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脳が老化したマウスに与えられていたエサは?

スクリーンに映し出された2匹のマウス。うち1匹は、物覚えが悪く、足取りもおぼつかない。人為的に脳を酸化させたマウスだ。わたしたちもぜひ注目したい、脳を酸化させない方法とは?
(前の記事「なぜ脳は身体より先に老化してしまうのか」より続く)

浅瀬にたどりつけるマウス、たどりつけないマウス

 芝浦工大システム理工学部生命科学科の福井浩二先生による「脳の老化」講座。約1時間半が過ぎ、抗酸化成分を摂るという身体の酸化を防ぐという対策も示された。次に登場したのが、マウスを用いた実験の様子だった。

スクリーンに映し出されたのが、左右2つに分かれた画面だ。どちらも同じ円形が映し出されているが、よく見ると円形プールを上から撮影したもので、中でチョロチョロと泳ぎ回る白いマウスの姿が見える。どちらのプールにもマウスの足がつかないほどの水が満たされている。だが、それぞれ一カ所だけ、プールの右上あたりに透明な支柱が設置されている。マウスがひと息つくことができる“浅瀬”だ。マウスは毎日このプールを泳がされ、あちこち泳いだ末にこの浅瀬を見つける。プールには○や□、△などの印がついており、それを手がかりに場所を覚えるのだ。何日も繰り返し訓練を続ければ、即座に浅瀬に向かうようになる。学習するのだ。

2つの画面には、すでに学習を積んだマウスが泳ぐ様子が映し出された。だが、左右2匹の動きは明らかに違う。左側のプールのマウスは浅瀬にまっすぐに向かい、すぐにそこでひと息ついた。だが、右側のプールのマウスはあちこち泳いでもどこにもたどり着けない。

2匹とも月齢や訓練期間など条件は同じ。違うのはエサだ。

左側のマウスが与えられたのは通常のエサだが、右側のマウスが与えられたのはビタミンE抜きのエサだ。ビタミンEは抗酸化作用がある。それを抜いたエサを与え続けられたため、脳の酸化が進み、物覚えが悪くなったのだ。

会場からざわめきが起こった。この日、最も記憶に残る場面だった。

必死に泳ぎ続けるマウスは、円形プールの縁を反時計回りに必死にたどっていくが、浅瀬を見つけることはできない。ほら、すぐそこだよと声をかけたくなる。歩き始めた我が子を見る気持ちだろうか。いや、私もほかの多くの人も、そこに見たのは、年老いた自分の姿だろう。

脳の酸化は、エサだけが原因ではない

次に現れたのも2つの画面。だが、今度はプールではなく、ふつうの小さな部屋だ。どうやらそこにいるのはラットらしい。2つとも部屋の大きさは同じ、そして今度はエサも同じだ。違うのは、右側の部屋には、ラットが乗ってクルクルと回って遊べる遊具が置かれていること。左側の部屋には何もない。果たして差が生じるのだろうか。

しばらくこの環境で育てた後、またあのプールで実験を行う。遊具を置いた部屋のラットのほうが賢かったという結果が出た。

「動物園でも”環境エンリッチメント”の考え方が取り入れられてきました。この実験でもその効果がわかると思います」(福井先生)

無味乾燥な檻ではなく、樹を植え、水場をつくるなど環境を改善することで”飼育動物の幸福”を図るのが環境エンリッチメント。多くの動物園が採り入れている。話題は動物だが、言わんとするところは明白だ。人間でも同じ。豊かな環境で生きがいがあれば、人は充実して暮らせる。だが、刺激のない平坦な毎日ならば……。

続いて映し出されたのが、2匹のマウスがローラーの上で走る光景だ。左がふつうのマウス、そして、右がアルツハイマー病を自然と発症するように遺伝子操作されたマウスだ。ローラーの回転スピードが遅いうちは、どちらもその上を器用に走っている。だが、ローラーのスピードが速くなるにつれて、右側のアルツハイマー病のマウスはついていけなくなる。ヨロヨロとした足取りになってローラーから遅れ始め、転げ落ちそうになるが、必死に立て直す。が、ついには振り落とされてしまう。

これは福井先生がふだん行っている実験のひとコマだ。映っていたのはあくまでマウスやラットだが、多くの人は親や知人、そして将来の自分の姿を重ねたに違いない。強い印象を残す映像だった。

何歳からでも遅くない、抗酸化成分の摂取

満杯の会場の受講者の多くは中高年だ。やはり健康への関心は高い。その後の質疑応答でも、時には矛盾する健康情報とどう向き合えば良いのか、とまどう人たちの様子がうかがえた。

最初に手をあげたのが60代と思われる男性だ。「運動して本当に大丈夫なんですか?」という問いだった。

講座では、酸素消費量が多ければ、身体の細胞の酸化が進み、老化が進むという話だった。健康のために運動が推奨されているが、運動すれば酸素を多く消費し、返って老化が早めるのでは? という主旨だ。何もしないのが一番なのか。朝遅くまで寝ているのは健康のためだと、家でまた語るネタ(言い訳)ができたかに思えたが、甘くはなかった。

