まなナビ

高山右近で宗教弾圧史をいま振り返る

ポルトガル船の来航禁止を掲げる江戸時代の高札の複製(上智大学所蔵)

スクリーンに次々と映し出されるのは、地図、木札、宗教画など上智大学のキリシタン文庫が誇る“お宝”資料の数々。50名ほどの受講者は、佐久間勤先生(上智大学神学部教授)とデ・ルカ・レンゾ神父(長崎二十六聖人記念館館長)の解説に耳を傾けつつ、スクリーンを凝視する。今回の「高山右近とその時代―キリシタン文庫の貴重資料から見る―」の目玉は、なかなかお目にかかれない、キリシタン迫害資料だった……。

レプリカの木札もうやうやしく登場

授業開始前、うやうやしく大きな箱が運びこまれる。中から出てきたのは、時代劇でよく掲示板として登場する木製の高札だ。「寛永十六年」の文字が見える。

「寛永十六年、1639年(江戸時代)に、長崎でポルトガル船の来航禁止を掲げるために作られた高札です。でも実はこれ、レプリカなんです」と話すのは、本講座コーディネーターの佐久間勤先生。

「本物も本学のキリシタン文庫が所蔵していますが、本物は非常に古く、傷みもあり、運び出してみなさんに見ていただくこともできないので、昨年、精巧なレプリカをつくりました。現物をレーザープリンターでトレースして、職人さんが手で塗っているんです。本物を忠実に再現した精巧なつくりですよ!」

授業の前後には、このレプリカ高札に間近まで寄ってじっくりと文字を読んでみた。江戸時代の町民になったかような気分になってくるから面白い。

秀吉の命で磔にされた長崎二十六聖人

講師は毎回変わる。この日、講師を担当したのは、長崎二十六聖人記念館館長で、イエズス会神父のデ・ルカ・レンゾ先生。

長崎二十六聖人記念館が所蔵する、キリシタン迫害期長崎の地図や、キリシタンたちの書簡などが次々とスクリーンに映し出されながら、殉教の歴史が解説された。

長崎で処刑された殉教者の遺骸はマカオなど世界各地の教会に送られた

1597年2月5日、26人のキリシタンが、豊臣秀吉によって長崎で磔の刑に処された(日本二十六聖人)。26人の中には長崎で布教活動を行っていたスペイン人やポルトガル人も含まれていたが、その多くは、パウロ三木やルドビコ茨木ら、敬虔な日本人信者だった。

「1587年にはキリシタン禁教令が発布されて、宣教師たちには追放命令が出されていました。それまでも、宣教師たちを“怪しい外国人”として怖れて迫害することは、よくあることでした。しかし、二十六聖人の殉教は、日本の最高権力者が、同じ日本人を、信仰を理由に処刑した初めての事件。当時の人にとっても、ショッキングな出来事だったと思います」

原爆投下を越えて今に残る書簡類

長崎で処刑された殉教者の遺骸は、マニラやマカオなど、世界各地の教会に送られ、現在も崇敬の対象となっている。一度海を渡ったが、長崎に里帰りした遺骨もあるそうだ。

また、九州を回って信者の支えとなった中浦ジュリアン(1633年に殉教)をはじめ、厳しい迫害のなか信仰に人生を捧げた多くの日本人キリシタンの書簡も、日本国内のみならず、ローマなど世界中に渡り、大切に保管されている。

「日本では250年にわたる厳しいキリシタン迫害の歴史がありました。また、長崎には原爆も落とされた。それでも遺骨や書簡といった資料が現在でも残っているというのは、それだけ殉教者たちの思いやその歴史を、本当に敬う人たちが日本国内外に多くいたということ。逆にいえば、どんなに国の政策として迫害をしても、人の気持ちや信仰、文化を完全になくすことはできないということです」

「長崎では原爆の3年後にはもう殉教祭が再開し、まだ教会もなにも復興していないところに多くの人々が集まり祈りを捧げました。殉教者を忘れてはいけないという、教会の人々の強い思いもあったと思います。政治や戦争によって多くの物や人が失われとしても、精神的な共同体が失われることはないのです

講義するデ・ルカ・レンゾ先生。受講者のなかにはシスターの姿も

“知らないものが怖い”から、差別と迫害が始まる

教室のスクリーンには、1682年に掲示された高札(訴人褒賞札)の文言が映し出された。
・ばてれんの訴人 銀五百枚
・いるまんの訴人 銀三百枚
・立かへりの者の訴人 同断
・同宿并宗門の訴人 銀百枚

「ばてれん」「いるまん」は宣教師のこと。ばてれんの方が司祭や神父で地位が高い。「立かへりの者」はいったん棄教した者が再びキリシタンになった人のこと。「同宿并宗門」は宣教師の補助者と一般信者。

つまりこれは「キリシタンを発見して密告した人に報奨金を出しますよ」という札。現代の指名手配犯懸賞金制度と一緒だ。

「こうした札は明治政府になっても当然のように掲げられていました。国としてそれだけ徹底的なキリシタン追放の方針があったということ。

でも実際にはキリスト教は完全になくならず、現在も日本に残っているのはみなさんご存知の通り。それは残したいという国民の声があったからでしょう。迫害に負けない教会や日本人の力があったということです」

250年に及んだ日本におけるキリシタンの迫害は、現代のイスラム教徒への差別とも通じるものがあると思います。“イスラム教=怪しいテロリスト”と思って、実態もよくわからないままなんとなく怪しい、怖いと思ってしまう。

正しい情報を伝達し、前に進んでいくことが、現代社会においても我々一人ひとりに求められているのです」

〔今日の名言〕江戸時代のキリシタン迫害は、現代のイスラム教差別に通じる。
〔受講生の今日イチ〕貴重な資料に興奮するシスターの姿も。
〔大学のココイチ〕上智大学に隣接するイグナチオ教会。そのステンドグラスの美しさは必見!

〔おすすめ講座〕「出エジプト記」を読む
シャルトル・ラビリンスを歩く ラビリンス・ウォーク~歩きながらの黙想
日本の宗教と思想‐西田幾多郎・鈴木大拙と共に考える

取材講座データ
高山右近とその時代 上智大学公開講座 2016年秋期講座

2017年1月13日取材

文・写真/露木彩