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2万年前はロシアと陸続き、日本海はほぼ淡水だった

約2万年前、日本列島の本州・四国・九州は陸続き、北海道もロシアと陸続きで、マンモスは歩いて日本列島にやってきた――。長い長い歴史のなかで物を考え、物を見る楽しさを学ぶ「自然地理学」の魅力について、明星大学の長谷川裕彦准教授に聞いた。

大学時代は年間100日、山に登る生活

「私が地理学を選んだのは、とにかく山に登りたかったからです。中学1年生のときに家族で上高地に行き、穂高連峰の雄姿に触れて以来、山の虜になりました」

そう話すのは、明星大学教育学部の長谷川裕彦先生だ。山の中でも、穂高のように、氷河に削られた岩場の山に惹かれたという。大学に入る前から、「穂高の氷河地形で卒業論文を書こう」と考えていたほどの、筋金入りの山好き。大学時代は年間100日以上、山に行く生活を送っていたという。大学は5年かけて卒業した。

そんな“山まみれ”だった大学生が、なぜ学者の道を選んだのか。

「進路を考え始めた当初は、山に近いところで生きていければいいな、くらいに思っていたんです。山小屋のオヤジとか、プロの山岳ガイドとかですね。でも一方で、それらは性格的にあってないなとも、自覚していました。あれこれ迷っていた4年生の春、1年生のときに出会って大好きだった先生のゼミに偶然入ることになりました。素晴らしいゼミで、真面目に勉強をするようになりました。次第に、この先生のような生き方を自分もしたいと、考えるようになったのです」

長谷川先生にとって山は、登る対象から、研究の対象へと変わっていった。

「ほとんど勉強していなかった私が学者としてやってこられたのは、ひとえに、学部生の頃にたくさんの登山経験を積み、技術を磨いていたからです。普通の研究者だと、ここから先は危険かなと判断するようなところでも、場合によっては私は入り、貴重なデータを取ってこられた。山に行ってばかりいたあの日々が、後になって、役に立ってくれました。人生、何が役に立つかは本当にわかりませんね(笑)」

1990年からは第32次日本南極地域観測隊に参加するなど、国内外を含めて、精力的な研究活動を続けている。

龍馬に会うには「150円」、日本列島の形成初期を見に行くには「2000万円」

長谷川先生は8月26日、明星大学×読売新聞立川支局が共催する公開講座で、「多摩地域の地形形成に多摩川が果たした役割」を講義する。地球誕生から地震の備えまでを、地域に密着した視点から学ぶことができる講座だ。

そもそも、日本列島が形成され始めたのは「2000万年前」だ。縄文時代が始まったのが約「1万年」前で、それでも大昔なのだが、日本列島となると、それよりもはるか昔に思いを馳せなければならない。長谷川先生が、イメージしやすいユニークな方法を教えてくれた。

「タイムマシンが開発されて、時間旅行が可能になったとします。その料金を、1年=1円と仮定するんですね。するとこうなります。

・現在の大学生が、自分が生まれた頃に行くには「20円」
・私の公開講座に来てくださる60才の方が、生まれた頃に行くには「60円」
・幕末に行って坂本龍馬に会うには「150円」
・徳川家康に会いたかったら「400円」
・法隆寺の創建を見るには「1200円」
・縄文時代、人類が農耕を始めた頃を見るには「1万円」

ここまでは気軽に行けそうな料金でしょう? ところが、ここから、ぐっと上がります。

・人類が、猿人から原人に進化した頃に行くには「250~260万円」
・日本列島の形成初期を見に行くには「2000万円」!

急激に、車や家が買える値段へと跳ね上がる。こうして比較すると、どのくらいの時間軸の話なのかが、想像しやすいのではないでしょうか。自然地理学が扱うのは、このくらい“大昔”の話なのです」

縄文時代前期の7000年前、いまより気温は2度、海面は2メートル高かった

日本列島が今の位置にやってきたのは1500万年前だが、その形は現在と同様ではなかった。気温や海面の変化、氷河の拡大・縮小などに起因するダイナミックな変動を繰り返しながら、現在の日本列島の姿へと至っている。

そうした変化の一例として、長谷川先生は「2万年前」と「7000年前」をこう比較して説明する。

「2万年前は海面がもっとも下がった時期で、現在より120メートルも低下していました。本州と四国、九州、それから屋久島、種子島も陸続き、また、ロシアと北海道も陸続きで、だから縄文人の祖先たちやマンモスは、ユーラシア大陸から歩いて日本にやってきたんですね。その頃、黄河の河口は、現在の韓国の済州島の南あたりにありました。黄河の水が、狭くなった対馬海峡から日本海に流入したことにより、日本海は淡水化していたことがわかっています。

たとえば新潟は、いまはおいしい海産物が有名ですが、2万年前は日本海がほぼ淡水だったため、魚はほとんど採れなかったのです。それから関東平野には、海面が下がったことで、深い谷がたくさんできていました」

それが縄文時代の7000年前くらいになると、現在より2度くらい気温が上がり、海面も2メートルほど上昇したという。

「関東平野にできた大きな谷に、海水が流れ込んできました。つまり2万年前と7000年前とでは、まったく別の景色が、関東平野には広がっていたんですね。7000年前に海面が上昇していたことは、現在、関東の内陸部、たとえば川越あたりから貝塚が発見されていることからも明らかです」

地球はこれまでに温暖期と寒冷期を繰り返してきた。地球のドラスティックな変化を想像しながら、いま、我々が生活する地形を眺めると、見慣れた風景が、違って見えてくるのではないだろうか。 

自然地理学から見た2万年前の日本列島を語る、長谷川裕彦明星大学准教授

〔大学のココイチ〕多摩モノレールの「中央大学・明星大学」駅の改札を出て右が中央大学、左が明星大学。シェイクスピアの没後7年めに36篇の戯曲をまとめて発行されたファーストフォリオ(初版本)など、とんでもない貴重本を数多く所蔵することで有名な図書館では、所蔵する本の一部を閲覧できる企画展も行われている。

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取材・文/砂田明子 写真/まなナビ編集室