テレビのバラエティー番組でも大活躍の歴史学者・本郷和人先生(東京大学教授)が、歴史ネタをふかーく掘り下げる人気講座。豊臣秀吉と徳川家康の天下取りに図らずも貢献することになった、戦国一の美男美女カップル、細川忠興・ガラシャ夫妻のくらくらするような人生ドラマ。本郷先生による解説に、受講生はすぐに引き込まれていった。
バラエティー番組口調の脱線にもわくわく
「細川ガラシャってよく言われるけど、そもそも、その言い方がダメなのね。細川さんからお嫁に来た人なら細川ガラシャでいいんだけど、ガラシャさんのお父さんは明智光秀で、明智家から細川家にお嫁に来た人だから、本来は明智ガラシャって呼ばなきゃいけないんだよね」
と、いきなりダメ出しで始まった、テレビでも大人気の歴史学者、本郷和人先生の中世史講義。毎回、テーマを変えて、戦国時代をぶった切っていく、驚きと笑いに満ちた講義だ。
講義室も満席。語り口調は、テレビのバラエティー番組そのもの。今日はどんな話を聴けるのだろうか、どこまで脱線するのかと、わくわくしている生徒の気持ちが、こちらにまで伝わってくる。
「細川ガラシャの名前は、明智たま。戦国一の美女と謳われた女性だけど、宣教師のレポートに、『こんなに賢い女性は見たことがない』と書かれているくらいだから、容姿に加えて頭も相当良かったんだろう。で、夫の細川忠興も、それに劣らず、めちゃめちゃイケメンだった。
おまけに文武両道だったというから、つまりは、戦国一のカップルだったってわけです。だけど忠興は大きな欠点があった。とにかくキレやすくて、ガラシャへの執着ぶりもものすごくて、今でいえば、とんでもないストーカー男だった。それが、あの石田三成挙兵のときの、ガラシャの死(*1)につながったんです」
*1(編集部註)
慶長5年(1600年)7月、上杉討伐に出陣した徳川家康の留守を狙って挙兵した石田三成は、まずは家康に従って出陣した大名の家族を人質にしようと、大坂・玉造の細川邸をとり囲んだ。細川忠興の妻ガラシャは人質になることを拒否し、夫忠興の言いつけどおり家臣に自分を殺させ、邸は火に包まれた。