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VHS・ベータ的戦争するな!JPEGが世界標準となるまで

東京電機大学学長、安田浩先生

私たちは毎日のようにスマホで写真を撮り、SNSにあげたり友人にメールしたりする。その「拡張子」のほとんどはjpegだ。JPEGとは「Joint Photographic Experts Group」の略で、画像を圧縮する方式の一つである。この方式が国際標準規格であるおかげで、私たちは地球上の誰とでも画像をやりとりすることができる。JPEGが国際標準となったその陰には1人の日本人の活躍があった。来春、新しいエンジニアの学び直しプログラムを始動する東京電機大学の学長、安田浩先生である。

アイデアを具現化して今までにない製品を生み出すために

東京電機大学では2018年度、社会人向け新教育課程を開設する。この9月、開設に向けて、「ものづくりの現場で適切な判断をくだす“実践知”を磨くために」と名づけた記念フォーラムが開催された。3人のイノベーター(技術革新者)が登壇し、アイデアを具現化して今までにない製品を生み出すために何が必要か、イノベーションとは何か、について講演した。

JPEG・MPEG規格標準化の第一人者である東京電機大学学長・安田浩先生、電動パワーステアリング(EPS)の発明者である同工学部先端機械工学科教授・清水康夫先生、そして全自動衣類折りたたみ機「ランドロイド」の開発者である阪根信一氏(セブン・ドリーマーズ・ラボラトリーズ(株)代表取締役社長)である。(※本サイトではそれぞれの講演を記事として紹介していく)

その冒頭に講演した安田先生は「技術者は技術の進歩についていかなければならない。そのためには社会で活躍する技術者もずっと学び続けていかなければ、日本は技術立国を堅持できない」と述べ、画像圧縮技術のJPEGが国際標準規格となったその道のりを講演した。

JPEGが生まれたのは今からわずか30年前

JPEGとは静止画像を圧縮する技術である。この画像圧縮技術が広く普及しているおかげで、私たちは枚数を気にすることなくデジカメやスマホで写真を撮り、相手がどこにいようと、どんなデバイスで見ていようと、気にすることなく撮った写真や画像を送り、見てもらうことができる。ウェブサイトに公開する場合でも、JPEGの画像ならば世界中の人が見ることができる。

もしこれが標準化されていなかったとしたら、メールに添付する際、先方が持っている画像圧縮の規格を聞き、それと同じ規格で送らなければ、互いに画像を見ることはできなかった。私たちが毎日当たり前のように使っているインターネットやSNSなどのITの利便性も、ここまでのものにはなっていなかったかもしれない。ひょっとしたら、かつてのビデオの規格戦争(ベータ対VHS)のように、多種多様な規格が混在する、甚だ不便な状況になっていたかもしれないのだ。

JPEGが国際標準となったのは1987年。今からわずか30年前のことだ。インターネット前夜、日本ではパソコン通信全盛時代のことである。

「日本は下りる。だからアメリカも下りてくれ」

「なぜ画像圧縮技術を世界で標準化しなければならなかったかというと、片一方で圧縮して、もう片一方でそれをもとに戻さないといけないからです。これを国同士が違う方式でしたら、映らない。ですから、各国の間で同じ画像圧縮技術を使う協定をしなければなりませんでした。しかし、その道のりは平たんではありませんでした」

安田先生は講演の中でそう語る。それはまさに、ビデオ規格戦争の時と同様に、各国が自分の開発した方式を国際標準にしようと、一歩も引かなかったからである。

「最後に残ったのが、フランス、日本、アメリカでした。一番優れていたと思われるのがフランス、次点が日本、アメリカはその下でした。ただそれぞれに一長一短があり、絶対的にこれがよい、というものはありませんでした」

ここで物別れしては標準化はできない、何とか技術を一つにしたいと、安田先生はひとつの提案をした。

「アメリカに対し、『日本も下りるからアメリカも下りてくれ。フランス案をもとに、日本とアメリカのよいところを入れて国際標準をつくろう』と提案したのです」

そして生まれたのがJPEGである。さらに1991年には、動画の国際標準規格であるMPEGが生まれる。このJPEG、MPEGの規格標準化での功績で、安田先生は1996年、米国テレビ芸術科学アカデミーがテレビに大きく貢献した人や技術に授与するエミー賞を受賞した。

高校新卒者が同大学の学生職員として働きながら学べる制度も

「情報量は時代によって変わります。たとえば文字だけの場合と、音だけの場合では情報量はまったく違います。テレビになると、絵と音が出る。どれくらい情報量が違うのかというと、だいたい文字に比べてテレビは100万倍となる。それを何とか小さくしたい、しかも世界でやり取りできる標準規格にしたい、という思いでやってきました」(安田先生)

規格の標準化は、技術の世界的規模での普及拡大や大幅なコスト削減をもたらす。このJPEG規格標準化の話こそ、来春から東京電機大学が提唱する「ものづくりの現場で適切な判断をくだす“実践知”」の象徴といえるエピソードだろう。

東京電機大学は今年110周年を迎える。1907年(明治40年)、廣田精一と扇本眞吉という2人の技術者がドイツ留学から帰国し、ものづくりの大学を作ろうということでできたのが、東京電機大学の前身である電機学校である。昭和23年に東京電機大学となり、初代学長にNE式写真電送機を発明した丹羽保次郎先生に迎える。以来、建学理念に「実学尊重」を、教育・研究理念に「技術は人なり」を掲げて、いかに役に立つものを作るかという伝統を受け継いできた。

来春大幅に変わる工学部第二部(夜間部)は、企業で働くエンジニアが昼間の仕事と両立させて学べる新しいカリキュラムを用意(「若手技術者が40年間企業で働くために今、必要な知識とは」)するほか、働きながら就学する学習意欲のある新社会人(高校新卒者)を対象に、同大の実験・実習、事務作業の補助などを行う「学生職員」となる独自の職業付き入試「はたらく学生入試」も始まる。

「働く」と「学ぶ」。その両輪が年齢というハードルを越えてかみ合う、新しい取り組みがもうすぐ始まる。

取材・文/土肥元子(まなナビ編集室)