語学は地味な道のり。NOT華やか。海外大学進学を目指す私は、いつもこの言葉を胸に刻んでいる。
語学のイメージはとても華やかだ。「国際交流」「バイリンガル」「留学」といった言葉には「デキる」感が溢れている。では勉強方法はどうだろう。洋楽を聞いて、洋画を見て、洋書を読んで、英語を習得する。これもまたかっこいい。しかし、このような手段だけで英語を使えるようになるわけがない。他の言語もそうだろう。世界はそんなに甘くない。
高校1年生の冬、アメリカに行った。今までも海外に行ったことはあったが、その時は英語を話さない祖母と2人で、アメリカに住む従弟の家族に会いに行ったのである。アメリカにいた間は従弟たちを頼れたが、空港でのトラブルはある程度私が対応せざるを得ないという状況で、自分の英語力のなさに気づかされた。そして私が留学をしようと決心したのは高校2年生の6月で、期末考査が終わったあとの夏休みから本格的に留学の勉強を始めた。夏休みでやったことは、単語帳を暗記すると共に、留学試験の参考書の文章を読み、そこに出てきた単語をまた覚えるという作業。アウトプットにはオンラインの英会話を使った。これらの作業は数学、国語など他の教科と同じように机に向かってただひたすら行われた。もちろん先に挙げた洋楽、洋画、洋書も使ったといえば使ったが、あくまでオマケのようなもの。やはりメインはただの「お勉強」なのである。それでもこの方法で成績はぐんと上がったので、私の夏休みの過ごし方は正しかったのであろう。「英語は単語力」とは本当である。
ここまで読んで、やっぱり英語もただの勉強なのか、つまんないなと思われる方もいるだろう。確かに、単語を覚える作業は、最初は楽しくとも、次第に苦しいものとなっていく。なかなか成果が出ず、心が折れそうになることもある。ただ心にとどめておいてほしいことは、いつかはまだ分からなくても、必ずその努力は報われるということ。他の勉強は、多かれ少なかれ「才能」が関わってきてしまうかもしれないが、英語においてはみな平等である。そう、単語を覚え、文法も覚え、それを使う練習をたくさんしたら、必ず喋れるようになるのが英語、いや語学なのだ。だから語学を勉強しているときに心が折れそうになったら、自分がその言語を使っているところを想像してみるとよい。そして、それは努力を積み重ねた先にいる自分だと言い聞かせるのだ。
努力
弦観シナさん(17歳)/東京都/最近ハマっていること:ゲーム