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親の孤立が「子どもの貧困」を生む負の連鎖

自己実現への意欲を失った親は子育てを放棄する傾向にある
(写真はイメージです)(c)fotolia

子どもの7人に1人が相対的貧困状態にある日本。「母子家庭で「子どもの貧困」が進む日本ならではの事情」で、貧困を自己責任と思い込む土壌について紹介したが、親が自己実現できず生きる気力をなくしていると、子どもは貧困に陥りやすいことが報告されている。
3才の子がオムツを引きずって一人で保育園に

親が生きる気力を持たないと、子どもの貧困はなくならない」と東洋大学社会学部教授の森田明美先生は語る。

森田先生は、子どもの権利を基盤とする児童福祉学を専門とし、数多くの自治体で子育て支援に携わってきた。実際の現場で見聞きした経験からその事例が語られた。

「親の自己実現が〈子どもの貧困〉の解決にはとても大事です。なぜなら親が生きようという意欲を失うと、子育てを放棄したり体調管理の悪さから病気になったりして、結果、子どもが貧困に陥るからです。

先日、衝撃的な事例を聞きました。

3才の子どもが、親が病気のため家で世話をしてもらえないからと、自分のおむつなどが入った通園袋を引きずって保育園に来たというのです。もちろん一人でです。

今の日本で、たった3つの子がおむつを引きずって一人で道をてくてく歩いてくる光景が想像できますか? しかし保育士の方によれば、そう珍しいことではない、と。母親はシングルマザーなのですが病気で起き上がれなかったのです。

以前、父子家庭で暮らす小学校低学年の子どもが父親の虐待に耐えられないと、埼玉県下の児童相談所まで電車に乗って訴えにいったケースに接したことがあったので、こうしたこともありうるだろうなと思いました。

たとえ3才であっても、もうどうしようもなくなったら、自分の知っているところに助けを求めざるをえない。この子は、歩いて行ける場所に保育園がある、保育園に行けばご飯が食べられるし気持ち悪いおむつも何とかしてくれる、と、つながったんでしょうね。保育園がセーフティーネットになったケースです」

“自己実現”という言葉の中には、「“親”として生きる」というだけではなく、「“市民”として社会とかかわって生きる」ということも含まれている。

3才の子が一人で起きて幼稚園に

森田先生は、20年くらい前にかかわった、ある父子家庭の話をした。父親はトラック運転手をしており、その子も3才だった。小学1年生の兄と2人兄弟。

「その家庭では、父親は深夜のトラック運転手をしていて朝はいないため、3才の子が一人で起きて、小1の兄と一緒に幼稚園まで歩いて行っていました。なぜ保育園ではなく幼稚園だったかというと、すぐ近所だったから通わせやすかったというのです。おそらく朝ごはんも食べてなかったでしょうね。小1の兄は不登校になっていました

けっして父親は虐待をしていたわけではなく、子どものために必死に働いていました。そのお父さんの言葉が忘れられません。

『時々来てほしいなあ、こうして先生と話がしたいなあ』と。

孤独だったのだと思います。経済的には貧困ではなかったのですが、子どもがケアを適切に受けていないということでは貧困状態であったともいえます。とても支援の必要なケースです。

とくに父子家庭だと、地域のサービスに疎いのです。子ども4人を置いて母親が蒸発した父親から相談を受けたこともありました。

その父親は、自分は働かなければならないし子どもを放っておくわけにもいかず、子ども4人の面倒を様々な民間の保育機関で見てもらうのにひと月30万円くらいを払っていました。そのため、給料がほとんど育児に使われ、貧困状態に陥っていました。それでも公的な助けを求めようという発想がなかったのです

親族とも疎遠、地域からも孤立した母親の教育虐待

今年6月に森田先生が東洋大学で開催した公開講座「「子どもの貧困」はなぜなくならないのか-当事者と考える-」では、子ども時代に貧困の当事者だった人たちが登壇して自身の体験を語った。その中に、母親から教育虐待を受けた男性がいた。

