いま日本の皇族は18人、うち14人が女性皇族
─眞子さまのご婚約報道で皇族減少や女性宮家についての報道が増えていますが、皇室については知らないことがたくさんあります。今日はほんとうに基本的なことを教えていただきたいと思います。まず、「皇族」とはどこまでをさすのでしょうか。
小田部雄次先生(以下「小田部」):皇室のことはすべて『皇室典範』で規定されています。
「皇族」は『皇室典範』第5条に、「皇后、太皇太后、皇太后、親王(しんのう)、親王妃、内親王(ないしんのう)、王、王妃及び女王を皇族とする」とあり、天皇は含まれません。「親王、内親王、王、女王」については第6条に「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする」とあります。
─いま皇族は何人いらっしゃるのですか?
小田部:18人になりますね。内廷皇族(天皇の直系の家族で独立した宮家を持たない皇族)に、美智子様、皇太子徳仁様、雅子様、愛子様。秋篠宮家に、秋篠宮文仁様、紀子様、眞子様、佳子様、悠仁様。常陸宮家(ひたちのみやけ)に、常陸宮正仁様、華子様。三笠宮家に、百合子様、信子様、彬子(あきこ)様、瑶子様。高円宮家(たかまどのみやけ)に、久子様、承子(つぐこ)様、絢子様。18人のうち14人が女性皇族です。
─女性皇族が結婚すると皇族を離れることも『皇室典範』で決められているのですか?
小田部:『皇室典範』第12条に「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあり、婚姻により皇籍を離脱します。眞子様が来年ご結婚されると、皇族は17名となってしまう。また、美智子様、正仁様、百合子様は80歳を超えておられ、このままいくと皇室の御公務にも影響が出るのではないかと言われています。
─旧宮家についても『皇室典範』に規定はあるのでしょうか?
小田部:現在の『皇室典範』には、いわゆる旧宮家についての規定はありません。むしろ『日本国憲法』の第14条第2項に「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」とあり、かつて皇族であっても皇籍離脱した方々の特権を認めると憲法違反になる危険性が高いのです。
消えた11宮家の皇族51人
─どうしてこれだけ皇族も宮家も少なくなってしまったのでしょうか。
小田部:昭和22年の『皇室典範』の制定に先だち、秩父宮、高松宮、三笠宮の三つの直宮家のみが存続することとなり、残りの11宮家51名が皇籍離脱しました。これにより皇族も宮家も一気に減ったのです。
─昭和22年に制定された『皇室典範』の具体的な中身を教えてください。
明治に制定された旧『皇室典範』では、第30条に「太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃、皇太孫(こうたいそん)、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王を謂(い)う」、第31条に「皇子より皇玄孫に至るまでは男を親王、女を内親王とし、五世以下は男を王、女を女王とす」とあり、規定する「皇族」が今よりもずっと範囲が広かったのです。しかし昭和22年に制定された『皇室典範』では、大正天皇の直系はない朝香宮(あさかのみや)、賀陽宮(かやのみや)、閑院宮(かんいんのみや)、東伏見宮(ひがしふしみのみや)、北白川宮、久邇宮(くにのみや)、梨本宮(なしもとのみや)、山階宮(やましなのみや)、竹田宮、東久邇宮、伏見宮の11宮家がすでに皇籍を離脱しており、その範囲と数が減少したのです。
その結果、皇族の戸籍である皇統譜には、大正天皇の直系男子の家である、天皇家、秩父宮家、高松宮家、三笠宮家のみが記されることとなりました。そして新たな『皇室典範』の第15条に「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」とあり、旧宮家の皇籍復帰は禁じられたのです。
─昭和22年の『皇室典範』制定や11宮家の皇籍離脱の背後には何があったのでしょうか。
新しい『皇室典範』制定および11宮家の皇籍離脱の背後にはGHQの皇室改革がありましたが、必ずしも外圧ばかりではなく、内政上の理由もあり、昭和天皇の意思や貞明皇后(ていめいこうごう、大正天皇の皇后)の同意もあったといわれます。
明治維新後、天皇家と宮家は非常に近い関係にあるからこそ、葛藤や確執もありました。また、宮家というのは、権威をもっているからこそ利用されやすい面もある。そのような葛藤・確執は満州事変以後の戦争遂行の局面においてとくに顕在化していったのです。また増えすぎる皇族数の削減は大正時代以来の重要な課題でもありました。11宮家の皇籍離脱の理由を知るには、もっと深い考察が必要だと思います。
小泉純一郎元首相が先鞭をつけた皇室改革
─このたびの眞子さまのご婚約報道で「女性宮家創設」の話題もニュースにのぼっているようですが、この間の皇室問題の流れはどう理解すればよいでしょうか。
小田部:ここ十数年、皇室の存続問題が論議されてきていますが、その発端は、平成13年の愛子内親王誕生にさかのぼります。『皇室典範』第1条では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と、はっきりと男系男子が継ぐことを記しています。そこで当時の総理大臣であった小泉純一郎は女性天皇を容認する方向での『皇室典範』の改正を進めようとしました。しかし、過去に女性天皇は何人もいるけれども女系天皇(女性天皇の子が天皇になること)はいなかったなどの論議が起こり、論議は紛糾しました。またいっぽう先にあげた皇籍離脱した旧皇族を復活させてはどうかという議論も起こりましたが、平成18年、秋篠宮家に悠仁さまが生まれ、一度この論争は下火になりました。
昨年、天皇が生前退位の意向を示され、平成30年中に退位される可能性が高くなりました。ご公務も新天皇にすべて譲られる意志を明らかにされましたが、ご公務をどのように引き継がれるのか、次の皇太子にどなたがつくのか、皇族全体が減っていくなか皇室活動をどう維持していくのかなどは、答えの出ない問題となっています。そして今回の眞子さまのご婚約報道で、「皇室活動を維持していくためにも女性宮家の創設を」という意見も出てきているのです。
女性宮家をどう考えるか
─「女性宮家」は今までに存在したのでしょうか。
小田部:女性が天皇位についた例は古代の推古天皇から江戸時代の後桜町(ごさくらまち)天皇まで8人10代ありました。女性が当主となった宮家も幕末から明治初期の桂宮(かつらのみや)淑子内親王の例があり、近代になっても男性当主が亡くなって当主となった東伏見宮周子妃殿下などの例がありました。現在でも、三笠宮家や高円宮家は男性当主がおらず、妃殿下が当主となっています。男子不在の問題は、天皇家だけでなく宮家にもあったし、今もあるのです。
ただし、いま議論されている「女性宮家」は、男性当主が亡くなって妃殿下が当主となった形ではなく、はじめから女性皇族が当主として興す新宮家のことを指していると考えられます。宮家については先に述べたような歴史的経緯をわたしたちも理解したうえで、冷静で建設的な議論がなされないといけないと思います。
小田部雄次
おたべ・ゆうじ 静岡福祉大学教授。1952年生れ。近現代の皇室制度・華族制度研究の第一人者。著書に『梨本宮伊都子妃の日記』『ミカドと女官』『家宝の行方』『華族家の女性たち』『李方子』『天皇・皇室を知る辞典』『天皇と宮家』『皇族に嫁いだ女性たち』『昭憲皇太后と貞明皇后』『昭和天皇と弟宮』『日本歴史 私の最新講義 近現代の皇室と皇族』『昭和天皇実録評解』(1,2)『大元帥と皇族軍人』(明治編,大正・昭和編)『49人の皇族軍人』『肖像で見る歴代天皇125代』ほか多数。
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文/まなナビ編集部 写真/SVD