まなナビ

イルカ漁の町を「極悪」扱いに追い込んだもの

カマイルカ(撮影/木村博)

『ザ・コーヴ』(The cove)というドキュメンタリー映画を覚えているだろうか。和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を激しく非難したアメリカ映画で、2009年に公開されるや大変な論議を巻き起こした。今年1月、太地町のイルカ観光施設でいけすの網が切られるなど、今も収束していない。そもそも騒動の発端はなんだったのか。また、現地はどんなところなのか。

イルカとクジラの違いは

アニメ・マンガ・ゲームなど世界が認める日本文化もあれば、一方でいわれなき非難を浴びる日本文化がある。それがクジラ・イルカをめぐる騒動だ。

2009年に公開され、第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した映画『ザ・コーヴ』(The cove)は、まさにこの問題を世界的規模に拡大した。この映画は和歌山県太地町のイルカの追い込み漁をきわめて批判的に描いたもので、日本国内では公開の是非や表現の自由をめぐって大変な論議を巻き起こした。

紀行ライターとして活躍する講師のカベルナリア吉田先生は、早稲田大学エクステンションセンター講座「ニュースの街を歩く」で、この問題を取り上げた。その趣旨について、吉田先生はこう語る。

「日本人はとにかくニュースにすぐ反応しやすいし、鵜呑みにしやすいのです。報道されるとそれが真実かと思ってしまう。そのために現場に行くこともないまま、隔たったイメージを抱いてしまうのです。今回はイルカを取り上げますが、この講座では、こうした世論に警鐘を鳴らしつつ、自分の目で見たもの以外は簡単に信じないようにしよう、ということを伝えたい。僕も、この講座で自分の目で見たものをしっかりと伝えていくつもりです」

では、その現場となった太地町について語る前に、基本となるイルカとクジラの違いについて、押さえておこう。

イルカとクジラの違いだが、大きさで名称が変わるだけである。約4m以下がイルカで、それ以上がクジラ。ただし、ゴンドウクジラなどは体長が2~5mなので、大きさによってはイルカと呼ばれることもあるそうだ。意外といい加減なネーミングである。よってこの講座の中では、特にクジラとイルカを区別せずに話が進んだ。

アメリカは油とヒゲを採取するために捕鯨を

あなたはクジラを食べたことがありますか? 昭和40年代生まれまではクジラの竜田揚げを給食で食したことがあるはずだ。懐かしい、うまかった、という人もいれば、黒くて硬くて臭かったという人もいる。記者は後者で、いつの間にかクジラが給食から消えていっても何とも思わなかった。それはクジラを食べる習慣のない海なし県出身だったからかもしれない。

講座では、捕鯨の歴史と、捕鯨がだんだんと縮小されていく過程が紹介された。吉田先生は語る。

日本だけではなく、グリーンランド、カナダ、アラスカなど北米の先住民族はかなり昔からクジラを食べていました。そしてアメリカは、食べるためではなく、油とヒゲの採取のために(その他の部位は破棄)捕鯨で世界を支配し、莫大な富を得ていたんです。しかし、1859年にペンシルバニア州で石油が発見されると、クジラ油の需要は低下します。さらにノルウェーが捕鯨砲を開発したことで技術競争で負け、1925年にアメリカの捕鯨は終焉を迎えました

1948年には国際捕鯨委員会(IWC)が設立され、1951年に日本も加盟する。1980年代に入ると、商業捕鯨の中止や大型クジラの沿岸捕鯨の中止などが相次ぐ。なるほど、給食でクジラが出なくなった頃だ。

大西洋で最も早く減少したのはシロナガスクジラで、絶滅危惧種に指定されている。そのほかに、ニタリクジラ、マッコウクジラなど13種類がIWCの管轄下にあり、捕獲が制限または禁止されているという。

「小形のツチクジラ、ゴンドウクジラはIWCの管轄外です。太地町で捕獲しているのはこれらのクジラやイルカで、IWCはもちろん、国や県が決めたルールに従って行われています」(吉田先生、以下「」内同)

