サイレント時代からカンバーバッチ版まで
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校ではこの春から夏にかけて、「シャーロック・ホームズの魅力と謎」と名づけた講座を開催した。その講師を務めたのが、中西先生。取材当日のテーマは「映像の中のホームズ」。サイレント時代の1900年代からカンバーバッチ版までの歴代ホームズを紹介するもので、この講座の模様については当サイトでも後日紹介する予定だ。
中西先生は日本シャーロック・ホームズ・クラブ創設期からのメンバー。『シャーロック・ホームズ』シリーズの熱烈なファンをシャーロッキアンと呼ぶが、「いや、僕なんてシャーロッキアンの足元にも……」と謙遜しつつも、さすがアーサー・コナン・ドイルの著した原作には大変詳しい。知っていると『SHERLOCK シャーロック』(以下、『シャーロック』)を見るときにも奥行きが増す、さまざまなエピソードが語られた。
現代的にするとソシオパス
――ついに『シャーロック』シーズン4の日本での放映が始まりますが、シャーロッキアンのお一人としてこのカンバーバッチ版をどう思われますか?
「舞台はもちろん現代に移し替えられていますし、原作そのものを映像化しているわけではない。しかし、もし原作者のコナン・ドイルが現代に生きていたら、これを観て喜んだかもしれないな、と思うくらい、うまくできていますね。しかも原作の骨組みやエピソードがうまく使われているというか、相当なシャーロッキアンが作っているなと感心しながらシーズン3まで観ていました」(中西先生。以下「」同)
――主人公シャーロックの人物造形についてはどうでしょうか。
「コナン・ドイルの原作でも、ホームズは自分勝手で少し変わった人として描かれています。それを現代的にすると、”社会病質者(ソシオパス)”になるのでしょう。それに、やたらサイエンスに詳しいのも、原作どおりですね」
――コナン・ドイルも科学に詳しかったのでしょうか?
「原作者のコナン・ドイルはもともと医師で、科学に通じていました。当時(シリーズ最初の作品『緋色の研究』は1887年、最後の作品「ショスコム荘」は1927年)最先端の科学技術を作品に盛り込んでいます。たとえば血液の判定薬などもその一つですね。『シャーロック』は現代の科学技術やITを駆使しているのも特徴ですが、こうした科学に精通したホームズ像は原作の精神を忠実に反映した証だと思います」
マイクロフトはあの名探偵と同一人物説も
――『シャーロック』の魅力のひとつに、兄のマイクロフトの存在があります。またシャーロックの両親がちらっと登場したこともあります。原作では出自や家族についてどのように描かれていますか。
「原作では、ホームズの先祖は複数の画家を輩出したフランスのヴェルネ家だと書かれています。なぜ実在の人物を先祖にしたのかは不明ですが……。両親は大地主で、生い立ちについてはほとんど語られていません。そこがまたファンの想像力をかき立てるところです。兄のマイクロフトは、原作では数作品にしか登場しません。しかし原作ファンの間でも話題の人物です」
――なぜ数作品にしか登場しないマイクロフトが話題にのぼるのですか?
「ドイルは『最後の事件』を書いた後、10年ほどシャーロック・ホームズを書きませんでした。その間、掲載誌にはアーサー・モリスンによるマーチン・ヒューイットという名探偵が登場する作品が連載されました。そのイニシャルがM・Hで、マイクロフト・ホームズと同じであること、挿絵画家もホームズと同じシドニー・パジェットだったことから、マーチン・ヒューイットとマイクロフトが同一人物なのではないかという説までありました。そこにホームズは登場しませんが、読者にとっては代役のような形で読まれていたんです。それと、もうひとつ、マイクロフトには設定上の必要がありました」
――マイクロフトが必要だった理由とは?
「現実世界でドイルがホームズ物を休筆していた期間は10年ですが、物語上では、ホームズが失踪していた期間は3年です。その3年もの間、ベーカー街221Bの部屋の管理をどうしていたんだろうかと読者が疑問に感じないようにしなければなりません。それが、兄のマイクロフトがいたとなると、うまく読者を納得させられるんです。とくに説明しなくても、マイクロフトが部屋代を払って維持していたんだな、と。マイクロフトは原作でも高級官僚ですから、お金には困っていませんしね」
ホームズの女嫌いは原作どおりか?
――『シャーロック』ではシャーロックとワトソンがカップルではないかという疑惑を持たれているという設定がコミカルに描かれています。
「原作ではそういう描写はありません。女性が苦手なのかなと取れるシーンがいくつかある程度です。ホームズが一目置く唯一の女性が、アイリーン・アドラー(『ボヘミアの醜聞』)。『シャーロック』「ベルグレービアの醜聞」に出てきますね。その中でシャーロックはアイリーンのことを一種の感嘆をこめて「あの女(the woman)」と呼んでいますが、それも原作と同じです。
もうひとつ、女性との交流が描かれるのが『犯人は二人』。恐喝を生業とする人間から恐喝ネタとなる手紙を取り戻す話ですが、その中でホームズは情報を得るために下働きの女性と婚約します。これも『シャーロック』「最後の誓い」と同じ。とにかく、原作のあちこちから小ネタを持ってきて構成しているので、本当にすごいなと感心します」
ホームズがコカイン中毒になった原因は
やはり、原作を読みこなしていると『シャーロック』のおもしろさは倍増するらしい。この機会に読んでみようかと思い、冊数を尋ねると、「コナン・ドイルでも『ホームズ・シリーズ』に限れば、アガサ・クリスティの全作品の10分の1ですよ」とのこと。長編4編、短編56編と、短いものが多いらしい。
最後に、『シャーロック』では主人公シャーロックが薬物依存症として描かれ、原作でもホームズはコカイン中毒として描かれているが、そうなった原因がどこかに書かれているか、尋ねてみた。
「当時コカインは、薬物というより強壮剤としてとらえられていました。ホームズがいつ、どういうきっかけでコカインを常用するようになったかは、原作では説明されていません。そこは読者の想像に委ねられているんです。ホームズ物の映画は星の数ほどありますが、その中のひとつに、ホームズが捕らえられて無理やりコカイン中毒にさせられた、という設定のものがあります。でも僕はそれを観たくない。ホームズが虐められている場面を観たくないんです」
ホームズに対する愛あふれる返答。ますます『シャーロック』シーズン4でシャーロックがどう描かれるのか、期待が高まる。
(続く)
(次回の記事「サイレントから『シャーロック』までホームズ映像100年史」は7月15日掲載予定)
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取材講座:「シャーロック・ホームズの魅力と謎」(早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校)
文/和久井香菜子 写真/黒田なおみ