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がんといかに哲学的につきあうか、笑いの絶えぬ講座

日本人の半分ががんになる時代。「がん哲学」は、生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がんの発生と成長に哲学的な意味を見出そうとするある医師との対話から生まれた。その医師が、順天堂大学教授の樋野興夫先生である。講座「がんと生きる哲学」(早稲田大学オープンカレッジ)は、患者、家族、その周囲の人々すべてが対象だという。実際にのぞいてみると、車座になった人々が、がん、科学、哲学、いのちについて、静かに語り合っていた。

気がつけば教室中に笑い声が

この講座の進み方はいっぷう変わっている。

まず受講生が教科書(『がん哲学』樋野興夫著、EDITEX)を2ページずつ朗読。その後、朗読部分についての質問を樋野先生に投げかけていく。それに対して、樋野先生がわかりやすく、ユーモアを交えながら、そして時に楽しく脱線しつつ、回答や解説を行っていくというスタイルである。

この、受講生と樋野先生の<対話>が、この講座の大きな魅力の一つ。樋野先生の穏やかで愛情あふれる語り口に引き込まれ、知らず知らずにうちに、がんに対する確かな知見や新しい視点を得ることができるという仕組みである。

ふと気づけば、「がん」「哲学」と、眉間にしわを寄せたくなるイメージの組み合わせにもかかわらず、受講生からたくさんの笑い声が起こっていた。かくいう私も、なんだか楽しい時間を過ごしていた。

深刻な話題なのに楽しい。重い病の話なのに笑ってしまう。そんな不思議な魅力の一端を味わっていただければと思う。

「がん」という名詞でなく形容詞で

朗読【1】「天寿がん」の時代に向けて 名詞の世界から形容詞の世界へ(『がん哲学』P14-15) 「がんは一人ひとり、その性質が全部違う。遺伝子の変化でもしかりである。がんは個別的、個性的であって、「良いがん」もあれば、「悪いがん」もある。「良いがん」は治療によく反応して治るが、「悪いがん」になると、治療に抵抗するようになる。「がん」という「名詞」ではなく、「良い」「悪い」という「形容詞」の世界で見ると、がんでも人でも、見る目に幅が出てくるはずである」(一部)

受講者と樋野先生の対話

Q:「天寿」とは何でしょうか?

A:「天寿」というのは、「何歳」というものではないんですね。40歳の人いれば、90歳の人もいる。相対的なものなんです。いまは平均寿命が80歳くらいだから、そのくらいだと考える人が多いかもしれませんが、年齢ではないんですね。

Q:「ある確率でDNAに傷がつく。よって、生きるということが、がん化への道でもある」と本にありますが、どういう場合に傷がつき、どういう場合につかないのでしょうか?

A:がん化するような遺伝子に傷がついた場合です。人間は2万から3万の遺伝子を持っていますが、そのなかでがんを起こす遺伝子は100とか200くらい。多くの遺伝子はがんと関係ないのです。関係のある遺伝子が異常になったら、人はがんになるわけです。

Q:がん細胞と免疫の関係について教えてください。 A がんが大きくなるのは免疫の影響だけではありません。がんがある程度大きくなったら免疫の影響はかなり出てきますが、小さいときは、むしろ正常細胞とがん細胞とのコミュニケーションによって、がんが大きくなったり、反対に大きくならなかったりするんですね。

──僕がいつも言っているのは、「がん細胞に起こることは人間社会にも起こる、人間社会に起こることはがん細胞にも起こる」ということです。がん細胞は、いわば不良息子と同じです。不良息子を大人しくさせること、あるいは、巨大化させないことがまずは大事なんですね。  

「何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識」

Q:「がんの性質は、境遇によって(外からいろいろな方法で〈適時〉に〈的確〉に介入することによって)変えられる時代になってきた」と先生の本にはありますが、「何もしないほうがいい」と仰る先生もいます。先生のお考えを教えてください。

A:今はいろんなことを仰る先生がいますし、いろんな本が出版されていますが、何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識だと思います。我々から見ても何が正しいかわからない部分はあります。その場合、曖昧なことは曖昧だと答えるのが科学的な態度です。つまり純度の高い専門家は「わかりません」と言う。そういう先生には「愛」があると思います。だから最後まで患者と寄り添います。

ただ、自然治癒がないわけではないんです。特殊なタイプのがんには起こります。ですから自然治癒を否定はしないけれど、やはり、常識的に考えなければいけないと思いますね。本に書いた〈適時〉というのは「できるだけ早く」ということ、〈的確〉は、「正しい方法で対処・治療する」こと、これが大事ですね。

Q:「名詞」ではなく「形容詞」でものを見る、ということの意味を、もう少し具体的に教えていただけますか。

A:不良息子のことを、たとえば「茶髪」だと言ったとき、この「茶髪」は名詞ですね。でも茶髪にも「良い」茶髪と「悪い」茶髪がいるんです。そういう見方をするんですね。名詞に善・悪はない。形容詞に善・悪がつく。ですから形容詞でものを見ることが大事なんです。

