」「食べ物おいし~」と、とにかくこの瞬間の快楽だけを追及して好き勝手なことばかりを考える。これを杉山先生は『ワニの好き勝手脳』と呼んでいる。
この『ワニの好き勝手脳』に対して、「布団の中でゴロゴロしてばかりいると遅刻してしまうよ」と教えるのが、ウマの脳だ。私たちの身の安全をモニタリングし、これからの快楽を考える脳で、「これおいしいからもっとちょうだい」とか「これ嫌いだからあっち持って行って」などの好き嫌いなども判断するので、『ウマの好き嫌い脳』と杉山先生は名づけている。
このウマの脳の段階で、愛着に基づいたシンプルな社会は形成されるという。
サルの社会脳から、ヒトの計画・戦略脳へ
しかし社会が大きく複雑になっていくと、さらに高次元の脳が必要になってくる。それが、社会的な立場を考えるサルの脳だ。「仲間と仲良くしておかないと食事にありつけないな」とか、「あいつより俺のほうが強くて偉い」などと、関係性やヒエラルキーなどを考えるのもサルの脳。これを『サルの社会脳』と呼んでいる。
しかし社会がさらに複雑化してくると、その中にある共通のパターンを見つけて、そのルールに則って物事を行うと有利に事が運ぶことに気づいてくる。つまり「課題」を見つけて「戦略」を「計画」するようになるのである。これが『ヒトの計画・戦略脳』だ。「この仕組みはどうなっているのか」「これを選択するとどう変わるのだろうか」「ミッションを達成しなければならない」といった意識がこれにあたる。また、集中力をもたらしたり、感情などを抑制したりするのも、『ヒトの計画・戦略脳』の役目だ。
人間の幸せにかかわるのは、どの脳か?
ワニの脳、ウマの脳、サルの脳、ヒトの脳。この4つの脳がバランスよく働いてこそ、バランスよく暮らしていけるのだと、杉山先生は説く。
そのバランスが崩れ、たとえばヒトの脳が過剰に働いているのにサルの脳がうまく働いていないと、空気が読めないといった状況になってしまう。
では、人間の幸せに直結するのはどの脳なのだろうか。
一瞬、サルの脳かなと思うが、脳科学者の議論では、ウマの脳ではないかといわれているらしい。ウマの脳をより満足させるため、自らの社会的安全を獲得するサルの脳が発達したと考えられているからだ。サルの脳は、周囲の人の気持ちを忖度してご機嫌を見て自分の立場を確保するための脳である。
では、なぜヒトの脳は必要だったのか。社会が複雑がすればするほど、ヒエラルキーも複雑化し、ヒエラルキーの上位にいかないと不利になってくる。そこで、「ヒエラルキーの上位に行きたい!」というサルの脳の欲望を達成するために、課題の達成をめざすヒトの脳が獲得されたと考えられるという。
つまり幸せのもとをたどれば、馬の脳による安全・安心の追求にあり、その社会的安全を充足させるために上昇志向のサルの脳ができ、サルの脳の上昇志向を満足させるためにヒトの脳ができたのだと考えると……もはやこれは人生そのもの、といった感じである。
赤ちゃんの成長も、老人の人格変化も
乳幼児期の脳は、解剖学的には成人と同じ構造を持っているといわれている。しかし、機能面が同じかどうかは別問題だと杉山先生は言う。
たとえば生まれたばかりの赤ちゃんは、お腹が空けば泣くと、ワニの脳のようだ。そのうち、イヤイヤのひどいウマの脳になり、社会性を身につけたサルの脳となり、そして成長するにつれて自分の針路について考えるヒトの脳を獲得していく。
しかし、後に獲得したところほど早く衰えていくという。そのため認知症になると、ヒトの脳が衰えて複雑な手順が考えられなくなり、社会的警戒感を抑制するサルの脳が衰えて安全・安心を求めるウマの脳が優勢になり、自らの安全・安心を追求するあまりに敵を探し出すようになってしまう。
サルの脳を大事にしないと、幸せの根本であるウマの脳が守れないのだ。安全・安心を求める心を満足させて幸せに生きるには、ウマの脳をコントロールするサルの社会脳を衰えさせないことが大事なのだ。
そのために杉山先生が勧めるのが、新しいこと、新しい人に興味を持ち続けることだ。それが難しいことでストレスになるとしても、新しいことに興味を持ってチャレンジをし続けている人は、脳の喜びや幸せを感じるところが衰えず、生涯にわたって幸せに感じ続けるらしいということがわかってきたという。
こういうことを新たに知ると、心に幸せの種がまたひとつ増えた気がする。それが学問のもたらす力だろう。
すぎやま・たかし 神奈川大学人間科学部教授、心理学者
1970年山口県生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科にて心理学を専攻。医療や障害児教育、犯罪者矯正、職場のメンタルヘルス、子育て支援など、さまざまな心理系の職域を経験、脳科学と心理学を融合させた次世代型の心理療法の開発・研究に取り組んでいる。臨床心理士、1級キャリア・コンサルティング技能士。『ウルトラ不倫学』『「どうせうまくいかない」が「なんだかうまくいきそう」に変わる本』等著書多数。最新刊は『心理学者・脳科学者が子育てでしていること、していないこと』(主婦の友社刊)。
◆取材講座:メンタルヘルス・マネジメント講座「大人の人間関係論 part2」(神奈川大学みなとみらいエクステンションセンター/KUポートスクエア)
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