まなナビ

「学びと私」コンテスト 12月はこんな作文が集まっています![3]

12月31日に締め切りとなった第5回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第5回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。12月の第5回のテーマは「語学を学んで」です!

英語・半歩進みたい

私の『英語をもっと知りたい』は、小学4年生の頃サザエさんでやっていたワカメちゃんのお話がきっかけだ。
ワカメちゃんが近所で知り合った外国人と仲良しになって
『ワタシ、英語を勉強したいの』という流れのお話に、私が、がっつりハマり、
『ワタシも英語をもっと知りたい』と、すぐ親に相談をした事から始まった。
母は、色々調べて近所の英検1級を持ってるおじいちゃんが『英語塾』をやってると聞いて、私は英語塾に入った。
そこでは受験用英語じゃなく、ただひたすらに段階をふんで英訳された本を音読するというものだった。
当時の私は、英文の意味や会話というより、自分が英語を読む事って普段と違って何か格好イイね~という軽い感じで、塾通いが続いていたと思う。中学の頃から、ABBAやアラベスク、シーナ・イーストンなど洋楽が好きになりよく友人と聴いてるうちに、私は『英文・単語の意味を知りたい』になった。
歌詞カードを見て辞書を引いて、好きなフレーズを幾つも書いたりした。高校は英語科に入学し、クラスにオーストラリアから交換留学生が来て1年間滞在した。彼女とは、ほとんど身振り手振りで話していたように思う。私の英会話の上達よりも、彼女の日本語の会話の上達の方がダントツの速さだった事に直面した。
そして私は、英会話より、英語を知りたいきっかけ作りのお手伝いが出来ればイイなと思うようになった。
大学で英語の教員免許をとり、事務の仕事をしつつ個別指導の塾の講師をしていた。
ある日、受け持った小学生が
『先生、ツルボって何?』とか聞いてきた。
『それ、たぶんTURBO・ターボやと思うけど。どこで見たの?』
『どの車にも描いてあったの。でね、よくブラザーってミシンに書いてあったけど、これは?』
『ここに辞書あるから、調べてみよっか』
自分自身も含めて『語学をもっと知りたい』のきっかけは、ささいな事でもその語学に興味を持つ事だと思う。
でも、それだけでは自分の語学の進歩には限界がある。さらに超えるのには、日頃から英語の会話が出来る場面が多い 経験を積まなければと思うようになった。逃げなのか、気づくの遅めかなとも思うけど。
現在の私は、長男くん・次男くんが使ったTOEICの教材で、仕事の合間に聴いている。TOEICを受けたいな、何点を目指すかは明確でないけれど。
現時点の私の英会話は、会話したい気持ちはあるが、主にボディランゲージになる位だ。自分に、少し甘めだけれど。 『半歩進みたい』今までの英語とのご縁を考えると、目の前に教材もある事もある、何やかんや言わず、自分自身、英語を見る・聞く・話す事かなとも思うからだ。

うすた~さん(52歳)/岐阜県

 

努力

 語学は地味な道のり。NOT華やか。海外大学進学を目指す私は、いつもこの言葉を胸に刻んでいる。
 語学のイメージはとても華やかだ。「国際交流」「バイリンガル」「留学」といった言葉には「デキる」感が溢れている。では勉強方法はどうだろう。洋楽を聞いて、洋画を見て、洋書を読んで、英語を習得する。これもまたかっこいい。しかし、このような手段だけで英語を使えるようになるわけがない。他の言語もそうだろう。世界はそんなに甘くない。
 高校1年生の冬、アメリカに行った。今までも海外に行ったことはあったが、その時は英語を話さない祖母と2人で、アメリカに住む従弟の家族に会いに行ったのである。アメリカにいた間は従弟たちを頼れたが、空港でのトラブルはある程度私が対応せざるを得ないという状況で、自分の英語力のなさに気づかされた。そして私が留学をしようと決心したのは高校2年生の6月で、期末考査が終わったあとの夏休みから本格的に留学の勉強を始めた。夏休みでやったことは、単語帳を暗記すると共に、留学試験の参考書の文章を読み、そこに出てきた単語をまた覚えるという作業。アウトプットにはオンラインの英会話を使った。これらの作業は数学、国語など他の教科と同じように机に向かってただひたすら行われた。もちろん先に挙げた洋楽、洋画、洋書も使ったといえば使ったが、あくまでオマケのようなもの。やはりメインはただの「お勉強」なのである。それでもこの方法で成績はぐんと上がったので、私の夏休みの過ごし方は正しかったのであろう。「英語は単語力」とは本当である。
 ここまで読んで、やっぱり英語もただの勉強なのか、つまんないなと思われる方もいるだろう。確かに、単語を覚える作業は、最初は楽しくとも、次第に苦しいものとなっていく。なかなか成果が出ず、心が折れそうになることもある。ただ心にとどめておいてほしいことは、いつかはまだ分からなくても、必ずその努力は報われるということ。他の勉強は、多かれ少なかれ「才能」が関わってきてしまうかもしれないが、英語においてはみな平等である。そう、単語を覚え、文法も覚え、それを使う練習をたくさんしたら、必ず喋れるようになるのが英語、いや語学なのだ。だから語学を勉強しているときに心が折れそうになったら、自分がその言語を使っているところを想像してみるとよい。そして、それは努力を積み重ねた先にいる自分だと言い聞かせるのだ。

