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憲法で考える天皇の生前退位、トランプより強い総理

憲法を語る橋本基弘先生(中央大学法学部教授)

日本国憲法が1947年(昭和22年)5月3日に施行されてから、ちょうど70年がたった。憲法記念日が近づくと、いつも話題にのぼる憲法を私たちはどれくらい知っているのだろうか。そこで、中央大学で社会人を対象に憲法を教える講座を開いている橋本基弘先生(同大副学長・法学部教授)に、憲法についての話を伺った。

憲法には「幸福」という言葉が書かれている

――この「憲法入門-日常生活の視点から考える-」講座(中央大学クレセントアカデミー。5月19日開講)では、どのような話題が取りげられるのですか?

橋本:公開講座の受講生は社会人ですから、皆さんが興味を持つようなタイムリーな話題を提供したいと思っています。今年前期は、最もホットな話題である天皇の生前退位の話題と、選挙制度の話題を取り上げる予定です。90分の授業を3回行いますが、毎回、受講生から熱心な質疑が寄せられます。受講生の多くは、60代から70代の方で、定年退職後に改めて憲法を勉強していようという方が多いようです。

――講義にあたって、とくに意識されていることは?

橋本:憲法はわたしたち国民を守るためのものです。もっと憲法をわたしたちの暮らしに近づけるために、「できるだけわかりやすい、日常の言葉を使って、憲法を考えてみよう」と、5、6年前に始めたのがこの講座です。憲法はけっして私たちの日常生活と別のところにあるのではなく、私たちの暮らしや人生観に深くかかわっているのだということを、講義の端々に伝えていきたいと思っています。実際、「こんな条文があったの?」と驚かれることもしばしばです。

――それはどんな条文ですか?

橋本:たとえば「幸福追求の権利」というのが憲法13条にあります。「幸福」という言葉が法律用語として憲法に書かれていることに驚く方がたくさんいます。「では、あなたにとって幸せとは何ですか?」といった質問を投げかけると、自分にとっての幸せとは何かを考える。そして、「幸せは結局、一人一人が決めることだよね」という話になり、そこから「自己決定の権利」へと理解が及んでいく。すると、「生きるか死ぬか」「誰と結婚するか」「何を食べるか」、そういうことを決めるのは本人の自由だ、ということが憲法に書かれているのだ、ということがわかってきて、そこに日常生活と憲法の接点が生まれます。

「今の日本の内閣総理大臣の権力は絶大です」

アメリカ大統領と日本の総理大臣、どっちが強い?

――受講生の方が意見を出し合うこともあるのですか?

橋本:戦後の混乱期を生き抜いてきた方が多いので、平和の問題については議論が活発になりますね。また、婚姻制度の話題でもけっこう盛り上がりました。昨年、民法が改正されて、女性の再婚禁止期間が短縮されましたが、授業の中でも、「そんなものなくていいよ」という意見が多く出ました。また、夫婦別姓を話題に出したときには、受講生の70才くらいのご婦人が、「私は旧家の生まれで、自分の名字に大変愛着があったので、結婚して名字が変わることにものすごく抵抗感がありました」というお話を皆さんの前でされました。憲法の定める法の下の平等と民法の規定について意見を交わすなかで、他人の人生観とも触れ合うことになる。そういう機会を持てると、とても嬉しくなります。

――今年のテーマの大きな柱である天皇の生前退位についてお話しください。

橋本:天皇の「生前退位」についてはさまざまな意見がありますが、そもそも象徴天皇とは何かということから話し始めようと思っています。天皇の活動には、大きく分けて国事行為と私的行為があり、憲法に規定されているのは、内閣の助言と承認を受けて決められる国事行為だけなのです。しかし、現在の天皇はそれ以外に被災地訪問などの「象徴としての行為」(象徴天皇としての公的活動)に積極的に取り組んでおいでです。こうした行為は、憲法に規定がありません。

一方で、現在の天皇は即位のときに「日本国憲法を守り」と宣言されたように、憲法に対して非常に強い思いをお持ちです。その天皇が、生前退位を表明されている。また、この3月末には、ご自身の退位後は、国事行為を今の皇太子に引き継ぐと同時に、この「象徴としての行為」も今の皇太子や秋篠宮に引き継ぐ意向であることが報道されました。この「象徴としての行為」を、天皇にどこまでしていただくべきなのか。その問題は生前退位後も新天皇に引き継がれます。それを憲法との関係において、どう位置付けるべきなのかは、国民として考えなければならない問題だと思います。

