「星に誓って、君を一生愛し続けよう」
インドネシア人の恋人(現在の妻)に宛てたラブレターにそう書きたかった。ところが、その時はまだインドネシア語の力が充分ではなくて、とんでもない表現にしてしまった。
星(ビンタン)を動物(ビナタン)と誤って綴り、誓う(スンパー)をゴミ(サンパー)と混同していた。
「動物へのゴミで、君を一生愛し続けよう」
恋人にそう告げてしまった。
手紙を読んだ彼女は頭と腹を抱えたらしいが、日本語には「動物へのゴミ」という慣用表現があり、それをインドネシア語に直訳したのだろうと自分を納得させたという。
外国語を習得するのは本当に難しい。文法を身につけ、単語を覚えるだけでも、膨大な時間と根気が必要になる。みっともない間違いを犯しては赤恥をかいて、それでも挫けずに学習を続ける強い意志の力も欠かせない。
ところが、文法が身につき、語彙が増えても、まだその言語を会得したとはいえないから厄介だ。どの言語にも特有の文化基盤があり、その言語を使用する人々の価値観や考え方まで理解しないと母語話者には近づけない。
例えば「星に誓って、君を一生愛し続けよう」と正確に伝えられても、それはあくまでも外国人のインドネシア語にすぎない。インドネシア人は決してそんな表現は口にしない。信仰心篤いインドネシア人にとって、一生の愛は「神に誓う」ものである。星なぞに誓うのはヘンな外国人くらいのものだ。
そんな私の悪戦苦闘を尻目に、私たちの子どもは自然に二言語を操るようになり、両方の文化を身につけて成長した。異文化結婚から生まれた、ダブルスの子どもたち。二つの文化を楽々と行き来して、父親とは日本語で、母親とはインドネシア語で会話する。
私の冗談が上手く伝わらず妻が首をかしげていると、子どもが流暢なインドネシア語で言い直してくれる。悔しいことに、子どもの通訳を経たジョークに妻は大笑いする。
こういうダブルスの子どもたちが、日イ両国の交流を担い、より強固な友好関係を築いていくことを切に願っている。しかし、私だって傍観者でいるつもりはない。日イの懸け橋となりたいのは、まず私自身なのだ。
インドネシア人女性と恋に落ち、彼女と意思疎通を図るため、という単純かつ純粋な動機で始まったインドネシア語との付き合いも、かれこれもう三十年になる。初期の目的は結婚まで漕ぎつけたことで達成できた。妻と意思疎通が取れたおかげで、子どもを協力して育てることもできた。子どもたちは二人とも成人して、子育てはもう終わりだ。
さて、これからだ。
私の夢は、インドネシア語で小説を執筆することである。「インドネシア語で執筆する史上初の日本人小説家」になりたいのだ。
書きたいテーマは日本とインドネシアの文化の違いだ。考え方や価値観の相違、異なる文化背景を主題に据え、日本人の行動様式や思考形態をインドネシアの人に知ってもらうのが目的だ。のび太やクレヨンしんちゃんが典型的日本人と思われては困る。
日本人男性とインドネシア人女性が恋に落ちる。若い二人は文化の違いに戸惑いながらも、愛の力と寛容な心で様々な困難を克服し、ついに結婚に至る。ここまでが第一作。結婚後に一緒に暮らし始めた時の文化摩擦が第二作。子どもをどう育てるかの文化摩擦が第三作。と、三部作の構想が既にできている。
私の描く恋愛小説で、インドネシアの人がより深く日本を知り、両国の相互理解が進んでいく。それが私の夢であり、目標であり、生きがいでもある。
インドネシア語で日本を語る
道産子さん(56歳)/北海道/最近ハマっていること:パズル解き