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大学でマンガが教材となる時代。その意義と注意点とは

マンガの教育的価値が認められてきた

今や日本のマンガは、世界に誇る文化だ。娯楽として楽しむだけではなく、今や学校教育の教材としても使われる。「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」から、現在のマンガ教育についてまとめたい。

大学にマンガが登場したのは1970年代

講座で花園大学文学部の秦美香子氏は「大学教育におけるマンガの可能性ーマンガ研究の視座から」と題して、主に大学でマンガがどう扱われるかを語った。

「全学レベルで教育の対象としてマンガを扱うようになった大学が現れたのは、1970年代のことです。京都精華大学(当時は短期大学)が1973年度から美術家のデザインコースにマンガクラスを作ったのが最初です」(秦氏)

当時の新聞記事によれば、マンガクラスはマンガが社会全体における認知度が高まったことから開設され、マンガ教育を通して、社会を見る目や社会に対する理解のまなざしの育成が目指されていたのだという。

「マンガが人文科学系の教育の中で全学的に取り上げられたのも1970年代です。1977年に花園大学が、入試の小論文の問題でマンガを使用しました」(秦氏)

出題された作品『はぐれ雲』の作者であるジョージ秋山さんは「僕の作品は、受験場でだって読むに堪えるはずです。テレビでチャラチャラしている芸能人や、芥川賞なんて威張っている活字の人には負けないって自信はあるんだ」と発言していたという。筆者の経験から言うと、1970年代はまだまだ「マンガを読むとバカになる」などといわれていた時代だ。しかし当時から作者は、マンガが文学に匹敵するクオリティを持っていると自負していたわけだ。

マンガはユニークな芸術かつ文学

では現在はどうか。

「マンガという名前のついた学部や学科、コースが大学だけでも全国で20校ほどあります。主に芸術系の学部に存在していますが、ゼミ単位でマンガを教育の対象にしているところは他にもたくさんあります。特に目立つのは、卒業論文や修士論文のテーマにマンガを扱う人が多いと言われています」(秦氏)

かくいう筆者も、大学のゼミは社会学系で、2003年に卒業した際の論文テーマは「少女マンガの主人公」だった。女性の社会進出と少女マンガの主人公がどのようにリンクしているかを述べたものだ。これをきっかけに少女マンガ研究家という名前で活動を始めたのだが、実はちゃっかりこの流れに乗っていたわけである。

「アメリカ人のデイヴィッド・ウィットという方がこんなことを言っています。マンガはユニークな芸術かつ文学である。授業でそれを真面目に解釈し分析することで、学生が複雑なナラティブ、視覚的なスタイル、社会的批評というものを学ぶようになる、と。マンガを教育の材料にすることは、学生のマンガに対する理解を深めることはもちろんあります。しかしそれ以上に、もっと別の教育的意義をもたらす場合の方が多いと思います」(秦氏)

苦手なテーマもマンガなら……入り口としてのマンガ

秦氏はマンガを教材として取り上げる意義を次のように挙げた。

まず「入り口としてのマンガ」だ。マンガを使う、教科書にすると言うと受講する学生が増えるのだそうだ。「マンガは分かりやすいメディア」というイメージがあるため、勉強に苦手意識を持っている学生でも「マンガだったらついていける」と受講の敷居が下がるのだという。

秦氏は、ある授業で『夜行』(泉昌之)という短編マンガを扱った経験からこう語る。

「『夜行』は、夜行列車に乗って主人公が駅弁を食べるというだけのストーリーです。これのコマをひとつずつ切り離して、学生に渡します。学生は、話の全体像は見えません。しかし与えられた一コマを見て、自分の担当しているコマにどのようなことが描かれているかを順番に話してもらうんです。そうしてみんなの話を聞き、どんな話か分かるかを試します。

普段マンガを読むときは、吹き出しや文字の部分を読むだけで、絵はなんとなく視界に入っているだけという気がしています。でもこうした取り組みをしてみると、実際には文字で読んでいる部分よりも、格段に多くの情報を解読していることが分かるんです」(秦氏)

文字とイラストの組み合わせで効果的に情報を伝えるマンガの表現を学ぶことは、スライド付きのプレゼンテーションや、ポスター制作などのデザイン関連の業務に活用できるはずだという。

マンガはハイコンテクストなため、配慮が必要な場合も

一方で、マンガを教材として取り上げにくい理由も挙げた。

「暴力や性、差別に絡むような表現がありますが、マンガはハイコンテクスト(文化的背景や文脈の共通性が多い文化。複雑で理解に一定の練度を必要とするため新参者にはわかりにくい)なので、それが単に差別的なものとして描かれているのか、それとも作者の批判的精神が隠されているのかが非常にわかりにくいんです。教室で扱うときには、ある程度配慮をしないといけません。

もう1つは物理的な問題です。映像なら教室で見せればいいのですが、マンガは字が小さいので、コピーして配ることになります。すると一場面だけを見ようと思っても、何十ページもコピーをとらないといけないということもあり、準備が煩雑なこともあります。

それから『マンガは簡単だから』というイメージで受講した学生が、マンガ表現論の授業が意外と難しくついていけないといったこともありました。学問の入り口にできますが、万能ではありません」(秦氏)

そして教育的価値の示しにくさもあげていた。これはマンガに限ったことではないが、学生は、資格や就職に絡まないと学習への動機付けにならないことが多いという。学生にとってゴールが見えにくい学びなのだ。

しかし筆者は社会学を通して少女マンガを見つめたときに、新しい発見があり、それが自分のライフワークになった。文章とイラストという複合的な表現からは、学ぶこと、分析できることが多いだろう。

多くの人の心を捉えて一大文化となったマンガは、もはや芸術や文学の一種と言ってもいい。「マンガを学びにする」ことは、もはや斬新でも奇抜でもなく、当然の流れなのだろう。

◆取材講座:「早稲田大学教育総合研究所 教育最前線講演会シリーズ25 学校教育におけるマンガの可能性を探る」

文・写真/和久井香菜子