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「学びと私」コンテスト 9月はこんな作文が集まりました![3]

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第2回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

大学中退後、通信大学のおかげで諦めずに済んだ私の学び

 高校卒業後、現役で合格した第一志望の大学に進学しましたが、持病の悪化により通学が困難で、大学三年の春にはすでに留年が確定してしまいました。持病も悪くなるばかりなうえ、五年間分の学費を払う余裕は家にはなく、泣く泣く中退しました。
 とても悔しかったです。やりたい勉強ができる学部なのに、病気とはいえ、自分のせいでその道が断たれたのだと落ち込む毎日でした。

 大学中退が決定した時期に、「大学中退」でよくインターネットで検索をかけていました。
 そんな時に見つけたのが、通信制大学の存在でした。
 毎日の通学は必ずしも必要ではなく、レポートや試験や短期のスクーリングを受ければ、単位を取っていくことができる。最大在籍期間は十二年(私の通っていた通学制大学は、八年まででした)。社会人や、主婦や、定年後の方、私のような大学中退者など、さまざまな人たちが充実した学びの日々を送っていると知りました。
 なにより私が助かったのは、学費がとても安いことでした。入学金を含めても、年間で十万ちょっと。私のそれまで通っていた大学は年に百万以上の学費がかかったので、最初知ったときは思わず「ほんとうに大学なの?」と疑ってしまったほどでした。もちろん、学士が取れる正規の大学でした。通信大学は在籍者がたくさんいるので、相互補完的に学費が安いのだそうです。
 私は大学を中退した夏の一か月間、慣れないバイトをして、学費をためました。そして通信制大学に秋入学しました。

 最初の一年は自宅学習をして、レポートと試験でコツコツ単位を取りました。
 私の通う通信大学は、通学制とおなじような形での昼間のスクーリングがあることが特長で、二年生のときから授業にも参加することにしました。
 とはいえ、通信大学なので、すべての日程に授業を詰めなければならないということはありません。私自身も、まずは週に一日からとか、持病とあわせてほんとうに無理ない感じで進めていきました。

 授業に顔を出すようになると、いろんな知り合いの方もできました。私のように大学を中退したひと。身体に障害があるひと。経済的事情で大学に通えなかった社会人のひと。定年後に学び直したくて来たひと。
 そういうひとたちと親しくなって話をしていると、とても気が楽になりました。みなさんほんとうにいろんな事情があって、私のように大学を中退したということも、そんなにおかしいことでもないのだと気づけました。
 どの境遇のひとも、たとえハンデがあったとしても、学びに対する話をするときはみなさん目がキラキラ輝いていました。
 おもしろいことに、授業中の態度は私がそれまで通ったどの学校よりもよく、盛んに質問が交わされていました。いまどき、こんなに熱心な大学があるのかとびっくりしたほどです。
 おそらく自分自身で学びたいと思ってみなさんいらしているからでしょう。学びに対してみなさんとても真剣な学校です。

 私は今、通信大学の卒業に向けていよいよ卒業論文を作成しています。
 大学中退したときに諦めなくてほんとうによかったと思ってます。
 経済的事情、身体的事情、時間的事情。多くの人が、学びたくとも、さまざまな事情を抱えていると思います。
 そういう人に私は迷わず私の母校をおすすめしていきたいです。
 通信大学は、学びたいという意欲さえあれば、だれに対しても門戸を開きその情熱に応えてくれる大学だ、と日々強く感じております。

〔柳なつきさん(25歳)/東京都〕

 

中年になってからはじめたフランス語学習

20代のころにちょっとかじったことがあったものの、全然身につかず、身につかないことをやさしいフランス語の先生の教え方のせいにして怒っていました。フランス語教室に日本人の女性のアシスタントがいて、先生たちとフランス語で会話していたので、フランス語ってきっとそんなに難しくない言語なんだろうと思いつつ、難しいか難しくないか判断するところまで行き着く前にフェードアウトしてしまいました。

36歳になった自分は、身につかないのは先生の教え方が悪いなど理不尽なことは言わなくなるまで成長していました。そして、中年にさしかかるし、何か夢中になれる趣味をみつけたいと思い、昔止めたフランス語をやり直してみることにしました。

しかし、30代後半からはじめたからか、文法や単語が覚えられず、加えて全然うまく発音できません。手前の単語の子音と次の単語の母音が繋がるリエゾンや、単語の最後の文字を読まなかったりと、まったくわけが分かりませんでした。

