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本当は怖い日本の宗教。伊勢参りから宮沢賢治まで

伊勢神宮が、日本一権威のある神社になった理由

現代人にとって「宗教」は冠婚葬祭や初詣くらいしか馴染みのないものであるからかもしれない。しかし古来日本の歴史を紐解けば、私たちの生活の隅々にまで関係していることがわかる。宗教学者の正木晃先生(慶応義塾大学講師)による講座「宗教はなぜ戦うのか」では、近代における日本の神道と仏教についての関係性について語られた。

イスラム教やキリスト教だけじゃない! 実は怖い日本の宗教

「宗教」という言葉を聞いたときに、多くの人は何を思い浮かべるだろうか。荘厳で神々しいものや、和やかで慈愛に満ちたもの……。だが、これに対して、「普通の人が思っている以上に、『宗教』とは人間にとって恐ろしい存在なんですよ」と語るのは、早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校の講座「宗教はなぜ戦うのか」を担当する宗教学者の正木晃先生(慶応義塾大学講師)。

人類の過去を振り返ってみても、イスラム教のジハードやキリスト教の十字軍遠征など、宗教を掲げた戦争は過去に多数起こっている。

「宗教はそれ単体では怖いものではないかもしれませんが、時代の為政者にとっては非常に都合のよい大義名分として利用されやすいものでもあります。たとえば、昨今のISをはじめとするテロ行為などでもわかるように、『宗教』という大義名分があると、人間はなんでもできるようになってしまう。戦いを興す際、『自分たちの主張は絶対的に正しいものだ……』と信じ切り、その流れに乗らない人は反宗教的であり、倒してもよい……という論理が生まれてしまう。だから、宗教の歴史は戦いの歴史の連続でもあるんです」

「宗教=戦い」というイメージは、日本の宗教は無縁な印象を抱くかもしれないが、実は日本でも、過去に「戦い」に宗教が利用された過去があるという。

その例として、正木先生が例に挙げたのが「神道」。『古事記』や『日本書紀』などで描かれる八百万の神々にはじまり、日本古来の宗教……と感じてしまうが、正木先生曰く、「昔の神道は、いま残っている形とはだいぶ違うものだった」とのこと。それはいったいどういうことなのか。

観光地だった伊勢神宮が、日本一権威のある神社になった理由

「日本古来の宗教といえば、神道を上げる人多いですが、いま残っている神道は、明治時代に始まった天皇制と神道を結びつけた『国家神道』の影響を色濃く受けたものが多いんです」

では、まず昔の神道とはどんなものだったのか。

「たとえば、安芸の宮島の厳島神社は、明治初年までは、神様の本地仏として十一面観音を祀っていました。鎌倉の八幡宮でも、境内にたくさんお寺があったのです。もともと日本では、仏教と神道はとても密接に結びついていたのです。いわゆる神仏習合です。明治以前の神社の絵などを見るとわかりますが、もともと神社とお寺が併設されていたり、神社に仏像があったりと、仏教の影響が色濃かったのです。」

なぜ現代のように、神道と仏教は、明確に違うものとして位置づけられるようになったのか。その大きな要因となるのが、明治政府が行った神仏分離と廃仏毀釈運動だったという。

「当時の日本は、江戸時代に終わりを告げ、将軍が統治する江戸幕府から、天皇を頂点とする新たな国家体制に転換しました。その結果、天皇を頂点として、日本という国をひとつにまとめるための手段として、『神道』という宗教を利用しようとするんですね」

国家神道が生まれたのは、まさにこのころ。現在神社で行われている神事の数々も、明治以前は僧侶の業務の一環とみなされることが多かったが、それもきっちりと分業され、一部の僧侶は神官へと転向。また、神社に設置された仏像や仏具なども破壊されることになる。

そして、国家神道が、これまでの神道と大きく違った点は、伊勢神宮を頂点として、皇室祭祀や天皇崇敬のシステムと神社神道が組み合わされるようになったという点。これが、日本の多数の国民の精神生活に、大きな影響を及ぼしていく。

「伊勢神宮があらゆる神社の頂点として祭り上げられるようになったのは、まさにこのころ。伊勢神宮は『お伊勢参り』などに代表されるように、古くから日本人の間では参拝の対象ではありました。ただ、実は伊勢神宮の内宮と外宮の間にはたくさんの遊興町、つまり遊郭があり、『参拝』と同時に『観光』『遊び』の要素も強かったんです。また、天照大神の性別も、いまでこそ『女神』として位置づけられていますが、当時は男神と考えられていたりと、かなり定義もあいまいなものでした」

宮沢賢治も傾倒した新興宗教

国家神道による国民の一体感を盛り上げるのに、さらに一役買うのが、「戦争」だ。

「日清戦争に始まり、この時期日本は海外との戦争が増えていきます。いまでこそ、戦争は多くの人命を奪う悲惨なものだと認識されていますが、当時の国民にとって戦争は『お金になるもの』という認識もありました。実際、軍人恩給が出たり、好景気になっていたりしたため、国民の間でも『戦争は良いものである』『戦争は生活を楽にするものである』という風潮が無いとは言えませんでした。でも、戦争をするためには、国家が一丸となる必要がある。そこで、国民の間でも、個人に重きを置くのではなく、『国家第一』とする思想がどんどん高まっていくのです」

そして、盛り上がりを見せた国家神道は、一般市民主導の新興宗教へも影響をあたえていくことに。こうした新興宗教に傾倒する人々のなかには、日本を代表する童話作家として有名な宮沢賢治の姿もあったという。

「宮沢賢治は、法華経と国家主義が合体して生まれた国柱会という新興宗教の熱心な会員でした。一説によると、国柱会の幹部に、『君は童話を通じて、世の中に仏の心を知らしめなさい』と勧められたからこそ、あのような童話を生み出すことができたのではないか……と言われています。実際、宮沢賢治は自らの作品を「法華文学」と呼んだり、知人に送った手紙のなかに「これからの宗教は芸術です。これからの芸術は宗教です」と綴ったりすることもあったという。このように彼は非常に熱心な信者で、死の床でも曼荼羅を手元に置き続けていましたが、その反面、他の会員とはどうしてもなじめず、友人は一人もできませんでした。この事実は、賢治の内面を考えるうえでとても重要です」

宮沢賢治の残した数々の作品が、いまだ愛され続ける理由のひとつが、『雨ニモマケズ』に代表されるような、慈悲深く、無欲な自己犠牲ぶりだが、その根底には、国家主義に基づく新興宗教に対し、複雑に揺れ動く思いが流れていたのだ。

〔今日の名言〕 「すべての宗教に戦いの論理はある。戦争を起こす上で、為政者にとって宗教が一番かつぎやすい対象になる」
〔受講生の今日イチ〕「天照大神が昔は男神だと考えられていたなんて、知らなかった!」
〔大学のココイチ〕八丁堀校は、下町では有名な旧・京華小学校。1999年に放映された「マナカナ」こと、三倉茉奈と三倉佳奈が出演したドラマ「双子探偵」のロケ地でもある。

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事件と人物から読み解く日本宗教史

 

取材講座データ
宗教はなぜ戦うのか 戦争と自死をめぐる宗教学入門< >早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校 2016年度秋期

2016年12月15日取材

文/藤村はるな 写真/Adobe Stock