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ゼルダは上、マリオは横。ゲームの世界観で人間を理解

「ひと昔前のデジタルゲームは面白い。その理由は単なるノスタルジーではなく、プレイヤーの想像を膨らませる工夫が凝らされていたから」。こう語るのは、立命館大学ゲーム研究センターの吉田寛先生(同学大学院 先端総合学術研究科教授)。3D技術が無かった頃のデジタル技術とはどのようなものだったのか。

ひと昔前のデジタルゲームから、知覚のメカニズムがわかる

デジタルゲームが開発されたのは1970年代。それから半世紀足らず。今や3D技術やヴァーチャルリアリティの普及により、私たちはゲームの世界に入り込むような体験ができるようになったが、それ以前のデジタルゲームは画面を立体的に見せるために視覚的イリュージョンを利用し、プレイヤーの想像力をかきたててゲーム空間を成立させていたという。

「そういう意味で、ひと昔前のデジタルゲームは人間の知覚のメカニズム、人間の本質を知るための重要な研究対象になるんですね」と吉田先生は語る。

では、デジタルゲームにおける視覚的イリュージョンとはどのようなものか。 感性学を専門にする吉田先生によると、それは大きく分けて2つある。(感性学については前回の「なぜ人はこんなにデジタルゲームにハマるのか」を参照)

ゲームの世界観を決定づける視覚的イリュージョン

ひとつめの視覚的イリュージョンは、画面のスクロールが生み出すイリュージョンだ。

これは、プレイヤーの視点(図1)と画面がどのようにスライドするか(図2)の組み合わせによって、ゲームの世界観は変わり、私たちが受け取る感覚や情報も異なってくるというものだ。

(図1)デジタルゲームにおける視点

(図2)デジタルゲームにおけるスクロール

図1のように、ロールプレイングゲームの「ゼルダの伝説」は真上からの視点で世界が描かれており、重力の概念はなく、プレイヤーは画面中を自由に歩き回ることができる。

一方で、「スーパーマリオブラザーズ」は横からの視点で左右にスクロールするアクションゲーム。重力の概念が生じるため、ジャンプするなど特別なアクションが必要になってくる。また、

「ポールポジション」のようなレースゲームの場合は画面が奥へとスクロールする。車は手前にあるだけで動かないが、道路と背景が流れるだけで奥に進んでいるようにプレイヤーに理解させている。

ムーンパトロールは疑似3D

もう1つの視覚的イリュージョンは、疑似3Dによる奥行きの表現である。

疑似3Dとは技術的には2Dだが3Dっぽく見せる技術のこと。遠近法や等角投影法は立体表現によく用いられ、私たちも経験上なんとなく理解できる。興味深いのはスクロールを活かして立体感を生むマルチプレーン・カメラという技法だ。

その好例が「ムーンパトロール」(画像1)。プレイヤーの乗り物が月面を走りながらジャンプしたり、ショットを打つ、横スクロール型のシューティングゲーム。道路と背景が流れることで乗り物が進んでいるように見えるのだが、画面が一番手前の地面、その後ろの山々の緑、さらに奥の山脈の3つのレイヤー(層)に分かれていて、それぞれのレイヤーのスクロール速度が異なることで、車窓から外を見ているような遠近感(イリュージョン)が生じる。

ムーンパトロール

もともとマルチプレーン・カメラは、1934年にアニメーターのアブ・アイワークスが発明した技法。人間には、両眼の視差(パララックス)によって距離を測定する知覚特性があるため、視差を利用すれば、奥行きのイリュージョンを生み出せるのだ。

「スクロールや疑似3Dは古い技術ではあるが感性学的に見ると面白いのです。なぜならイリュージョンは人間にしか生じない。私たちは過去の経験から予測をしてしまいます。そのため画面の中の止まっている車が走っているように見えたりするのです。人間は情報量が少なくても、想像力でそれを補って楽しむことができるのです。その仕組みを突き詰めていくと、人間の知覚とは何か、人間とは何かを知ることに繋がるのではないかと考えています」

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なぜ人はこんなにデジタルゲームにハマるのか

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取材:デジタルゲームの感性学ーイリュージョンと没入(立命館土曜講座第3204回)