妖怪と幽霊の違い 民俗学が矛盾乗り越え定義するまで

【Interview】清泉女子大学副学長 佐伯孝弘先生(その1)

日本人はお化けが大好き。清泉女子大学では10月、「文学からみる〈日本の幽霊と妖怪〉──日本人の好きな「怪異」「幻想」」と題した連続講座を開講する。そこで、講座のコーディネーターを務める佐伯孝弘副学長に率直な疑問をぶつけた。「幽霊と妖怪は何が違うのですか?」

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清泉女子大学副学長、日本語日本文学科教授の佐伯孝弘先生

日本人はお化けが大好き。清泉女子大学では10月、「文学からみる〈日本の幽霊と妖怪〉──日本人の好きな「怪異」「幻想」」と題した連続講座を開講する。そこで、講座のコーディネーターを務める佐伯孝弘副学長に率直な疑問をぶつけた。「幽霊と妖怪は何が違うのですか?」

「“幽霊”と“妖怪”は違う」と説いたのは柳田国男

「幽霊と妖怪を明確に区別できる」と言ったのは、民俗学を大成した柳田国男(やなぎた・くにお)だ。

佐伯先生は語る。

「柳田は、昭和31年に出した『妖怪談義』の中で、お化けと幽霊が混同されてきたことを指摘し、両者の間には明瞭な違いがあると説いています。そのポイントは3つです。

・いつ現れるか
・どこに現れるか
・誰に対して現れるか

幽霊は、夜の一番深い丑三つ時(うしみつどき)に、どこにでも出る。ただし特定の人の前に現れます。特定の人とは執着する相手で、具体的には、恨む相手か、恋しい相手です。自分を殺したり害したりした人間に復讐しようと現れるか、自分の恋人やわが子など、思いが残っている人の前に出てくる、それが幽霊です。

しかし妖怪は、夜明け時とか日暮れ時の薄明りの時に、決まった場所に現れます。たとえば山姥(やまんば)とか天狗(てんぐ)だったら山、海坊主だったら海、河童だったら川岸など決まった場所に現れて、相手を選ばず、たまたまそこを通りかかった人間を脅かしたりさらったり、時にはとって喰ったりする、これが妖怪です」(佐伯先生。以下「 」内同)

このように柳田は、人につくのが幽霊で、場所につくのは妖怪だと定義した。しかし何事においても完璧な定義というのは難しい。早速例外が出てきたという。

お菊さんは幽霊なのか、妖怪なのか

その例のひとつが、有名な皿屋敷のお菊の幽霊だ。皿屋敷の話は、四谷の番町皿屋敷の話と、播磨(はりま)の播州皿屋敷の話と、同じような話が2つある。また、皿が1枚欠けた経緯も、主人がお菊を手籠めにしようとしたら抵抗されたので折檻するために1枚隠したとか、謀略話をお菊に聞かれたので殺す理由づけとして隠したとか、お菊が不注意で割ったとか、いろいろある。とにかく、皿が1枚欠けたために殺されて井戸に投げ込まれ、井戸の中で毎夜、「1枚、2枚……」と皿を数える声がして屋敷が呪われ、お家断絶になる、というオチは同じだ。

「お家断絶で話が終われば、ふつうのよくある幽霊の復讐譚なんですが、皿屋敷伝説というのは続きがあるんです。手放された屋敷を別の人が手に入れるのですが、この屋敷に次に住んだ人も、井戸からお菊さんの声が聞こえて、凶事が続いてお家断絶となる。さらにその次の人もお家断絶になる。そして、あの屋敷は皿屋敷だ、化け物屋敷だということになって誰も住まなくなるんです。つまりお菊さんは、人ではなく場所についたんですね」

船幽霊などもそうだという。船幽霊とは海難事故の死者が浮かばれないままその水域にいて、船が通りかかると柄杓(ひしゃく)をくれと声をかける。柄杓を渡すとどんどん水を組んで船にかけるので船が沈んでしまう。だから底の抜けた柄杓を渡さなけばならない。これも幽霊が一種の地縛霊となってその場所についている例だという。

そこで、高名な国文学者の諏訪春雄氏(学習院大学名誉教授)が定義に修正を加えたという。

妖怪は生きているもの、幽霊は死んだもの

諏訪氏は『日本の幽霊』(岩波新書)の中で、次のように定義したという。

「妖怪は、人間とは別の世界で生活している、生きているもの。しかし幽霊は、人間が死後、人間の属性を備えて現れるもの。このように定義しました。井戸から声だけが聞こえるお菊のように、気配だけ感じる幽霊もいるし、夢にだけ現れる幽霊もいる。死んでいて、人間の属性を備えて現れるものが幽霊だと定義づけたのです。そして、それ以外の、人間の理解を超えたおぞましい存在は、すべて妖怪だと定義しました」

いくら人間そっくりの絶世の美女でも、狐が化けていたら、妖怪。元は人間でも、おぞましい姿になったり巨大化していたりしたら、妖怪。たしかにこれなら矛盾はない。と思ったら、やはり例外が出てきたという。

生霊は幽霊なのか、妖怪なのか

それが“生霊”だ。生霊というのは、生きている身体から霊魂が抜け出て、抜け出た魂が姿を持って現れるもの。たとえば『源氏物語』の六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の生霊が葵上(あおいのうえ)をとり殺した例などが有名だ。生霊は死んでいないから、諏訪氏の定義から外れてしまう。果たして生霊は幽霊なのか妖怪なのか。

そこで、民俗学者の故・宮田登氏や小松和彦氏(国際日本文化研究センター所長)は、次のように定義づけた。

「幽霊は、妖怪(化け物)の一部である」と。

幽霊は、広義の“化け物(妖怪)”の一部だとすることで、生霊のように、幽霊だか妖怪だかわからないものも化け物の中に入れることで、矛盾を解消したのである。ちなみに“化け物”は“妖怪”と同じ意味で、江戸時代には妖怪のことを化け物と呼んだ。

定義づけることこそ学問

佐伯先生は、「学問とは、使う言葉を定義し、概念を厳密にとらえるもの」だという。その意味でも、それまで庶民に人気のある娯楽のひとつだった妖怪や幽霊を、定義づけして学問の俎上に載せたという意味で、柳田国男の功績は大きい。

「いま怪異というテーマでは、民俗学・国文学・史学・心理学・宗教学・文化人類学、そしてサブカルチャー理論まで含めて、じつに学際的に研究が進められています。幽霊や妖怪を迷信として切り捨ててしまっては、何も始まりません。なぜ幽霊や妖怪がこれほど日本で語られてきたのか、そういった存在を生んだ精神風土、時代性、社会的意義について研究することが大事なんです。そして、まさにそれに先鞭をつけたのが柳田国男でした」

清泉女子大学で10月7日から始まる公開講座「文学からみる〈日本の幽霊と妖怪〉──日本人の好きな「怪異」「幻想」」講座は、『源氏物語』から江戸、そして近代の妖怪や幽霊までを、5回に分けて講義するものだ。まさに、日本人の精神風土を怪異の世界からのぞくものになることだろう。

文・写真/まなナビ編集室

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