26才の男性、Aさんは、小学5年生の時、児童養護施設に入所した。幼い頃は私立小学校に通うほど経済的に恵まれた家庭に育ったが、母親の父親へのDVがひどかったという。

小学2年生の時に父親が自殺し、母親の有り余るエネルギーが彼に向くようになり、ドリルを3分で解かないと叩かれるなどの教育虐待が始まった。

それは命の危険を覚えるほどで彼は何度も家出と警察による保護を繰り返し、小学5年生で児童養護施設に入所することとなった。

施設での生活は天国のようだった。しかし、どこか主体的に生きているという実感がなく、自分が何かを選択しできるようになるという思いや将来への希望を持つことができなかったという。

当時、児童養護施設は高校卒業とともに出なければならなかったが、Aさんは将来像を思い描くことができなかった。将来展望を抱けぬまま高校を卒業したAさんは、アルバイトをしながら自立援助ホームで将来を考える日々を送っていた。

ある時Aさんは、ある社会起業家が自分の夢を語るイベントに参加した。そこで彼は、周りの人と彼との決定的な違いを知った。ほかの人は皆、「自分はきっとできる」という自信を持っていたのだ。

そこでAさんは一念発起して大学進学を決意、周辺の人々に支えられて給付型の奨学金を得ることができ、無借金で大学を卒業、現在は希望の職につき、働いている。

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Aさんの母親は、自身の母親(つまり彼にとっては母方の祖母)を含めた親族とも疎遠だったという。また、地域の中でも孤立していた

そのため、彼の置かれた境遇は周囲には気づかれることはなく、彼は家出を繰り返すしかなかったのだ。

親に対する援助というより、子どもの成長を補う援助を

このように、「子どもの貧困」といっても、経済的支援だけでは済まない場合が多くある。また、多くの場合、子どもの声を直接聞く形にはなっておらず、親を通して支援する形になっている。

しかし、親が生きる意欲をなくしている場合、家計を援助しても、親が子育てにその援助を使おうという意欲がなければ、おむつを替えよう、ミルクを与えようということには結びついていかないと、森田先生は言う。

そこで森田先生が考えているのが、世帯収入を補うというより、子どもが成長していくための最低ラインに注目して、子どもの力と親の養育力を足しても子どもの成長の最低ラインを割り込む時には社会的に様々な支援をし、最低ラインが維持できれば援助を止める、といった細かな支援をしていくことだ。

森田先生の考える支援の構造

たとえば親が病気になれば育児支援を足す、病気が回復して働けるようになれば支援を減らす、子どもが成長して自分で自分のことができるようになれば支援を減らし、入学費用など必要な費用が出てくれば支援する。

つまり、子どもの成長を見守り、一緒に親子の生活に寄り添うこと、単に親の貧困を救うのではなく、子どもの権利が保障され、一人ひとりがもつ最大限の可能性を具体化し成長していくために最低限必要なラインを見極め、適宜支援を足したり引いたりしていくものだ。

森田先生は、「子どもの権利に着目した継続的な支援が必要なのです」と語っている。

(次回「児童養護施設出身の男性が無借金で大学に行けた理由」)

*東洋大学では12月16日土曜日、「子どもの貧困の解決策を支援者と探る」と題したオープン講座を予定している。

森田明美
もりた・あけみ 東洋大学社会学部教授、東洋大学社会貢献センター長
子どもの権利を基盤にした児童福祉学を専門とする。数多くの自治体の子ども・子育て支援計画、次世代育成支援行動計画策定などにかかわり、東日本大震災をきっかけとした家庭環境や友人関係の変化が子どもたちの生活や心にどのような影響を与えているかについての現地での子ども参加型調査も行っている。

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取材・文・写真(近影)/まなナビ編集室(土肥元子) 写真/beeboys/ fotolia