隠微なベールに包まれた纏足
美と健康とはしばしば相反する。内臓の位置を変えてしまうほどウェストを締め付けるコルセットや、外反母趾の原因にもなるハイヒール。唇に大きな輪をはめるエチオピアのムルシ族や、首にリングを何連も着けるタイ・ミャンマーの首長族。今年5月には、「痩せていることは美しい」とする風潮に歯止めをかけようと、フランスで「激やせモデル」の起用を禁じる政令が施行された。
それらと比べても中国の纏足は、夫や家族以外には実際に纏足を施された素足を見せることがほとんとない、隠微なベールに包まれた奇習だった。明治大学リバティアカデミー公開講座で同大学の氣賀澤保規先生は、纏足をテーマに唐宋変革期の女性論を説いた。
親指以外は足の裏に折り曲げられ、甲はぐにゃりと曲がり
纏足は「足の小さい女性が美しい」とされ、足の骨が発達しないように矯正してしまう風習だ。それは次のようにして作られる。
女子が5、6歳になると、足の親指を残して包帯でグルグル巻きにする。成長するごとに包帯はさらにきつく巻き直され、幅5センチ、長さ10センチ程度になるよう押さえるため上側に湾曲し、それにあわせた靴(布靴)が用意された。纏足を施された足は、親指を除く4本の指は足の裏にぺたりと折り曲げられ、甲はぐにゃりと曲がって盛り上がっている。成長期には当然、骨が伸びてくるので、大変な激痛を伴ったという。
氣賀澤先生は「成長期にあまりに痛がるようなら、骨を割ったそうだ」と言う。骨を割られた方も激痛が走る。聞けば聞くほど、胸が押しつぶされる。
女性なら簡単に想像がつくと思うが、足に合わないハイヒールを履いて歩くときのあの痛みと全身の倦怠感が生涯続くのだ。もう拷問に近い。
なぜそんなグロテスクな風習が広まったのだろうか。
ぽっちゃり楊貴妃、主張する女たち
纏足が広まった理由について、たいていの本にはこう書いてある。
〇足を変形させ、歩きにくくすることで、女性を家庭に閉じ込めようとした。
〇歩きにくいことから内股の筋肉が発達し、女性器の締まりがよくなるため。
それに加えて、氣賀澤先生は、こう解説する。
「纏足の風習が始まる前の唐代は女性が強い時代でした。中国史上唯一の女帝となる則天武后(在位690-705年)が生まれたのはこの時代の前半。その後に、則天武后の孫にあたる玄宗皇帝の愛妃で、美女で名高い楊貴妃(719-756年)が登場します。楊貴妃は2度も宮廷を追われましたが、その原因の一つは周囲の女性への嫉妬です。安史の乱(755-763年)以前の唐代前半は、女性は自己主張をし、個性的で、まさに女性が強い時代でした。しかし唐代後半になると、男性の背後で家庭を支える内向きの女性像へと変わっていきます」(氣賀澤先生。以下「 」内同)
楊貴妃をはじめ、当時の記録や絵画から見えてくるのは、意外にも馬に乗り、男装する男勝りな女性たちの姿だ。ちなみに当時の美女像は現代とはかなり異なり、美女中の美女とされる楊貴妃でもかなりぽっちゃり体型だったという。
纏足は宋代に始まり約1000年続く
「纏足が本格化してくるのは、北宋中期(1070年代頃)です。そして北宋末期(1120年頃)から南宋期にはさらに浸透しました」
この恐ろしい風習が浸透する前には、女性たちが男を凌いで活躍する唐代の「女の時代」があった。それを苦々しく思った男たちは、反動として、女を抑圧する纏足の文化を作り上げていったのではないか、というのが氣賀澤先生の意見だ。
こうして1000年ほど続いた纏足文化は、20世紀になると、それを阻む時代の趨勢に押され、急速に衰退していく。その理由は主に次の2つだ。
「近代化により、女性も工場などで働く必要が出てきました。その際にヨチヨチ歩きの纏足では使い物にならないこと。そして西洋文明と接触するなかで、纏足文化のいびつさを知り、『それはおかしい』と声があがり、男女同権が叫ばれるようになったことです」
氣賀澤先生が1980年代後半に訪中した頃は、まだまだ農村部には纏足の女性がいたそうだ。身体を痛めつけるような悪習であっても、それを強いる親があり、それを求める社会があるからこそ1000年も続いた。施す親は「よかれと思って」していたのだろう。実際、纏足ではない女性は「大足」などと言われてバカにされたという。
「将来、いい結婚ができるように」と、可愛い娘に対し、時に骨まで割るような行為に出る。社会の「常識」は、どんなにいびつであろうと、単に絶対的多数によって決まるのだから恐ろしい。近代化は、地方の特色を薄めて単一化してしまうというデメリットもあるけれど、広い視野を与えることで気づきを与えるきっかけにもなるのだ。
ところでものの本によると、包帯できつく巻かれた纏足は、包帯を解くとかなりのにおいを発したという。妻の纏足を施された素足を見、そのにおいを嗅ぐのも夫の喜びだったという話も読んだことがある。こうした風習を1000年も続けてきた中国は良くも悪くも何とも奥深い国なのだろうか。
◆取材講座:『中国「美女」の社会史』「纏足の出現:唐宋変革期の女性論」(明治大学リバティアカデミー)
文・写真/和久井香菜子