福井先生によれば、確かにプロレスや大相撲、アメリカンフットボールなどの選手は短命の傾向があり、それは激しい運動や訓練により、酸素消費量が多いためと考えられる。だが、ふつうの人が歩いたりジョギングしたりすることは何の問題もないという。

「私の話を聴いてよく学生が言うんですよ。山の上の酸素の薄いところでずっと寝ていれば一番いいんでしょって。勉強して頭を使うこともいけないんでしょって。そんなことはありません!」(福井先生)

私の言い訳は、その学生たちと同じ間違いだったようだ。運動せずに肥満になれば、脳からの分泌物質が変わり酸化を進める。やはり「適度な運動」は欠かせないのだ。

質問はその後、健康食品や健康飲料、さらに健康法全般へと広がって行く。中には首を傾げたくなる健康食品や健康法の質問も飛び出す。だが、少しでも可能性があるならむげに否定はできない。表示と内容が違うように明らかに怪しそうなものもあるので注意が必要と、福井先生は事例をあげながら慎重に答えていく。福井先生は「脳の老化(酸化)」の研究者であって、健康食品や健康法の専門家ではない。会場にいる人たちもそれはわかっていても、聞かずにはいられないのだろう。次はどんな質問が出てくるのだろうと、こちらがドキドキしながら聞いていると、案の定、また、突飛な質問が飛び出した。ピンピンコロリだ。

どうすれば、ピンピンコロリができるのか?

講座では、サルのエサを減らしたところ、長生きしたという研究が紹介された。酸素消費量が抑えられたからだ。マウスでも同様の結果が得られた。ならば、しっかり食べると酸素消費量が増え、老化が進むのか。しっかり食べるから健康に過ごせて、酸素消費量が増えるからある日、突然に寿命を迎える。それがピンピンコロリなのか? という質問だ。

ピンピンコロリとは、健康なまま寿命を迎えたいという多くの人の願望(理想?)であり、確かに時折、そのように死ぬ人の話は聞く。だが、今日の話と結びつくのか。心配して福井先生を見ると、意外にも”我が意を得たり”と語り出した。

老化には「生理的老化」と「病的老化」の2つあるが、「病的老化」を防ぐようにすれば、寝たきりにもならず、また、認知症などにもならず、健康なまま暮らし、ある日、「生理的老化」による寿命を迎えられる。それがすなわちピンピンコロリだ。

多くの人が望む”死に方”とは、実は「脳の老化」の研究者が勧める「病的老化」を防ぐことにほかならなかった。

そして、次の質問はより核心に迫るものだった。「この歳で何か始めて間に合いますか?」という60代と思われる女性の質問だ。

年齢とともに人間の身体の中には酸化物質がたまり、それが「病的老化」の原因となる。60年以上、たまりにたまれば、今さら対策を採ったところで無駄なのではないか。それが女性の質問だった。福井先生はこの日、最もはっきりした口調で断言した。

「決して遅くはありません。今から何か始めることには意味があります」

断言するのには根拠がある。自分で研究をしたからだ。マウスの実験では、若い時から抗酸化物質を与え続ければ脳は賢くなり、与えなければ脳が老化(酸化)していった。しかし、充分に抗酸化物質を与えられずに育った老齢のマウスでも、ある時から抗酸化物質を大量に与え始めると脳が賢くなっていった。確かに若い時から与え続けたマウスにはかなわない。だが、何も対策を採らなかったマウスに比べれば、違いは明らかだった。

「どうです? 明るく夢の持てるデータではありませんか!」(福井先生)

会場にどよめきが起こり、やがてあちこちで拍手がわき起こっていった。福井先生はこの日、一番、うれしそうに笑った。

1日1杯弱のワインから始めよう

講座を聴いて日頃の不摂生を海よりも深く反省し、これからは規則正しい食事と規則正しい生活を送ろうと心に決めた。ただし、根本から立て直すのは相当難しい。その点、始めやすいのがワインだろう。抗酸化成分のポリフェノールが含まれている赤ワインを、毎日飲む。122歳まで生きたフランス人女性もたしなんだそうだ。

「ただし1日1杯ですよ、私はイッパイ飲んじゃうんですけどね。アハハハハ……」。会場中を沸かせた福井先生のギャグが忘れられない。この先生なら信頼できる。これで老後は安泰! という考えが甘いことは百も承知だが、とにかくすぐに始めることに意義がある。

〔この日の3ポイント〕
・身体の老化(酸化)を防ぐには、抗酸化成分を摂る
・身体の酸化を気にするあまり、通常の生活を犠牲にする必要はない
・ピンピンコロリとは「病的老化」を防止した結果。科学的に説明できる

〔講演中の今日イチ〕たとえ歳を取っても、今から「抗酸化成分」を摂れば効果がある

〔大学のココイチ〕福井先生の研究室がある芝浦工大の大宮キャンパス。樹木に囲まれ春の桜も見応えがあるが、中に一カ所だけ白い桜が咲く見所がある。

〔前の記事〕なぜ脳は身体より先に老化してしまうのか

 

取材講座データ
脳の老化ってどんなこと? 芝浦工業大学公開講座 2017年1月14日

2017年1月14日取材

文/本山文明 写真/adobe stock

〔関連講座〕脳にきく色 身体にきく色 ~思わず誰かに話したくなる、おもしろサイエンス!~