テレビでも大人気の歴史学者・本郷和人先生(東京大学教授)が語る、戦国一の美男美女カップル――細川忠興とガラシャの話は、関ヶ原を迎えていよいよ佳境に入る。なぜキリスト教のガラシャは死を選べたのか? 夫・忠興との関係は? 美貌と教養に恵まれながら、どこか奇妙で異常な夫婦の結末は……。
(「戦国最強ストーカー男が生首披露も美人妻ケロリ」から続く)
離婚したくてもできないガラシャ
「徳川家康は、細川家が豊臣秀吉に冷遇されていたことをよーく見てたんだろうね。秀吉が死ぬと、家康はさっそく細川家に6万石を加増しています。もともと12万石の細川家にとって、6万石はデカい。
ただこの6万石は、さすがに今までの領地のすぐそばというわけにはいかなかった。どこに与えられたかというと、大分県の杵築(きつき)。この杵築城を改修して、忠興は城代(じょうだい)に重臣の松井興長を置きます。細川家を代表する三家は松井、米田、有吉ですが、その筆頭家老が、松井。この人は、宮本武蔵を庇護した人で、吉川英治の小説にもたくさん出てきます」
“関ヶ原”の端緒となった徳川家康の上杉討伐に際し、細川忠興は家康に従った。ところが、残していくガラシャのことが心配でたまらない忠興は、留守番の者たちに次のように伝えたという──大坂の細川邸が敵に囲まれるようなことがあったら、ガラシャを殺して、おまえたち家来は全員腹切って死ね、──と。
「さすが、“日本一、短気な男”といわれるだけのことはあるね。でも、ガラシャのほうは忠興がイヤだったみたいなんだ。そのひとつに、父・明智光秀の件がある。ガラシャは父親(明智光秀)のことが大好きだった。舅の藤孝は明智光秀の親友であり部下だった。それなのに、父の最大の危難を助けてくれなかった。それが彼女にとって大きなトラウマになって、キリスト教に傾いていったんじゃないかな。
ガラシャは忠興と離婚したかったようで、何度も宣教師に相談している。しかしカトリックだから離婚はできない。ところが、この忠興の置き土産の命令が現実となって、二人は永遠に別れることになるわけです」
慶長5(1600)年7月、挙兵した石田三成は、まず、上杉討伐に従軍していた諸大名の妻子を人質に取ることとし、大坂の玉造にあった細川邸に兵を向けた。ところが、ガラシャが死を選んだことで、三成のもくろみはしょっぱなから瓦解してしまう。
ガラシャの死は矛盾だらけ
「三成はもちろん、ガラシャを殺そうなんて思っていない。人質にしようと思っただけ。ところがガラシャが『夫の命令どおり、私は死にます!』と言い出したものだから、三成はさぞかしビビったろうね。
その言葉のとおり、ガラシャは、自分に仕えてくれた女たちと、前田利家の息女である息子の忠隆の嫁の千代を逃がして、死を選び、家来たちもその後、邸に火をつけて自害した。
でもここで気になるのは、キリスト教は自殺を禁じているのに、なぜクリスチャンだったガラシャが死を選ぶことができたか、ということです」
ガラシャの死に方については、首を斬られたという説と、心臓を突かれたという説がある。つまり、ガラシャ本人が自害したのではなく、他人が手を下したのだから自害にはあたらない、ということで、ガラシャは信仰と自害とを両立させたのだと、考えられてきたという。
「僕が子どものころに読んだ本にもそう書いてありました。でも僕は子ども心ながらに『これは屁理屈だ』と思った。他人が手を下したからのだから自害ではな、というのは屁理屈でしょう? 死に方だけの問題なワケ?と思った。そうずっと疑問に思ってきたんですが、安廷苑(あんじゅうおん)さんによる『細川ガラシャ キリシタン史料から見た生涯』(中公新書)を読んで、目が開かれた。
この本は、ガラシャの死について、非常に説得力がある本です。ご主人の浅見雅一さんは慶應大学の先生。この浅見さんと安廷苑さん夫婦の強みは、ポルトガルとスペインの史料が読めること。つまり、宣教師が本国に送ったレポートなどの史料が読めるんです。ガラシャがいかに忠興との結婚生活で苦悩を抱えていたか、そしてどうも彼女は自分の最期を予感していたらしいことが、この本には書かれています」
ガラシャは宣教師に対し、「細川邸が敵兵に囲まれたら、夫は私に死ねと言うでしょう。そのときキリスト教者である自分は自害してよいのでしょうか」というようなことを問うたという。
本郷先生によれば、これは、日本で布教活動を行なっていた宣教師みなが直面していた大問題であったという。キリスト教に入信した武士が切腹するのは名誉を守るための行為であるが、それを許してよいかと、宣教師はバチカンに諮問した。しかしバチカンの返答は「ダメ」。
「『腹を切らないで逃げろ』と説得せよ」。それがバチカンの答えだったという。
ガラシャはなぜ死を選べたのか?
「しかし日本の現場を知っている宣教師たちは、『腹を切らないで逃げろ』などと言っても誰も聞かないことは、よーくわかっていた。武士が腹を切るのは、命を懸けて自分の名誉を守る行為。それをダメだなどと言えるわけがない。
ガラシャも事前に、当時、大坂に潜伏していた宣教師オルガンティーノに訊ねたらしい。そこでオルガンティーノがなんと答えたか、ということなんですが、その答えはそのレポートに“ない”んです。
“ない”んだけど、“彼女は大変満足した”とレポートにある。つまり、どういう問答があったか書かれてあるべきなのに、書かれていない。これは、イエズス会側がわざと残さなかったのだ──というのが、安廷苑さんの推察です。僕はそれは正しいと思う。
たぶんオルガンティーノは、自害しても問題はない、それはキリスト教者として名誉ある死であり、殉教にも等しい死である、というようなことを、彼女に伝えた。で、彼女は大変満足して、自分の行動を決めた。そういうふうに理解できる──と、安廷苑さんは書いている。その推察は的を射ていると思う」
かくてガラシャは亡くなり、大勢の家臣たちとともに、細川邸は炎に包まれた。これにビビった石田三成は、大名の家族を人質に取るという当初のプランを中止せざるをえなくなった。それがどれだけ東軍の武将たちを安心させたことか。つまり、細川父子の行動が明智光秀を滅ぼす遠因になったように、ガラシャの行動は石田三成を滅ぼす遠因となった。
そしてもうひとつ、細川幽斎もその狸ぶりで家康の勝利に貢献したのである。
(続く)
〔大学のココイチ〕
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2016年11月29日取材
文/まなナビ編集部