「春はあけぼの」は「吾輩は猫である」
昨夏、実践女子大学生涯学習センターでは、一日で有名古典が読める講座「ここだけの『枕草子』」(お茶・お菓子付き)を開講した。講師の久保貴子先生は、一度授業を受けたらぜったい古典にハマると評判の先生だ。
――なぜ『枕草子』を?
「はっきり言って日本でいちばん冒頭文が有名な古典だからです! 「春はあけぼの」知らない人は少ないでしょう? これってもう「吾輩は猫である」と同じレベルですよ。「吾輩は猫である」と聞いて、何ですか?と答える人は少ない。全部読んだことはなくても、その内容を知らなくても、ね。
この日本一有名な古典といえる「春はあけぼの」を選んだ理由は、古典嫌いの人や、古典って読んだことがないけどどんなものなの? という方にぜひ来てもらって、古典に触れてもらいたかったからです」
社会人なら文法知らなくても古典は読める
――「古典」と聞くと、「難しそう」「めんどくさそう」と思ってしまいがちですが……
「そう、とくに古文文法が嫌だったという方は多いです。か、き、き、く、く、け、け……といった活用が超めんどくさかった、と。四段活用だとか下二段だとか。助詞や助動詞も覚えなきゃいけないし、係り結びや序詞・枕詞……。覚えることだらけで嫌になってしまったという方はたくさんいますね」
――そうですか……。久しぶりに古語の活用表を見てみよう……。(古語動詞活用表を検索して見る)うわっ、一瞬、フランス語かドイツ語か?と思いました。まるで外国語の動詞活用表のようですね!
「文法はとても大切なことではあるのですが、古典を味わうときに絶対に必要か、というと、そうでもないんです。だって母国語ですもの。何十年も社会経験を積んできた社会人の方であれば、古典文法の知識がなくても、気持ちと経験で読めます! せつない歌のやりとりの解釈なんて、文法の知識よりまず、恋愛経験の積み重ねのほうがたいせつですよ」
男たるもの、“カタチから入る”
――「気持ちと経験で読む」というのはいいですね。久保先生はいま、社会人向けに、『百人一首』などの講座もお持ちですが、受講生の方はどのような方がいらっしゃるのでしょう。
「小さい時から文学少女、みたいな方をイメージしていませんか? もちろんそういう方もいらっしゃいますが、意外に、理系出身や法学部や経済学部を卒業した方も多いですよ。
とくに男性の方は、初めて古典を勉強する!と意気込んでいらっしゃる方が目立ちます」
――意気込みって、どういうところでわかるのですか?
「まず、辞書は必要ですか? と聞かれることが多いです。『買ってきました古語辞典』、みたいにデンと机の上に古語辞典を置かれる人もいる。そういう方は、オール男性。勉強するので筆箱買った、みたいな感じで、“カタチから入る”人が少なからずいるかなと思いますね」
見たことないからあこがれる。雛人形だってそうだった
――では女性は、古典にどういったものを求めていらっしゃるのでしょうか。
「やはりそれは “みやび” でしょう。今に生きる私たちも、皇室の話題には何となく心が華やぎますでしょ? みやびなものへのあこがれって、いつの時代も必ずあるものだと思うんですね。年齢を重ねて、いろいろな社会経験もして、そういった “永遠のみやび” に触れたくなる、というのは、誰にでもある欲求だと思います。見たことがないからこそあこがれるんですよ」
――見たことのないものへのあこがれ……たしかにありますね。
「たとえば、雛人形を豪華に五段飾りとか七段飾りとか飾りますでしょ? あれ、いつ庶民の間に流行り始めたかご存じですか?」
――ええっと……、鎌倉とか、室町とか?
