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人間死ねば「無」になるのか。仏教が教える“自分”の意味

竹村学長

東洋大学創立者・井上円了先生の写真とともに

ここまで4回にわたって、仏教思想について、仏教学者の竹村牧男東洋大学学長に話を聞いてきた。最後に、仏教は何のためにあるのか、について訊ねた。
(「外国人が驚く「日本人の多くは宗教を持たない」は本当か
仏教の誕生から鎌倉新仏教まで「5分でわかる日本の仏教」
「無我」と「縁起」を理解すれば仏教思想は腑に落ちる
「物はない、事がある」仏教は現実世界をそう捉える」)

宗教と、哲学・倫理学との違いはどこにあるのか

仏教思想について話を聞くまで、仏教というのは来世に仏になるすべを説くものかと思っていた。しかし4回にわたって話を聞くうちに、生きていることを他者との関わりの中で肯定的にとらえる考え方だとわかってきた。

しかしまた、仏教は宗教でもある。宗教とは信仰に根ざしたものだ。そのあたりをどう考えればよいのか。竹村先生は、宗教には信仰や信心にとどまらない、大きな目的があるという。

「仏教に限らず、どの“宗教”もその根本には、自己とは何か、という問いに対する解答を得ることがあると思います。“宗教”に近いものとして、“道徳”や“倫理”がありますが、道徳・倫理は、自分がどう生きるか、何をすればよいか、に対して答えるもので、自分というものは問いの対象になっていない。しかし宗教は、そもそも、自分とは何か、そこが問題になってくる。それが宗教の特質です。このことは、日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだきたろう)も盛んに言っていることです。

また、“禅”もそうですね。禅の言葉に「己事究明(こじきゅうめい)」という言葉があり、禅とは己事究明の道であるともいわれていますが、これは「己れのことを究明する」ということ。まさに自己とは何かという問いをつきつめることです」(竹村学長。以下「 」内同)

こうなると気になるのが、“哲学”との関係だ。

「哲学も自己の究明の道だと考えると、宗教と哲学は、非常に近いものかもしれません。ただ一般的には、哲学というのはやはり理性・合理性の中で問いを追求していくものだと思います。しかし宗教はそうしたところを超越したところにあるものであったり、体験や信仰に根差したものであったりします。信仰を持つということ自体、自己の了解(自分とは何であるのか、どこにおいて成立しているのかを知ること)を得たということなので、そのあたりが哲学とは若干異なると思います」

苦しみに対して、何らかの肯きを与えるものとして

「また一方で、仏教は人の苦しみを取り去るためのものでもあります。仏教には一切皆苦(いっさいかいく=すべてのものは苦しみである)という言葉があります。苦しみとは自分の意のままにならない生・老・病・死の苦しみです。もちろん苦しみにはさまざまなレベルがあり、身体の苦しみもあれば、心の苦しみもある。しかし根本の苦しみは死の問題です。

自分はいつか死ななければならない。死んで無になってしまう自分はいったいどういう意味があるのか。これが最も根本の苦しみだと思います。それに対して、何らかの自分なりの肯(うなづ)き、納得が得られれば、さまざまな苦しみがあっても耐えられる。仏教はその根本の苦しみの解決について説きます。仏教を学ぶということには、そうした効能も大きなものとしてあると思います」

仏教の教えで環境問題を考えよう

いま、日本の仏教はどういう状況にあるのだろうか。

「とくに日本の場合は、鎌倉仏教以降、いかに救われるかという一点に集約されたような気がします(参考「仏教の誕生から鎌倉新仏教まで「5分でわかる日本の仏教」」)。しかし仏教はそれだけではない、大きな世界観、人間観、宇宙観を持つもので、そこには高度な哲学がありました。

その中に説かれた教えは、一人ひとりが単独で成り立っているのではなく、関係性の中にあり、その関係は無限に循環している、ということです。これは私たちがいま直面している環境問題を考える時にも、たいへん役立つ思想だと思います。このような高度な財産を持っているにもかかわらず、今の仏教界は発信能力を欠いているように思えます」

そして竹村先生は、一つの例として、近年、世界中で広がりを見せつつある「エンゲイジド・ブディズム(行動する仏教)」を挙げた。「エンゲイジド・ブディズム」とは、ベトナム出身の僧であり、ノーベル平和賞の候補にも選ばれたことがあるティク・ナット・ハン師が実践する思想のひとつ。被災者や貧困者など現在苦境に立たされている人々のためにただ祈るだけではなく、実際に手を差し伸べ、救済しようとする仏教のことだ。

「今のように社会自体が不安定で、格差も生まれやすく、多くの人にとって生きるのが苦しい時代は、生き方や生きる意味を見失ってしまう人が多い。仏教界には、社会にもっと働きかけてほしい、もっと発言をしてほしいのです。仏教は誕生した時から、“絶対的なものはなく、すべてを関係性の中に見る”というモダン(現代的)な思想を持っていましたが、今もそのモダン性は失われるどころか、ますますそのモダン性が必要とされてきていると思います」

「向上するは向下せんがためなり」

「こういうお話をするとき、いつも心に浮かぶ言葉があります。東洋大学の創立者・井上円了(いのうええんりょう。1858-1919)先生の言葉です。

向上するは向下せんがためなり

真理を探究するのは、それが社会に役立つように働くためなのだ、ということです。他者のために自己を磨く、他者のために役立つ人間になる。そこに自分の本来のいのちがある。

私たちは一人だけで生きているのではありません。社会や他者や地球や自然と、無限の関係を築きながらかけがえのないいのちを生きています。仏教を通して、そのことを知っていただきたいと思います」

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取材・文・写真/まなナビ編集室