まなナビ

自信をくれたインドネシア語〈金賞受賞作文〉

インドネシアの首都ジャカルタの街並み (c)fCreativa Images/fotolia

不思議なことではありますが、日本人は中学から習い続けた英語より、大学や社会に出てから習った外国語の方がたとえ下手であっても自信をもって話せる傾向があります。やなぎあきこさんはこの作文でその理由を自身の体験から語っておられます。その言葉は、大人になってから新たな語学を修得しようとする方への大きなエールとなることでしょう。

苦手な英語が通じない国で

 英語で落ちこぼれ始めたのは中学2年生のときだった。

 単語や熟語を覚えるのは得意だったので中学1年生のときまでは何とかついていった。

 しかし文法が複雑になった2年生の2学期、英語のテストで半分もとれず、それ以後ずるずると、どうする手立てもないままに、本当にずるずると落ちこぼれていったのだった。

 高校に入ってからも相変わらず単語と熟語を覚えるだけしか能のない私は、構文も文法も理解しないまま力づくで暗記をして、中の下くらいの大学にすべりこんだ。

 国語と世界史が得意だった私は、英語さえなければもう2ランクは上の学校にいけたのに!と悔しくて仕方がなかったことを覚えている。

 入学したのは経済学部。

 大好きな文学系の学科は英語の配点が高かったため、配点がすべての教科で同じだったがあまり興味のない経済学部に進むことになった。

 学びたい学部より大学に入学することを優先したのも苦手な英語のせい。

 英語のために何をやってもうまくいかない……。そんな思いが強くなっていった。

 そんな私はどのような運命のめぐりあわせか、30歳を過ぎたころ、日本語教師になりインドネシアで教えることになった。

 「海外=英語」というイメージで縁遠いと感じていた外国。自分でも驚きだった。

 しかも、インドネシアは英語があまり通じないので最低限のインドネシア語を話せなければ暮らしていけないという。

 英語が通じない国。

 それがとてつもなく心地よく響き、ここでなら外国でもやっていけるのではないか、と淡い期待を抱くようになった。

 はじめて手に取るインドネシア語のテキストも私に希望を与えてくれた。

 インドネシア語には英語のような時制がない。過去も未来も動詞に変化がない。

 過去だったら「昨日」、未来だったら「明日」などの単語をつけるだけだ。

 発音も舌を丸める必要がなく日本語のようなローマ字読みでどんどんいける。タクシーなら、日本語読みで「タクシ」である。

 インドネシア語は私の肌に合い、6年の滞在の間に語学力はビジネスに支障がないほど上達した。

「できる」という思いが自信につながる

 そして面白いことに気づいた。英語の話せる人は何年滞在してもほとんどインドネシア語が話せないままだったということだ。

 庶民の生活ではインドネシア語が欠かせないがビジネスでは英語はある程度は通じてしまう。

 だから英語のできる彼らにはインドネシア語を学ぶ必要がなかったのだ。

 そして30代の半ばを過ぎて私は帰国することになった。大きな語学への自信と一緒に。

 インドネシア語を学ぶ過程で一つ気づいたのは、語学に対する潜在意識の関りだ。

 私はいつもインドネシア語を話すときには無意識に「私はできる」と思いながら話していた。どんなにつたなくても、である

 しかし、英語を話すときには、ほんの単語一つを口に出すときにでも「私はできない」と思って話していたのだ。

 「英語はできない」という潜在意識が英語を苦手にしていたのか。

 たったそれだけだったのかという思いとともに中学2年生から始まった英語との長い苦闘が思い出された。

 今、インドネシアから帰国して10年が過ぎ、年齢も40代も後半に差し掛かった。

 驚くべきことに、1年前から英語の学習をはじめ、なんとなく続いている。しかも少しだけだが話せるようになってきた。それだけでなく英語を好きになってきた!

 まだまだ無意識では難しいが「私はできる」と思いながら学んでいる。

 インドネシア語の学びがもたらした「私はできる」という自信が大きく影響していると思う。

 インドネシア語での経験は、天敵だった英語まで味方にしてくれそうで、これからの上達を楽しみに学びを続けていきたい。

 

やなぎあきこさん(47歳)/千葉県/最近ハマっていること:童話創作 イラスト

(編集室が文字の修正や改行などをしています)

 

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