やればやるほど難しさの闇にどんどんはまり、フランス語ってこんなに難しい言語だったのか、昔フランス語で先生と会話をしていた、フランス語教室のアシスタントの女性はなんてすごい人だったんだろうと、彼女のすばらしさがやっと分かりました。

英語はフランス語の単語から取りいれた言語が多いそうです。50%くらいの単語はフランス語と同じで、発音だけが違うといわれます。そのせいでか、フランス語を話す人は、ほとんどの人が英語を話せます。パリに旅行に行ったとき、何か下手なフランス語で尋ねると、必ず英語で返されるという状況になりました。これは、フランス語を話すのが下手といわれているようなもので、勉強を続けるモチベーションがぐっと落ちました。

お金をかけて、フランス語なんか勉強しても、どぶに捨てるようなもんだし、いつまで経っても上達しないし、フランス語の勉強をすることは、地獄行きの列車に乗るようなものと思いました。すっかりやる気をなくして、フランス語はやめて、発音が簡単だといわれるスペイン語の勉強に切り替えることにしました。スペイン語を話す人は、英語が話せない人が多く、英語に切り替えられてがっかりすることが少ないはずという考えもありました。スペイン語を使っている国は圧倒時に多く、いろんな国でスペイン語で会話できる楽しみが得られます。

スペイン語は、発音は難しくありませんでしたが、接続法の使い方と、動詞の変化が複雑で例外事項が山のようにあり、そこでつまづいてしまいました。このままでは、フランス語もスペイン語も身につかず、どっちつかずです。

ある日、パリで予約していたフィリピン航空の帰国日を変更したく、カスタマーサポートへ電話をかけました。そのときなぜか、電話に出てくれた人に、フランス語で航空便を変更したい旨を説明することができたのです。カスタマーサポートの人も英語に切り替えることはなく、最後までフランス語で応対してくれました。これで私は自信をつけました。無駄と思いつつ5年以上高いお金を払いながら、フランス語の授業を受け続けた甲斐があったと感じた瞬間です。

不思議とそれからは、フランス語を話すのがあまり怖くなくなりました。性格的に消極的で日本語を話すのにもどもる自分が、自信を持って間違っていてもフランス語をしゃべろうとしているのですから、すごいことです。

たくさん間違うと、頭に定着することにも気づきました。地獄への片道切符と思っていたフランス語は、5年以上続けた結果、だんだん相手が言っていることが聞き取れるようになり、楽しくなってきました。老後の趣味になる学びの対象が得られました。

〔フランス語学習にくじけない日本人さん(41歳)/兵庫県〕

 

4年ぶりのコンサートでリベンジを

 私が趣味のアコーディオンを真剣に学び直したいと思ったのは、東日本大震災で被災したからである。家族は無事であったが、失った友人は6年半を過ぎた今もまだ見つかっていない。生き残った自分は友人のために本気で自分を生き抜くことを決意した。

 まず初めに、プロでもなかなか持っていない高価な楽器を買った。楽器に負けない演奏力を身に付けるように自分を追い込むためだ。被災した自宅の改修や車の購入、今後の災害に備えてのソーラー設置が必要だったので金銭的にはかなりつらかったが、楽器購入には一切妥協しなかった。案の定、演奏を聴いた人からは「素敵な楽器ですね」とは言われても「素敵な演奏ですね」とはなかなか言われなった。予想どおりの反応が自分をさらに発憤させた。

 そこで、自分の今いる位置を知るためにコンクールに出場した。自分が出られる中で最も難易度の高いクラスである。一応毎日地道に練習してきたものの、それまで自己流でやってきたのだから、結果は当然ながら全く悲惨なものであった。一人の審査員には講評に英語で「ぐちゃぐちゃだ」と書かれてしまい、思いっきり凹んだ。

 負け犬となった私はどうしたかというと、初心に帰って東京の教室に習いに行くことにした。その教室は件のコンクールの審査委員長のところである。自宅の近場にも教室が無い訳ではないが、やはり私の欠点を正確に理解し指導できる技量の人の下に通うのが上達への近道だと思ったからだ。

