日本ほど怖い話が流行しなかった中国・韓国
「日本人は古代からずっと、幽霊・妖怪の話、怪談話が大好きなんですよ。とくに大流行するのは江戸時代です」と佐伯先生。
では、同じ東アジアの中国や韓国は、どうなのだろうか。
「中国・韓国にも昔から怪異譚(かいいたん)はありました。日本の文学は大陸文化の影響を強く受けていて、江戸時代の『雨月物語』(上田秋成作)のネタの半分は、中国の小説からとられたものです。なのに、中国・韓国ではそこまで怪異小説が流行しなかったんです」
佐伯先生はその大きな理由は、識字率と大衆文化の成熟度の違いにあるという。
韓国では特権階級のものが、日本では庶民の娯楽だった
「中国や韓国は近代以前に、江戸のような大衆文化が花開いていませんでした。とくに韓国は識字率が極端に低く、出版物なども日本とは印刷方法が違うこともあって発行部数が少なかったのです。そのため韓国では、怪異譚を楽しんでいたのは支配階級である両班(やんばん)に限られていて、庶民までは広がりませんでした。中国も同じような状況にありました。
それに対して江戸時代の日本は、三都(京・江戸・大坂)においては識字率は5割以上だったのではと言われているくらいで、庶民の多くは字が読めました。商家の丁稚(でっち)クラスでも、最低限の読み書き算盤はできないと商売にならなかったし、農村部でも土地持ちの本百姓(ほんびゃくしょう=年貢を納めていた百姓)は年貢の書類を作らないといけない。そのために寺子屋が広がって、識字率が上がったんですね。
また、平和が二百何十年も続いたことも大衆文化の成熟に寄与したと思います。政治的に安定しているなか、生産性も上がり、商業資本主義も広がって、庶民までが経済的に豊かになった。また、印刷技術が向上して大量印刷ができるようになり、出版文化が花開いたことも、文化が普及するのに大きな役割を果たしました。当時の日本は、文化や文学を享受する層で見れば、イギリスやフランス以上に基盤が厚かったと言えるでしょう」
江戸時代の人は幽霊を信じていた?
怪異ものへの熱狂は、出版だけでなく、絵画、芝居、落語などにも広がった。幽霊を描いた浮世絵が生まれ、歌舞伎では鶴屋南北の『東海道四谷怪談』などが上演された。果たして江戸時代の日本人は、幽霊や妖怪の存在を本気で信じていたのだろうか。
「江戸時代の日本人にとって“怪異”は、娯楽のひとつともなったんです。怪異をひたすら信じていたというわけじゃないんですよ。怪異を怖がるだけじゃなくて楽しんでもいたんです。その証拠に江戸の戯作(げさく=通俗小説のたぐい)に出てくる妖怪は怖いというより、滑稽でかわいいでしょう?」
佐伯先生は、江戸文学に通底するのは遊びの精神だという。遊びの表現手段のひとつが、“うがち”や“茶化し”だ。“うがち”とは、表には出てきていない本質的なことを軽く突くこと。“茶化し”とは、大事なことも冗談にしてしまうこと。江戸の人たちは、この“うがち”と“茶化し”で、正面きっては批判できない特権階級の侍や、知識人層である医師・僧侶などを笑いの対象にしてきた。その対象に、妖怪などの怪異も入れて笑いのめしてきたのだ。
「落語に出てくる幽霊も怖くないどころか、お人よしなんですよ。幽霊なのに人に騙されたり、復讐する相手の境遇に同情したり。もっとも、笑い話であるべき落語に出てくる幽霊が恐ろしかったら話になりませんけどね」
佐伯先生によれば、怪談話と笑い話は奥底で通じ合うという。人間の理性とか常識とかを外れたところで、人間の本質的な一面を描こうとしているからだという。
そもそも日本人の霊魂観はファジー
こうした、ある意味いい加減な怪異の楽しみ方は、日本人の霊魂観とも通じるものだという。
「日本人はあの世とか霊魂について、ものすごく多様な考え方を受け入れてきているんです。仏教が入ってくる前の神道的なもの、仏教が入ってきてからの仏教的なもの、さらに東アジア特有の儒教的な考え方、それに近代に入ってからはキリスト教的思想。これらをすべて自己矛盾なく受け入れて、他界観のようなものを作ってきました。よくいえば柔軟、悪くいうといい加減。ファジーなんです。だから、本来は怖いはずの怪異も、笑いの対象として茶化したりして楽しんだんですね」
文/まなナビ編集室