週4日は早稲田に通い、残り3日はレジュメ作り・論文執筆
67才で早稲田大学文学部大学院文学研究科日本語日本文学コースの修士課程に在籍することとなった森さんは、いま週に4日、早稲田に通う生活だ。残りの3日は何をしているかというと、ゼミの発表のためのレジュメ作りや研究論文の執筆。毎日研究に明け暮れるハードな毎日だ。
「今振り返ると、科目等履修生(特定科目を現役大学生・大学院生と一緒に受けられる制度)の時は“お客さん”扱いだったと思います。興味のある授業に出ていればいいんですから。大学院はまるで違いました。ゼミに入って主体的に学び、師である指導教官の示唆を受けて論文のテーマを決定し、取り組みます。しかも2年間で最低32単位取らなければならないのですが、各科目でそれぞれ発表の当番もまわってくる。図書館で資料を調べて、自宅でひたすらレジュメを作る。何科目か重なると、毎週のようにレジュメを作ることになり、気づいたら徹夜していたこともありました。この年で徹夜、と、自分でも驚きました。なんだ、この年になってもできるじゃないかって」(森さん、以下「 」内同)
月・水・金は授業で、土曜日もゼミの勉強会。週4日は学校に通う規則正しい生活。残りの3日もそのための準備に終われ、ダラける暇はなかったという。
蕪村の手紙を読み解く会にも
「でもね、勉強は本当に楽しいんです。まだまだ知りたいことがたくさんあって、自分でも困るほどです。大学には、学科や講座を超えた、有志による研究会がたくさんあって、私も20人ほどの有志組織で結成された『手紙の会』に入っています。月1回集まって、早稲田大学中央図書館の南大曹(みなみだいそう)コレクションに所蔵された、江戸時代の文化人の手紙を解読していくというものです。
俳人の季吟(きぎん)、蕪村(ぶそん)、暁台(きょうたい)をはじめ、浮世絵師や武人などさまざまな文化人の手紙が残っています。手紙ですから一通一通が天下にひとつしかない。その貴重な手紙を、書いてある内容や筆跡から読み解いていくんです。たとえば日付も、月と日しか書かれてないので何年に書かれたものかを特定することから始まったり、その手紙が書かれた背景は何か、など、さまざま推理することが多く、それを翻刻(ほんこく=活字化すること)するのはスリリングな体験です。皆で批判し合うのもまた面白いですね」
大変だった論文の最初の一文
森さんはすでに2本論文を発表した。ひとつは広瀬旭荘(ひろせぎょくそう)という江戸後期の漢詩人についてのものだ。『江戸風雅』14号(平成28年11月刊行)に掲載された。そしてもうひとつが、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)という江戸時代中期の儒者についてのもので、『近世文芸 研究と評論』92号に掲載された。
「論文は最初の一文を書き始めるまでがほんとうに大変でした。役所にいたときはいろいろな部署でさまざまな仕事をしましたが、こうした論文でなくとも、自分の考えをこのような形で書く経験はほとんどなかったんです。ただ自分の思いを書けばよいというものではなく、テーマに関する資料を入念に調べ、論点を具体的に絞り込まないといけないので、準備が大変なんですよね。ゼミでの発表の準備をしながら、論文の準備を進めなければいけないのがきつかったです」
森さんが修士論文に選んだ人物は、江戸時代後期の漢詩人で、勤王の志士として知られる梁川星巌(やながわせいがん)だ。彼は幕末、頼山陽(らいさんよう)や佐久間象山(さくましょうざん)とも交流し、勤王の志士を束ねる人物だった──。そうした画一的な見方だけでなく、森さんは、梁川星巌に新しい人物像を提示したいという。
「明治維新後、江戸文化を過小評価していた時期があって、星巌についても一面的な研究しかなされてなかったので、それを再度考証したいと思っています」
体の使い方、頭の使い方、時間の使い方が違う
高校時代に見て感動し、30代から見始めた歌舞伎。そこから浮世絵や江戸文学に興味を持つようになり、50代に古文書講座に通いはじめ、そこで今の師となる先生に出会い、65歳で退職してすぐに早稲田大学の科目等履修生となって翌年には大学院に進学した。森さんにとって学びとは何なのだろうか。
「どんな仕事でも、チームで動きますよね。全部を一人きりでやることはほとんどありません。しかも管理職になると決済だけ任されて、さらに蚊帳の外となる。でも、学びの場は違うんです。最初から自分で調べ、自分で字を書いて、自分が発信する。体の使い方、頭の使い方、時間の使い方がまったく違います。しかも、目の前に先生が立っていて、周りには仲間がいて、さまざまなアプローチ方法を体感として知ることができる。これは初体験に近いものでした。
仕事は仕事で本当に意義のあることです。でも学ぶことは、人間にとってもっと大切な要素だと思います。人間は完成形ではないけれど、誰にでもこうなりたいと思う姿があるでしょう? それに向けて努力していくということが、学びなんじゃないかと思うんです。人は死ぬまで出来上がらないから、死ぬまで学ぶものだと思います。私もそうするつもりです」
(終わり)
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取材・文・写真/まなナビ編集室