――もうひとつ、取り上げるご予定なのが、選挙制度ですね。

橋本:はい、選挙についてはぜひ触れたいと思っています。一票の格差をめぐる問題はずっと継続していて、不平等な状態はいまだ解決されていません。では、選挙について憲法にはどう書かれているのか。それを受講者の方に問いかけ、私たちの身近な問題として、考えてみたいですね。いま、新聞ではトランプ大統領の話題がよく取り上げられていますが、「アメリカの大統領と日本の内閣総理大臣を比べると、どちらがその国において権力があると思いますか?」という質問をよく、受講生に投げかけるのです。

すると、アメリカ大統領と答える方が多いのですが、これが違うのです。アメリカ大統領のほうが権限そのものは強いのですが、与党が過半数を占めるという条件のもとでは議院内閣制下で選ばれた日本の内閣総理大臣のほうが、やりたいことを自由にできるのです。実際、トランプ大統領は、さまざまなことをあきらめなければならなくなっているでしょう? 内閣総理大臣がリーダーシップを発揮しにくいから首相公選制を主唱する議論がありますが、今の小選挙区比例代表制で与党が過半数を占める状況下で選ばれた内閣総理大臣ほど強い存在はないのです。

「憲法はまるで空気のようなものです」

アメリカ国民が政権に銃口をつきつけて憲法を守らせる権利

――聞けば聞くほど、憲法を知ることは社会を知ることにつながるのだと思えてきます。憲法について、「わたしたち国民を守るためのものです」というお話がありました。これについて、詳しくお聞かせください。

橋本:それについては、アメリカ合衆国憲法を考えるとわかりやすいのです。アメリカ合衆国憲法には、銃を持つ権利があります。このために銃規制ができないという弊害があるのですが、では合衆国憲法で所持が保障されている銃の銃口はだれに向けるものなのだと思いますか? その銃口を向ける対象は連邦政府なんです。合衆国憲法を守らないという政権が出てきたとき、アメリカ国民が政権に銃口をつきつけ、憲法を守らせる力があるという権利を、アメリカ国民は有しているのです。合衆国憲法は200年以上続いている。なぜ続いているかというと、守らないと国民から銃口をつきつけられるからです。

翻って日本でも、日本国憲法は、国民の権利を政府が侵害しないように定めているものなのです。もしそれを侵害することがあれば、国民はNOを突き付けることができる。実際、70年間、憲法はずっと守られてきました。自民党は今の憲法を批判し続けてきたけれども、きちんと守ってきている。じつは憲法は、守らなくても罰則はないのです。

――憲法は守らなくても罰則がないのですか?

橋本:はい、守らなくても処罰されない、というのが憲法です。「たとえば犯罪をおかすと処罰されますし、名誉毀損をすると損害賠償請求をされます。しかし、憲法は、守らなくても処罰されない。でも守ってきている。なぜでしょう?」という話もよく受講生にします。それは、憲法を守らないと社会が混沌としてしまうのだということを、政治を担っている人が意識しているからだと思います。それからもうひとつ大切なことは、先ほどの合衆国憲法の例でもわかるように、国民が守らせている、というところが大きいと思います。

――最後にお聞きします。憲法はわたしたちにとって、どのような存在なのでしょうか。

橋本:憲法とは、空気みたいなものなのです。あたりまえのようにそこにあって、普段は存在に気づかない。しかしそれが失われたときに初めてわかる。だから、それを意識しないで生きていけることこそが、健全なのかもしれません。自由だとか平等だとかをあえて考えなくてもよいということは、幸せな状況なのでしょう。憲法を意識するということは、なにがしかの不自由なり、なにがしかの差別なりが生まれてきている、ということなのかなと思っています。

だからこそ、誕生して70年となる憲法について考えてみることは、私たちの暮らしに潜んでいて、まだ私たちが気づいていない、さまざまな問題を考えてみるきっかけとなるのです。さまざまな社会経験を積み、複雑な人間関係の中で生きている社会人の方が憲法を学ぶなかで気づかされることはまだまだ多くあると思いますし、私も受講生の皆さんと、一緒に学んでいきたいと思っています。

〔関連講座〕憲法入門-日常生活の視点から考える-

2017年2月17日取材

文・写真/安田清人(三猿舎)