 寮から400kmも先の教室に毎月通うのは至難である。寮を朝4時に出て教室に着くのは11時半、車と新幹線と徒歩で丸一日がかり、電車は最低でも仙台と大宮と池袋の計3回乗り継がないと行き着かない。レッスンだけでなく発表会や交流会もある。先生が大変忙しい人なのでレッスン日時の変更が難しく、レッスンのために私のほうの仕事をやりくりしなければならなかったが、単身赴任で被災地復興の中でも重責を担うポジションにいるために、これがまたとても大変である。欠席できない会議が多いため、たびたび次席を拝み倒して代理出席を頼んだ。年休が無くなってしまい、体調が悪くても仕事を休めなくなった。

 挑戦は楽しくはない。いつも日々の練習もレッスンもコンクールも苦しくてつらい。逃げたい気持ちが200%である。ではなぜここまでやるのかと言えば、時間と金をつぎ込んだ分結果を残せないと悔しいという気持ちもあるが、なにより限界まで自分を追い込んで挑戦してこそ、生きることを実感できると知ったからだ。そして50を過ぎてもまだ自分の知らなかった「本当の自分」と出会えることを知ったからだ。

 そろそろ例のコンクールから4年、リベンジの機会が近づいている。事前の肩慣らしのために出た二つの国際コンクールは優秀賞とファイナル出場という結果を残せた。あとは本番で練習どおりに弾くだけ。

〔木立慈雨さん(56歳)/宮城県〕

 

学び直しのきっかけは1枚のチラシでした

いつもの習慣で、朝刊を読んだ後に、折り込みチラシに目を通し始めた時のことです。手作り感のある、見慣れないチラシに目が留まりました。きれいにカラー印刷された、大量のチラシの中で、その白黒印刷されたチラシは、逆に目立つ存在となっていたのです。

どうやら、小中学生を対象とした算数・数学教室のチラシのようです。大手の塾とは違い、少人数の生徒さんを、丁寧に指導してくれる形態だと書かれています。教室の場所も、その先生のご自宅らしく、わたしが子供のころに通ったお習字教室を彷彿とさせるものでした。我が子は、算数教室に通う年齢でもないので、関係ないとは思いながらも、妙に興味をひき、その内容をじっくりと見てみました。すると、教室の時間割の欄に、「お母さんのための算数・数学教室」という時間があるではないですか。

それを見つけた瞬間「面白そう!行きたい!」と心が弾みました。わたし自身は、自他共に認める文系脳を持った人間です。高校を卒業して以来、数学とは無縁であり、特に数学を勉強したいと思ったこともないわたしが、なぜ、そのチラシのその文言に惹かれたのか、今でも不思議です。その日から、急激に「数学を勉強したい熱」が高まりました。残念ながら、そのチラシの教室は、時間帯に折り合いがつきませんでした。インターネットで、このようなわたしでも受け入れてくれる数学教室があるのかと探したところ、運よく見つけることができたのです。

「高校受験レベルの数学を学び直したい」という希望です。もう一度、すらすらと方程式を解き、因数分解をさっとこなし、関数のグラフを読み解き、平方根の計算も、図形の面積も、証明問題も、できるようになりたい。先生に、そのような希望を伝えると、1冊の問題集を見繕ってくださいました。ペラペラとページをめくっていくと、懐かしい数学用語がたくさん並んでいます。まるで、同窓会にでも行った気分です。しかし、同窓会で、再会した人の名前が思い出せないことがあるように、数学の問題も、懐かしがっているだけでは、解くことはできません。解答を見ても、解説を読んでも、理解できないことばかりです。そのたびに先生に解説を求めると、丁寧に、じっくり教えてくださいました。ああ、なるほど!すっきりしました!毎回、教室では、先生にお礼を申し上げるばかりです。

一通り、1冊の問題集を終えたところで、先生に「次は高校生レベルに進みますか?」と訊かれました。いいえ、わたしは、数学を楽しみたいと思うので、無理はしたくありません。今、ようやく楽しくなってきたので、このまま、中学生の数学を楽しみたいと思います、と答えました。「学びを楽しむ」とは、新しいことや高度なことにチャレンジするだけでなく、過去に学んだことをもう一度、思い出し、繰り返すことでもあると知りました。特に大人の学び直しは、好きなことだけ、ゆっくりと、これが楽しむ秘訣だと感じました。そして、きっかけは思わぬ所にあるものだということも知りました。

〔きららさん(55歳)/大阪府〕

(一部の作文に、編集室がタイトルやルビをつけ、文字の訂正などをしています)

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