まなナビ

初めての海外旅行で出合った韓国の言葉を極めたい

皆川まなさん(63歳)/東京都/最近ハマっていること:友人との手紙のやりとり、町歩き

今、韓国ドラマ「チャンヨンシル」を視ている。15世紀の朝鮮に生きた科学者なのだが、母親は官妓で、本人は奴隷の身分であったという。その最底辺の身分から次第に能力を認められていくわけなのだが、自然現象に対する好奇心がすごい。境遇に時として絶望しながらも、星空を見るのを楽しみにし、観察を欠かさない。もちろんドラマの中の話なのだが、実在の彼もこんなだったのかもしれない。

彼ほどではなくとも、人は、もともと本能として新しいことを知りたい、何かを発見したいという欲求がインプットされている。もちろん学者として前人未到の業績を残すのは、ごく限られた人々であるにしても、我ら凡人も、やはり新しいことを覚え、昨日まで知らなかったことを知るのはうれしい。そういう意味で学びというものは人間としての業のようなものなのかもしれない。

大人になってからの学びにはおおむね三種類がある。まず職業のための学び。次は生活のための学び。そして最後はそのどちらでもない学びである。ここでは、この最後の類型のものについて、自身の経験を書いてみたいと思う。

ここ20年ほど韓国語を趣味として学んでいる。日本語と文法がよく似た外国語ということでもともと興味があったことと、たまたま初めての海外旅行として韓国に行く機会があったことがきっかけであった。あの複雑きわまる文字を読めるようになりたかった。さっそく本を買って学習を始めてみると、あの文字と見えたものは母音字と子音字、そして日本語にはほとんどない音節末の無声音字との組み合わせであることを知った。実際に覚えなければならない文字数はそれほど多くない。それを覚えた後で、韓国に行ったとき、けっこう看板の字が読めるのに、我ながら驚いた。表音文字なので読めたとしても発音がわかるだけなのだが、漢語と欧米語由来の外来語は見当がつく。ヨグァンは旅館、テーサグァンは大使館…という具合に。同行した人にも感心され、それですっかりその気になった。それだけではない。旅行中に東洋一の書店というものに行ったのだが、そこにある膨大な書籍に圧倒されたことも学習の動機づけになった。これだけの出版物がでているのに、その言語を学ばないのはもったいない。そこでさっそくラジオ講座で学習を始めた。NHK講座に専門書店で購入した韓国語の本や歌のCD。最初は独学であったが、同好の士でサークルを作って勉強したり、小さな教室に通ったりということも始めた。旅は道連れというが、学習もやはり仲間や先生がいた方がよい。それに学習を通じて得た仲間は利害で結びついているわけではないので、よい友人になることも多い。

生涯学習で外国語をやるという人は多いと思うが、韓国語はお勧めである。まず文法構造が似ているので、そこで挫折することがあまりない。そして日本語と共通の漢語由来の語彙が多いので、語彙を増やしやすい。こうした特性から、他の外国語と異なり、難しい文章、硬い文章ほど読みやすい。子供向けの絵本のような文章から学ぶ必要がなく、短期間の学習で自分の興味のあるものが読めるのは魅力である。とはいえ、韓国語の学習には他の言語にはない難しさもある。それは、日本人が最も苦手とする発音の難しさである。最近では韓国ドラマの視聴を中心に学習しているが、読めばわかる言葉でも、耳で聞くと聞き取りは難しい。まだまだ山を迷いながらゆっくりと歩いているようなものだが、はるかかなたの頂上を目指すのは生きがいにもなっている。日暮れて道遠しであるが、それもまたよしである。

(作文のタイトルは編集室が付けました)