たとえば我々の「顔」で考えると、「顔立ち」は「名詞」で、「顔つき」は「形容詞」です。顔立ちは生まれもったものなので変えることはできません。一方、顔つきは日々の心がけで変えられます。いつもニコニコしている人の顔つきはどんどん良くなりますよね。ですから、名詞に一喜一憂すると、人生、疲れるんです(笑)。変えられないものは受け止めなければならない。変えられるものに、人は全力を尽くしてほしいと思いますね。

なぜ知らせは最初に羊飼いに来たのか

朗読【2】ゲノム時代の到来 人は宇宙を内包する(『がん哲学』P18-19) ヒトゲノムが解読されたといっても、遺伝子のすべてが解読されたわけではない。一個のアミノ酸を構成する四つの塩基(a・t・g・c)の配列が決定されたということである。四つの塩基を持っているということは、生きとし生けるもの皆同じであり、また、約三万あるといわれる遺伝子の数も、魚もネズミもヒトも同じである。では、なぜ魚であり、かたやネズミであるのか。何が人とチンバンジーとを異ならせているのだろうかという疑問が当然出てくる。(一部抜粋)

受講者と樋野先生の対話

Q:「ヒトとチンパンジーの遺伝子は約98.8%は同じと言われている」、という先生の本の記述に驚きました! A そうですよね。遺伝子的には人間とチンパンジーはほとんど同じだと言えるんです。そして興味深いことに、遺伝子をすべて解析しても、種を変えることはできないんです。チンパンジーから人をつくることはできない。あるいは犬を猫にはできない。人間とチンパンジーの遺伝子の98.8%は同じで、残りの1.2%が違っていることはわかっても、どうしてそうなったのかは、まだわからない。。

こういうことを知ると、人間同士の違いなんて、たいしたことないと思えてくるでしょう。様々な人種がいて、いろんな個性はあるけれど、結局は同じ人間なんです。だから俯瞰的にものを見るというのは大事なんですね。人と比較しなくなるから。人と比較しなくなれば、人生はとてもラクになるし、ヒマになる(笑)。ヒマになると、不思議なことに、その人がやるべき役割が与えられるんですね。

さて唐突ですが、クリスマスですよね。クリスマスの知らせは最初、誰に来たか知っていますか? 聖書では羊飼いに来たんです。なぜでしょうか? それは牛飼いが一生懸命に自分の仕事をしていたからです。差別されても人と比較することなく、淡々と、全力で。仕事の内容や境遇、あるいは肩書き、そういうことに関係なく、与えられたことに力を尽くす、そういう人にこそ、良い知らせがくるというのがクリスマスのメッセージなのです。  

遺伝子組み換え食品を食べても問題はない

Q:話題がずれるかもしれませんが、いま遺伝子組み換え食品が増えています。これは人間が遺伝子操作をしているという点で問題でしょうか?

A:遺伝子組み換え食品を食べても問題はないんです、害になるわけではない。いまはクローン植物なんかも作られていますね。ただ植物はいいとしても、人間の場合に問題になるのは「多様性」が失われること。多様性が失われると、何か起きたときに、全滅するんですね。何かあったときに生き残るためには、多様性が必要なんです。寒さに強い人間と、暑さに強い人間がいることが、大切なんです。

我々が生きている間に何か問題が起こる可能性は低いかもしれません。しかし、自分の人生のみならず、人類の未来まで見通した上で為すべきか、為さざるべきかを考えるのが俯瞰的なものの見方ですね。

Q:「哲学」に触れることが今までなかったので、哲学が意味するものや含むものが大きすぎていまだに理解が難しいです。改めて「哲学」について教えてください。

A:「哲学」というのは僕もわけがわからないんですよ。わけがわからないところがいいんじゃないかな(笑)。だから名付けた、というところがあります。というのは、どうして人の正常細胞ががん化するか、それはまだ解明されていないんですね。わからないんです。「哲学」がわからないように、「がん」もわからないんです。

それから、がんに「哲学」をつけると、対象が医療だけではなくなるんですね。生命現象だけでもなく、社会的なことや心理学的なことが含まれてくる。そういうことを考えたくて「哲学」と付けたんですが、結果的に、これは正解だったなと思っています。

だって「がん哲学」と付けたら、いろんな人が気になってくれたわけでしょう。「がん」だけだったら気に留めなかった人たちが、「哲学」が付いたら、振りむいてくれた。この事実の重みを考えなければいけないんでしょうね。

「哲学」というのは一つには、<対話>なんです。病める人とどう接するのか、どう心を通わすのか。「がん」は人類に最後まで残る課題だろうと思いますから、それに向き合っていくのが哲学なのだろうと思っています。

〔講師の今日イチ〕「哲学というのは、僕もわけがわからない」というのが、妙に哲学的。

〔大学のココイチ〕中野校で受講。中野駅から徒歩12分くらいか。中野駅北口が2000年代中盤と比べ、ずいぶんと変わっていて驚いた。

〔おすすめ講座〕がんと生きる哲学

取材講座データ
がんと生きる哲学 医師との対話を通して「がん」と生きる方法を考える 早稲田大学エクステンションセンター中野校 2016年度秋期

2016年12月3日取材

文/まなナビ編集部 写真/Adobe Stock