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拗らせ中国語

田中信子さん(47歳)/中国/最近ハマっていること:(中国語版Twitter)に中国語と日本語で日常のこと書く
 私の語学歴は拗らせている。本来語学は目的ではなく手段だ。習得した語学を使って交流を深めたり、働いたりする。しかし、私は中国語を学ぶために40代で日本語教師の資格を取り、単身中国遼寧省錦州市に渡った。語学に拗らされていると言った方がいいかもしれない。
 中学1年で早速つまずいた私にとって英語の授業は「気配を消し、透明人間になる方法を学ぶための時間」も同然だった。高校大学そして卒業してからも英語が全く話せない、基本的な単語も知らないというコンプレックスは付き纏った。何度も教材や英語をマスターした人の体験記を買った。しかし三日坊主。今から思えば、自分に合った勉強法を知らなかったのだ。
 そんな私に転機が訪れたのは、40歳直前だ。知人が居酒屋を始めるのにアルバイトが見つからないというので、駆り出された。それまで客商売をしたことがなかった私は乗り気ではなく、約束の2カ月間を少しでも楽しく過ごそうと始めたのが、中国人アルバイト仲間の馬さんから中国語を学ぶことだった。
 馬さんが最初に教えてくれたのは、「你好」でも「谢谢」でもなく、「厕所在哪儿?(トイレはどこですか)」。その次は「你喜欢不喜欢我?(あなたは私が好きですか)」だった。長過ぎる!と抗議したが聞き入れられず。「どうして『私はあなたが好きです』じゃないの?」という質問に、「自分のことは言わなくても分かる。」「外国に行ったら、トイレと相手の気持ちが一番大切!」と。馬さんは、今まで出会ったどの先生にもない発想の持ち主だった。この人は私にとって最良の先生かもしれない、そう思った。
 私はすぐに小さいノートと辞書を買い、中国語で日記をつけ始めた。「今日コンビニに行きました。ビールを買いました」と2、3日続けると馬さんは、「今日コンビニでビールを買いました」という書き方を教えてくれる。馬さんは、私の必要に応じて構文を教えてくれた。しかし、文法説明は一切ない。「何でって聞かないで。文法なんて知らない、母語だから。間違っていたら直すから、どんどん書いて」「丸覚えすればいい。その内分かるから」何度もこう言われた。無茶な話だが、なぜか反抗する気が起きず、辞書を引くのさえ楽しいと思えた。学生時代には味わったことのない感覚だった。
 馬さんがアルバイトを辞めた後も、中国語を教える作業は代々のアルバイト仲間に引き継がれた。そうして2カ月の約束のアルバイトが5年、店が閉店することになった時、それまで抱えていた「本場で中国語を学びたい」という気持ちが抑えきれなくなった。
 しかし、アルバイト生活者に留学する資金などない。私はハローワークの職業訓練を利用し、日本語教師の免許を取り、2015年錦州市に渡った。今は大学で日本語を教える傍ら、世界各国から来る留学生と共に中国語を学んでいる。第三者から見れば、何と拗らせていることか。
 日本語学科の学生とは日本語で話し、住まいも大学内なので中国語を使う機会は少ない。それでも、中国語で多くのことを知った。最も衝撃的だったことは、机を並べるアフリカの小国ブルンジの学生達が内戦経験者で、ほとんどが親を亡くしていたことだ。「両親が亡くなった時、長姉は小学2年生だった。その姉が小さい商売をして兄弟を育ててくれた。絶対に恩返しする」と聞いた時には、授業中にも関わらず涙が溢れた。
 私は中国に住みながら、アフリカを感じている。語学を学ぶということは、多くの人の体験や考え・想いを知ることではないだろうか。単語が覚えられない、文法が難しいと嘆く前に、旅行を計画するようにまだ見ぬ国、そこに住む人に思いを馳せていきたい。