渡航経験も学歴も少なく、英語を堪能に話せるとよく聞かれるのが、「どうして、そんなに英会話ができるようになったの」か。私自身もよく分かっていないが、大抵は「そう強く望んだから」と答える。
私の家族は純日本人で、英語話者も専門的に英語教育を受けた者もいなかった。むしろ現代の英語教育重視には便乗しなかった方だ。だから、幼少期の私のまわりに英語の教材と呼べるものはほとんどなかった。せいぜい月に一度だけ小学校で行われた英会話教室のみ。それだけで英語学習に興味を抱く生徒はごくわずかだっただろう。その頃はまだ英語が指導教科でなかったから。私もその一人で、英語なんて将来それほど役に立たないと軽蔑していた。きっとそのまま成長していたら、皮肉にも、受験のためだけに英語を頑張る「ジャパニーズ・イングリッシュ・スピーカー」になっていただろう。
そんな私も、映画だけはアメリカ製を好んで観ていた。ある時、年上の姉が「ハイスクールミュージカル」というティーン向けのミュージカル映画を借りてきて、家族そろって観た。その映画は吹替版でも歌のシーンだけは英語と日本語字幕に切り換わるのだが、何とも言い表せない感動に包まれたのだ。後のち日本語版で確認しても、あの時ほどの感動は沸き起こらなかった。そこで、やはり英語には独特の魅力があると気づいたのだ。私にとって、英語は最も感情的に訴えかける言語だと。あの頃は断言できなかったが、今思えば、私は、言語とは、想いを伝えたいと思って初めて習得できるものだと考えていた。
私はすぐにでも英語を学習したいと思った。しかし当時の私は知識もなく、経済的にも厳しかったため、英会話スクールに通うことはできなかった。それでも私は諦めきれず、独学で学ぶことを決意した。英語教材を購入するお金もないほどのスタートで、正直、私は困惑していた。
まずは先ほどの映画のセリフから覚えようと、何度も繰り返し再生した。元々、歌謡曲が好きな私にとって、ミュージカル映画は最適だった。映画を観ていない間も音楽が脳内でループしていたため、一日何時間と数えずとも自然に勉強することができた。
ただ、英文法の勉強だけは進められなかった。やっと始めたのは中学入学後、アルファベットからの英語の授業だった。幸いにも、その英語教員との相性が良く、三年間で日常会話程度の英文法を習得できた。
高校進学後、英語を専門的に扱おうと考えた時期もあったが、結局は違う進路に着いた。しかし、英語学習に力を入れた時期が無駄だったとは思わない。一つの物事に継続的に取り組むという、人生において得がたい経験ができたからだ。一つのことに躊躇わず集中できる環境があるのは、学生時代ならではだと私は思う。それが将来に直接的に役立とうと、そうでなかろうと、私は英語学習に費やせたことを誇りに思っている。そして、そんな出会いを与えてくれた「語学」に、私は心から感謝している。
英語を私から奪わないで
アンQさん(23歳)/東京都/最近ハマっていること:はちみつティスティング