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大学でマンガを教える漫画家すがやみつる氏が見たイマドキの学生像

『ゲームセンターあらし』。1979年から1983年まで『コロコロコミック』(小学館)に連載された。

『ゲームセンターあらし』の作者である漫画家・小説家のすがやみつる氏は現在、大学講師として後進の育成に力を注いでいる。しかし「プロのマンガ家の養成をするつもりだったが、実際に始めてみたらそうはいかなくなった」という。いったいなにが、すがや氏の予測と違ったのか。漫画家を目指す学生たちの実態とは?

マンガが大学の看板学部になっていく過程で

「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」に登場したすがやみつる氏の講演は、マンガについて深く考えさせられるものとなった。

すがやみつる氏は1950年生まれ。高校を卒業後、漫画家のアシスタントになった。石ノ森章太郎氏の『仮面ライダー』や『キカイダー』などのコミカライズを手がけた後、独立。代表作『ゲームセンターあらし』などのほか、マイコンのプログラミングを学ぶ入門書『こんにちはマイコン』なども出している。

2005年に54歳で早稲田大学人間科学部のeスクールで教育工学を学び、大学院に進んで60歳で修士課程を修了、2012年から京都精華大学で非常勤講師になり、その後専任教員としてキャラクターデザインコースで教えている。

1968年創立の京都精華大学は、その5年後には1973年にマンガクラスを設置した。この“マンガ”は、どちらかといえばカートゥーンで、現在の少年少女漫画とは異なるものだったという。2000年には芸術学部にマンガ学科を設置、竹宮惠子氏を招聘してストーリーマンガコースをつくった。

少子化時代で定員数に満たない大学が多い中、受験倍率20倍以上となり、話題になる。以降、マンガ人気を当て込んだ学科やコースが他大学でも増えたという。京都精華大学は2006年にマンガを学部として独立させ、2010年に大学院のマンガ研究科を設立した。2013年にギャグマンガコース、キャラクターデザインコースが設立される。2018年春までにマンガの博士を5名輩出したという。5名のうち4名が外国人とのことだ。

「ストーリーマンガコースは倍率が10倍、20倍という人気を誇っていました。そのため、そこからこぼれた生徒や『ストーリーは作れないけれど絵が描ける』という生徒のために、2013年にキャラクターデザインコースを作りました。『バクマン。』で紹介されたとおり、原作者と組み合わせればストーリーが作れなくてもマンガ家になれるんです。

ところがこの目論見は大きく外れます。30名ほどの第1期入学生の中で、マンガ家志望者はたったの1人でした。しかも絵を描き始めたのはタブレットとパソコンで、入試のために初めて画材を買ったという子たちが多いんです。僕は彼らをPixiv世代と名付けました」(すがやみつる氏、以下同)

「私、コミュ障なんです」

ストーリーマンガコースの学生たちは、ほとんどが在学中のデビューを目指す。アルバイトしながらでもマンガ家になりたい、就職したら負けだと思っている。しかし、キャラクターデザインコースの学生は9割が就職を希望していた。その一方で学生たちはコミュニケーションが苦手だった。

「学生が自己紹介で『私、コミュ障なんです』とひとりが言うと、私も私も、と手が上がって、半数以上が自称コミュ障なんです。みんなとにかく人付き合いが苦手で、だから絵を描く仕事なら人と会わずに済むと考えているようなんです。でもそんな仕事はあり得ません。

編集者との打ち合わせの合間に描くのがマンガ家です。イラストレーターになると、もっと人との関係が密になります。デザイナーやコピーライター、プロデューサーといった人たちとチームを組んで、クライアントの前でプレゼンをしたりするんです。でも学生たちにはそういう実感がないんです」

「コミケに出て冊子を作ってたくさん売れる人になりたい」

仕事の基本は、人とのコミュニケーションがすべてだ。それはクリエイティブな業種であっても変わらない。

「大手ゲームメーカーの人が来たときに『欲しい学生はどういう人ですか?』と聞いたら『必要なスキルは、1にコミュニケーション能力、2にコミュニケーション能力、3、4がなくて5にコミュニケーション能力』と言っていました。そのことを学生に伝えると、もう下を向いちゃうんです。そのため、コミュニケーション能力を高める授業を増やす方向にカリキュラムを変えていきました」

