まなナビ

亡き恩師と二人三脚で書道検定に合格

こっちさん(41歳)/東京都/最近ハマっていること:ゲーム、料理、旅行

 私がお習字教室に通い始めたのは三歳頃だった。熊本の小さな町の小さな書道教室。先生は若い女の先生だったが、とても厳しかった。やんちゃな男子生徒を追いかけまわしては怒鳴り散らしていた。しかし、私はなぜかやめたいと思ったことは一度もない。周りの生徒が怒られている様子もまた面白く、思い出は尽きない。十七歳まで先生のもとに通った。

 大学進学で地元を離れることになった私は、十八歳で書道教室をやめ、先生との繋がりは年賀状だけになっていった。その後、就職や結婚で地元へ帰ることも減り、年賀状でのやり取りも途絶えがちになっていた頃。私は先生の訃報を知ることとなった。

 あれから何年が過ぎただろう。ふと思い立って筆をとった。実家の押入れを探してみると、むかし先生に書いてもらったお手本も出てきた。先生の字は、私よりも若かった頃のものなのだが、そうは思えないほどに美しかった。私も頑張ればいつかこんな風に書けるようになるだろうか。私は独学で書道検定にチャレンジすることにした。

 独学にこだわったのには理由がある。実は高校のとき、私はこの検定で途中まで合格していた。しかし最高位だけはどうしても受からなかったのだ。今ここで新しい先生についてサッサと合格したら、亡くなった先生は浮かばれないような気がした。今思えば、小さなこだわりなのだが、どうしても亡き先生と二人三脚で合格したかったのだ。  古い教科書を引っ張り出し、古いお手本を見ながら、必死に勉強した。不思議なことに、怒られた字も褒められた字もよく覚えていた。小学三年生のとき「さんずいへんの角度が悪い」と注意されたこと。中学二年生のとき「仮名の臨書はうまい」と褒められたこと。全てが私の糧となっていた。三歳から習っていたのだから、私の字は先生が作ったと言っても過言ではない。それから五年。私はようやく最高位に合格した。

 今は、これから先どうしようかと考えている。先生のように書道教室を開くことも可能なのだろうが、個人的にはまだ無理だと思っている。人に教えるよりも、まだまだ学びたいことの方が多い。新しい先生のもとで新しい字を学んでみたいとも思う。子どもの頃どんなに真似しても大人の字は書けなかった。やはりいろんな人生経験を経て、字は変わってくるのだ。今後、五十代、六十代になると私の字はどう変わっていくのだろうか。亡き先生に見せても恥ずかしくない成長をしなくてはならない。ワクワクした気持ちで、これからも書き続けていきたいと思う。

 

(作文のタイトルは編集室が付けました)