「江戸時代後半あたりから流行り始めて、明治時代に大流行しました」
――そんなに新しいものだったんですか? でも雛人形は平安時代からありましたよね。
「平安時代のものは、災厄を祓(はら)うために川に流すもので、多くは紙でつくられた人形(ひとがた)でした。江戸時代の後半になって、女房装束(一般には「十二単」として親しまれている姿)の雛人形になり、明治時代に爆発的に流行しました。明治は、ちょんまげを切ったり、和装から洋装にみんなが変えた時代でしょ? なのに一方では、宮中ではあんなみやびな衣装を着ているらしい、と、見たこともない女房装束(一般には「十二単」として親しまれている姿)にあこがれたんですね」
“せいしょう・なごん”と呼ぶのは間違い
――みやびな女房装束といえば、まさに『枕草子』の世界ではありませんか。
「だからぜひ、『枕草子』を読んでいただきたい。冒頭の「春はあけぼの」からみやび全開ですから。何より、『枕草子』は明るいんです。明るく、華やかで、楽しい。清少納言と公達(きんだち=上流貴族の若者)たちとのやりとりも、じつにセンスがよくて……。読んでいてこれほど心が晴れやかになる文学作品は、日本の古典にかぎらず古今東西を見渡しても、めずらしいですね」
――でも『枕草子』を書いたとき、清少納言の仕えていた主人、定子(ていし)は決して幸せ絶頂とはいえない状況でしたよね。
「そうなんです。定子は一条天皇の妃(きさき)だったんですが、定子の叔父にあたる藤原道長は、娘の彰子(しょうし)を一条天皇に嫁がせ、実権を握っていきます。定子の兄弟もある事件をきっかけに左遷され、実家はどんどん没落していきます。しかし、そうした負の部分を清少納言はほとんど書かず、明るく華やかでみやびな宮中の世界をえがいたのです」
――ところで先ほどから気になっていたんですが、先生は、清少納言を、“せい・しょうなごん” と呼んでいらっしゃるような?
「そうです。正しく呼ぶなら、“せい・しょうなごん”。清少納言のお父さんである清原元輔の名前と、役職名の少納言を合わせた呼び方で、清原家の少納言さん、といったような感じ。清少納言とは女房としての呼び名で、本名はわかりません」
――当時の女性はみな、本名がわからないのですか?
「清少納言が仕えた定子のように、高貴な女性は別として、普通の女性の本名はほとんどわかりません。たとえば、『蜻蛉日記』の作者は藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは)、『更級日記』の作者は菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)。道綱生みました、だの、孝標の娘でございます、だの、親族の有名な人の名前や官職をつけて呼ぶことが多いんです」
――もしかして、紫式部も?
「紫式部の女房名は正しくは藤式部(とうしきぶ)です。父親の藤原為時は式部丞(しきぶのじょう)で、お父さんの氏と官職を合体した呼び方ですね。紫式部の名は、当時『紫のゆかり』と呼ばれていた『源氏物語』を書いたことからの名前です。そう呼ばれたかどうかはわかりません。ただ『源氏物語』は結構早くから知られていたから、当時すでに紫式部と呼ばれていた可能性はありますね。
ところで、清少納言という名にはちょっと謎があるんですよ。清原家には少納言だった人がいないんですね。なのになぜ少納言と呼ばれたか。これについては諸説あるので、講座の中で深く解説していくつもりです」
女房のモテ話は話半分で聞かないと
――清少納言と紫式部は同じ時代に生きた、ライバルどうしだったんでしょうか?
「一条天皇の最初の妃・定子に仕えたのが清少納言、そしてその後に嫁いだ彰子に仕えたのが紫式部です。同時代に生きてはいますが、紫式部が彰子に仕えたのは、清少納言が宮中を退いてからなので、時期はかぶっていません。でも紫式部は清少納言のことが気にくわなかったのか、『紫式部日記』の中で、清少納言のことを賢こぶってる女だと、悪口を書いてますね。まあ紫式部はほかの女房のこともあけすけに書いていますけど」
――どんなことを書いているんですか?
「同僚の女房が嬉しさで大泣きしたその様子を、涙をこぼすものだから、お化粧がはげはげになって、顔見たって誰だかわからなくなった、なんて書いてますね。あと、同僚が自分と同じ牛車(ぎっしゃ)に乗り合わせたらすごく嫌そうな顔をしてたけど、こっちだって、なんであんたと同じ車に乗らなきゃいけないの、とかね。おかしいやら怖いやら」
――聞いているだけで女同士の世界が目に浮かびますね。『枕草子』にもそういうところが出てくるんでしょうか。
「どちらかというと、男性を笑いものにしている話が多いですね。食いしん坊でKYな男性貴族がいて、上役を待って食事をしなきゃいけないのに、がまんできなくて衝立の後ろでひとり豆を食ってた、とか、もうお笑いみたいな話がたくさんあります」
――たしかに『枕草子』には公達の話がたくさん出てきますよね。清少納言ってモテたんでしょうか?