グループワークでの演劇や展示会での発表、プレゼンテーションなどを取り入れていったが、集団生活を嫌う学生もいたという。しかし問題は、社会に出て、人と関わらずにできる仕事はほとんどないことだ。

「好きな絵を描く仕事をするといっても、99%は依頼の仕事で、自分の好きな絵なんて描けないんです。クライアントの意向に合わせて描かければいけない。そう伝えると『だったらプロにならなくてもいい』という学生がたくさんいます。理解ある男性と結婚して、生活費は夫に稼いでもらい、絵は趣味で週末にでも描いて、コミケに出て冊子を作ってたくさん売れる人になりたい、なんてことを言う女子学生もいます。そのあたりが目標で、プロが目標じゃないんです」

負の体験は作家としての原点に

では彼らはなぜ絵を描くのだろう。

「絵を描いていると楽しいから」「いやなことを忘れられるから」と答える学生が多いという。講座で登壇した森大徳氏は、開成中学校・高等学校の教員だが、「進学校なので、入学するまでは勉強ができると思っていた子も、思ったような成績が出せないことがあります。そうすると授業中にひたすらノートに絵を描いて過ごす子がいるんです」と言っている。筆者もこの口だったが、確かに絵を描いているといやなことを忘れられるのだ。

「美術系の大学って残酷なところがあるんです。一般の大学だったら隣の学生の成績なんかよくわからないですが、絵を描いていると、周りの絵と見比べて、自分がどのくらいの位置にいるのかがわかってしまう。そのため、入ってきた途端に挫折してしまう学生もいます。例えば、入学生が30人いると、男子が6〜7名でした。そのうち、4年目で卒業できた男子は1人だけです。男子のほうが打たれ弱いようですが、なんとかしたいと思って、心を鍛えるレジリエンスの授業を取り入れたりもしています」

自分が評価されないことには弱さが出るが、一方で、人生経験としての逆境や、苦難はクリエイターとしての素地になると、すがや氏は言う。

「電子書籍サイトでインタビューをしていたことがあるのですが、そこでマンガ家の方たちに話を聞いてみると、20人中5人に転校経験があり、2人に長期療養経験がありました。ほかにも親との死別などの経験を持つ人がいました。

著名なマンガ家の経歴を見てみると、藤子・F・不二雄先生、藤子不二雄Ⓐ先生、さいとう・たかを先生が母子家庭でした。また、ちばてつや先生、赤塚不二夫先生、古谷三敏先生などは、満州からの引き揚げという過酷な経験をお持ちでした。こうした負の体験は作家としての原点なんですね。一方で石ノ森章太郎先生は、これらの先生方に較べて、ずっと恵まれた家庭に育ったため、苦労をしたことがないのがコンプレックスだったと話していました」

自分を表現することは癒しになる

こうしたさまざまな体験は、形にすることで昇華できるという。

「大学では、3年生に自分の入試体験をエッセイ漫画にして描いてもらっています。入試がいかに大変だったかや、面接がどうだったかなどを描いています。これを300ページくらいの本にまとめて、毎年オープンキャンパスで高校生に配っています。これが、とても分かりやすい受験対策パンフレットとして好評です。

こうした自分語りのマンガを描くことで、救われることもあります。いやなことを忘れたり、新しい自分を発見できるんです。そうすると、ゆとりや潤いのある人生になっていくんじゃないかなと思っています」

自分を表現することは、たいていの人にとって癒しになる。それが仕事にできたら、これほどの幸せなことはないだろう。そのためには「人見知り」「コミュ障」と自分を定義して安住しているだけではいけない。絵を逃げ道にしない姿勢が、将来を作るのかもしれない。

◆取材講座:「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」

文・写真/和久井香菜子