まなナビ

4年ぶりのコンサートでリベンジを

木立慈雨さん(56歳)/宮城県/最近ハマっていること:川柳

 私が趣味のアコーディオンを真剣に学び直したいと思ったのは、東日本大震災で被災したからである。家族は無事であったが、失った友人は6年半を過ぎた今もまだ見つかっていない。生き残った自分は友人のために本気で自分を生き抜くことを決意した。

 まず初めに、プロでもなかなか持っていない高価な楽器を買った。楽器に負けない演奏力を身に付けるように自分を追い込むためだ。被災した自宅の改修や車の購入、今後の災害に備えてのソーラー設置が必要だったので金銭的にはかなりつらかったが、楽器購入には一切妥協しなかった。案の定、演奏を聴いた人からは「素敵な楽器ですね」とは言われても「素敵な演奏ですね」とはなかなか言われなった。予想どおりの反応が自分をさらに発憤させた。

 そこで、自分の今いる位置を知るためにコンクールに出場した。自分が出られる中で最も難易度の高いクラスである。一応毎日地道に練習してきたものの、それまで自己流でやってきたのだから、結果は当然ながら全く悲惨なものであった。一人の審査員には講評に英語で「ぐちゃぐちゃだ」と書かれてしまい、思いっきり凹んだ。

 負け犬となった私はどうしたかというと、初心に帰って東京の教室に習いに行くことにした。その教室は件のコンクールの審査委員長のところである。自宅の近場にも教室が無い訳ではないが、やはり私の欠点を正確に理解し指導できる技量の人の下に通うのが上達への近道だと思ったからだ。

 寮から400kmも先の教室に毎月通うのは至難である。寮を朝4時に出て教室に着くのは11時半、車と新幹線と徒歩で丸一日がかり、電車は最低でも仙台と大宮と池袋の計3回乗り継がないと行き着かない。レッスンだけでなく発表会や交流会もある。先生が大変忙しい人なのでレッスン日時の変更が難しく、レッスンのために私のほうの仕事をやりくりしなければならなかったが、単身赴任で被災地復興の中でも重責を担うポジションにいるために、これがまたとても大変である。欠席できない会議が多いため、たびたび次席を拝み倒して代理出席を頼んだ。年休が無くなってしまい、体調が悪くても仕事を休めなくなった。

 挑戦は楽しくはない。いつも日々の練習もレッスンもコンクールも苦しくてつらい。逃げたい気持ちが200%である。ではなぜここまでやるのかと言えば、時間と金をつぎ込んだ分結果を残せないと悔しいという気持ちもあるが、なにより限界まで自分を追い込んで挑戦してこそ、生きることを実感できると知ったからだ。そして50を過ぎてもまだ自分の知らなかった「本当の自分」と出会えることを知ったからだ。

 そろそろ例のコンクールから4年、リベンジの機会が近づいている。事前の肩慣らしのために出た二つの国際コンクールは優秀賞とファイナル出場という結果を残せた。あとは本番で練習どおりに弾くだけ。

 

(作文の一部に編集室が文字の修正、タイトル付けなどをしています)