「まあ、清少納言は藤原道長とも仲がいいし、男性から人気はあったんでしょうね。ただね、女房というのは、みんなそういうふうな話をするんですよ。私がこういうことをしたら、あの公達がこう反応したのよー、とかね。
時代は下りますが、平家の時代、建礼門院(けんれいもんいん=平清盛の娘で安徳天皇の母)に仕えた建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)も、私ってモテモテちゃんだったの、平家の公達ともこんなやりとりしたのって、そういう書き方をするんですね。それをまるまる信用していいかはちょっと……。それが女房ってものなんですよ。自分を大きく見せたりもしますし、同情を買うように表現したりもします」
貴族社会は男も女もマウンティング
――今でいう、マウンティング女子(自分の優位性を誇示する女性)みたいなものでしょうか。
「女だけじゃないですよ。男もですから。貴族社会そのものが、押し出しの強さを競う社会なんです」
――えっ! おしとやかな世界ではないんですか?!
「もちろん、すごくおしとやかな世界ではありますよ。でも、謙譲の美徳では生きていけない世界なんです。たとえば『百人一首』を選んだといわれる藤原定家(ふじわらのていか)もなかなかのやり手ですよ。『百人一首』は、『古今集』から当代(定家の生きた鎌倉時代初期)まで(『万葉集』の歌も含む)、百人の歌人の歌が一首ずつ採られています。その半分近くが恋の歌なんですが、当代の恋歌は、定家の歌だけなんです。ほかの恋歌はみんな古い歌ばっかり」
――うわっ、ちょっと露骨ですね。
「当代一の恋歌詠みは自分(定家)だということを言っているようなものです。それくらい貴族社会は自己アピールする世界でした。当時は貴族社会こそが政治・権力の中枢でしたから、貴族文化は政治の道具という側面も持っていました。平安朝の文学は、国の中で力をつかさどるものの、すぐそばにあったということを知ると、古典文学の深さがわかってきます」
『君の名は』にまで一気につながる
――そうした奥深い古典の世界を学びたいという方に、先生からおすすめの勉強法はありますか?
「古典文学に入る糸口はいろいろあると思うんですが、少し学んだら、ぜひほかの作品も読んでもらいたいです。たとえば、今度の講座で「春のあけぼの」から『枕草子』の世界に入ったら、『源氏物語』もちょっと読んでみる。あるいは、同時代を描いた歴史書の『大鏡』や『栄花物語』を読んでみる。すると1000年前の出来事にあちこちから光が当たってきて、こういう世界だったんだ、と、よくわかるんですね。
たとえば私たちは、『平家物語』と『方丈記』は別の作品としてとらえていますけど、『平家物語』の中に『方丈記』に描かれていることが入っているんですよ。え!これパクってんの? って思うくらいです。『平家物語』だって、あら、ここ『建礼門院右京大夫集』にそっくりじゃないの、といったところがあります。つまり古典文学は脈々とつながっているんです。
たとえば『百人一首』を例にとると、本歌は『万葉集』で、それを藤原定家が詠みなおして『百人一首』に入れます、それをテーマに近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)が男を待つ女の話や遊女の話に変えます、そして近松の「八百屋お七」が、現代の坂本冬美の「夜桜お七」になるわけです。『万葉集』から坂本冬美まで、一気につながる、それが日本の文学です。
――そういえば、昨年大ヒットした新海誠監督の『君の名は。』は、男女の入れ替わりをテーマにしていますが、これとそっくりの古典もありますよね。
「『とりかへばや物語』ですね。男っぽい女の子は男として、女っぽい男の子は女として育てられた貴族の娘と息子の話ですね。成立は平安後期ですから、今から900年くらい前。古典を読んでいると、1000年や1300年の時を超えて、現代までいっきにつながるような一瞬を味わうことができます。清少納言や紫式部の考えていたことや感覚も、わが身のうちに感じることができます。それが母国語の文学の強みなんです」
――すばらしいお話をありがとうございました。最後に、古典を学ぶ意義を一言でお願いします。
「古典を学ぶと、日本で生きていくのが楽しくなる。これに尽きると思います」
Profile●久保貴子
くぼ・たかこ 実践女子大学大学院文学研究科博士課程修了。実践女子大学下田歌子研究所研究員。専門は、中古・中世文学。共著に『日本の古典を見る 蜻蛉日記』(一)(二)、『王朝文化を学ぶ人のために』ほか。
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