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学ぶことは、まねをすること

鎌田ちひろさん(28歳)/埼玉県/

 わたしは二〇〇八年四月から二〇一二年三月にかけて、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科声楽コースにて学んでいました。山田耕筰さんを始めとした日本歌曲や、シューベルトを始めとしたドイツ歌曲、イタリアを中心としたオペラのなかの歌など、クラッシック音楽中心としたオペラの中の歌など、クラッシック音楽の歌い方を軸として学び、ジャズでよく歌われている歌やミュージカルの歌の歌い方も学びました。一人で歌うことに加え、合唱や舞台朗読法の授業も受けました。

 今から振り返ってみると、大学で声楽(歌うときを中心とした声の出し方)を学んだことは、わたしが幼い頃の原体験が元になっていると考えています。実家(わたしは生まれてから現在までずっと実家暮らしです)の近くにある母方の祖父母の家に行ったとき、幼いわたしは、般若心経を唱える祖父の声を耳にしたのです。その頃のわたしは般若心経どころか仏教のことを何も知らない状態でした。般若心経の内容もわからない状態でありながら、わたしはこのお経を唱える祖父の「声」に興味を持ったのです。わたしは思いました。

「これは歌なのかな?」

 大学を卒業してからも大学院(大学の上級学校)に進学して声楽をさらに深く学びたいと、わたしは思っていました。しかし・・・

「うちの家計からお前たち(わたしと妹のこと)の学費を払えるのは大学卒業まで。大学院の学費まで払うことは出来ない」 わたしはこのように言われたのです。大学院への進学は叶いませんでした。

 大学を卒業してから現在に至るまで、わたしは生活を自分で稼いで成り立たせるということができていません。

「自分が働いて稼いだお金を使って学ぶことこそ本当に自分のためになる」周りの人から言われることの多い言葉です。今もこの言葉が心の中に引っ掛かっています。

 ふと、あるとき、わたしは「学ぶことは、まねをすること」という言葉を思い出したのです。高校生の頃、国語の古典の授業で「まねぶ」という言葉が現在の「学ぶ」という言葉の元になっていることを知りました。妹の

「中学校のとき、吹奏楽部の同学年の男子生徒が、顧問の先生が指揮をしている様子をまねしていた。始めのうちは本人はふざけているようだったけれども、三年生のときの校内合唱コンクールで再優勝指揮者賞を受賞していたよ。」 という言葉や、ある外国の歌手が歌のレッスンを先生と直接対面して受けたことはなく、音源で他の歌手の歌から学び取っていたというお話も思い出しました。

 今では、わたしは(学ぶことはどこでもできる)と考えています。主に図書館の自習室に行って勉強することが多いです。これまでに、通信講座という形で行われている翻訳や(日本語で書かれている仕事上の手紙や電子メール、契約書を英語に訳すというもの)、音声起こし(会議や講演などの話し言葉が録音されている音源を聴き、パソコンを使ってそれを文章にするもの)の訓練を受けてきました。今は校正の通信講座を受講中です。これらの技能をお仕事につなげて生計を立てたいと考えているのですが、前途多難です。

 これからも、わたしは言葉や声のことを学び続けます。

 わたしの人生の中でいつかの時に、人生の後輩にあたる次の世代の人たちに

「学ぶことは、まねをすること」

と伝えていきたいです。