ではいったいなにが問題なのか。そのきっかけとなったのが『ザ・コーヴ』だった。

和歌山県太地町付近の海

小さな港町がいきなり“極悪な町”に

「映画が公開された当初は、とくにヒステリックな雰囲気はありませんでした。しかしアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞すると、アメリカではスタンディングオベーションが起こり、一気に議論が過熱します」

記者も作品を観てみたが、とにかく物々しい。いきなり夜間のシーンから始まり、出演者はサングラスにマスクという怪しげな格好で車を運転していて「パトカーが来た!」などと騒いでいる。日本ではどこにでもある看板が意味ありげに映し出される。夜間にパトカーが巡回する、日本人なら治安が守られているなと思うような映像も、不穏な町のような印象を与えるように取り上げられている。また、ドキュメンタリーとはいうが、主演のリック・オバリー氏が以前はシーシェパードと関与があったり、大げさに路上に倒れて痛がり泣き崩れた女性は女優だったりと、本当にドキュメンタリーなのかという疑問が湧き上がった。

イルカは知能が高い』『そんなイルカを捕らえる太地のイルカ漁は残酷だ』などの発言があり、騒動は拡大。さらに上映中止をめぐって表現の自由論争に発展するなど、完全に太地町を置き去りにして盛り上がっていきました

では実際の太地町はどんな町なのか。

「とにかく、遠くて小さい町という印象でした。東京からは新幹線で名古屋まで1時間40分、そこからJRに乗り変えて、太地駅までは5時間かかるんです。合計6時間40分。これは新幹線で東京から博多へ行くよりも遠いんです。紀伊半島の先端にあり、那智勝浦町に囲まれた人口3000人ほどの小さな町です。駅を降りたところから、とにかくイルカを前面に押し出した街づくりをしているのに驚きました」

映画では恐ろしいムードで紹介されていたオブジェやフェリーも、吉田先生が撮る写真からは明るく屈託ないものに見える。街にはクジラの供養塔があり、4月には供養祭が行われる。クジラやイルカが食べられる食堂に行けば、あらゆる部位の肉が出てくるという。命をいただくことに敬意を払い、いただいた命は無駄にしない姿勢だ。

イルカの大群を実際、目の前にしたら

太地町には、大きな産業がありません。近くに肉類を飼育する場所もない。そこに、目の前にイルカの大群がいたら、それを食べずにいろと言う方が難しいでしょう

女装パフォーマーの芸で「有名なアニメやドラマのセリフを切り取って組み替え、下品な小話にする」ものがある。環境問題を訴える未来世界のストーリーが、彼らの手にかかると淫乱な人物が男性を誘う物語になるのだ。なんの問題もない無邪気なセリフも、切り取り方とジェスチャーによって、ものすごく下品な意味に変わる。『ザ・コーヴ』にはそれと同じ、悪意のある「ねじれ」があるのではないか。

そうしたねじれやフィルターを取り去って、太地町を見たときに残るのは、何百年もの間、決まりを守って漁をし、静かに暮らしていた人たちが、いきなり極悪な町の住人として世界にさらされたということだ。

今年も9月に太地町ではイルカの追い込み漁が始まる。昨年9月のニュース記事には「太地でイルカ漁始まる、世界が注視」というタイトルが付けられた。『ザ・コーヴ』前の太地町にはもう戻れないのだ。

ちなみに、その後の捕鯨調査では、鯨が増えたために鯨に食べられる魚が大幅に増えたことが判明した。鯨類は海洋での食物連鎖の頂点に位置する。では人間が鯨類を捕食することは、食物連鎖として位置付けることはできないのか、という新たな問題も出てくる。

さて最後に。テレビや新聞・雑誌などのメディアでは広く公開できないことでも、ライブでなら語れることがたくさんある。これが公開講座の大きな魅力だ。この日も、かなりきな臭い話や現地での裏話、レイシズムについてなど、盛りだくさんだった。やはり“ニュースの街を歩く”話は面白い。

〔ニュースを知る関連講座〕
ニュースメディアから英語を学ぶ〔中級〕
国際時事問題入門

 

取材講座:「ニュースの街を歩く」第2回「イルカを食べちゃいけませんか? 和歌山県太地町」(早稲田大学エクステンションセンター中野校)
文/和久井香菜子 写真/和久井香菜子(講座風景)、SVD