弦観シナさん(17歳)/東京都

 

拗らせ中国語

 私の語学歴は拗らせている。本来語学は目的ではなく手段だ。習得した語学を使って交流を深めたり、働いたりする。しかし、私は中国語を学ぶために40代で日本語教師の資格を取り、単身中国遼寧省錦州市に渡った。語学に拗らされていると言った方がいいかもしれない。
 中学1年で早速つまずいた私にとって英語の授業は「気配を消し、透明人間になる方法を学ぶための時間」も同然だった。高校大学そして卒業してからも英語が全く話せない、基本的な単語も知らないというコンプレックスは付き纏った。何度も教材や英語をマスターした人の体験記を買った。しかし三日坊主。今から思えば、自分に合った勉強法を知らなかったのだ。
 そんな私に転機が訪れたのは、40歳直前だ。知人が居酒屋を始めるのにアルバイトが見つからないというので、駆り出された。それまで客商売をしたことがなかった私は乗り気ではなく、約束の2カ月間を少しでも楽しく過ごそうと始めたのが、中国人アルバイト仲間の馬さんから中国語を学ぶことだった。
 馬さんが最初に教えてくれたのは、「你好」でも「谢谢」でもなく、「厕所在哪儿?(トイレはどこですか)」。その次は「你喜欢不喜欢我?(あなたは私が好きですか)」だった。長過ぎる!と抗議したが聞き入れられず。「どうして『私はあなたが好きです』じゃないの?」という質問に、「自分のことは言わなくても分かる。」「外国に行ったら、トイレと相手の気持ちが一番大切!」と。馬さんは、今まで出会ったどの先生にもない発想の持ち主だった。この人は私にとって最良の先生かもしれない、そう思った。
 私はすぐに小さいノートと辞書を買い、中国語で日記をつけ始めた。「今日コンビニに行きました。ビールを買いました」と2、3日続けると馬さんは、「今日コンビニでビールを買いました」という書き方を教えてくれる。馬さんは、私の必要に応じて構文を教えてくれた。しかし、文法説明は一切ない。「何でって聞かないで。文法なんて知らない、母語だから。間違っていたら直すから、どんどん書いて」「丸覚えすればいい。その内分かるから」何度もこう言われた。無茶な話だが、なぜか反抗する気が起きず、辞書を引くのさえ楽しいと思えた。学生時代には味わったことのない感覚だった。
 馬さんがアルバイトを辞めた後も、中国語を教える作業は代々のアルバイト仲間に引き継がれた。そうして2カ月の約束のアルバイトが5年、店が閉店することになった時、それまで抱えていた「本場で中国語を学びたい」という気持ちが抑えきれなくなった。
 しかし、アルバイト生活者に留学する資金などない。私はハローワークの職業訓練を利用し、日本語教師の免許を取り、2015年錦州市に渡った。今は大学で日本語を教える傍ら、世界各国から来る留学生と共に中国語を学んでいる。第三者から見れば、何と拗らせていることか。
 日本語学科の学生とは日本語で話し、住まいも大学内なので中国語を使う機会は少ない。それでも、中国語で多くのことを知った。最も衝撃的だったことは、机を並べるアフリカの小国ブルンジの学生達が内戦経験者で、ほとんどが親を亡くしていたことだ。「両親が亡くなった時、長姉は小学2年生だった。その姉が小さい商売をして兄弟を育ててくれた。絶対に恩返しする」と聞いた時には、授業中にも関わらず涙が溢れた。
 私は中国に住みながら、アフリカを感じている。語学を学ぶということは、多くの人の体験や考え・想いを知ることではないだろうか。単語が覚えられない、文法が難しいと嘆く前に、旅行を計画するようにまだ見ぬ国、そこに住む人に思いを馳せていきたい。

田中信子さん(47歳)/中国

 

中国語をはじめて勉強する

私は中国語の勉強を始めました。
それまでも仕事上や日常でも英語は必要なので良く勉強していまは中国語なんて皆無です。
中国語は、勉強したいと思っていました。
理由は妻の母と話したいという理由からでした。
今までの身振り手振りなどのいい加減な意思伝達の領域を脱出したいと思っていました。
でも、英語さえろくに習熟できない自分がさらに新しい言語を学べるだろうかという躊躇いがいつもありました。
それまでも仕事上や日常でも英語は必要なので良く勉強していまは中国語なんて皆無です。
でも、英語さえろくに習熟できない自分がさらに新しい言語を学べるだろうかという躊躇いがいつもありました。
転職の機会がありました。
そこに何回か通ううちに、カウンセラーに「中国語を勉強して資格をとったらどうですか」と言われました。
「履歴書に書ける項目が増えたらいいですね」
カウンセラーは偶然いった言葉でしょうか。
僕はいい機会だと思い、中国検定試験に向けて勉強してみるかとやる気が出てきました。
ちょうど、妻の友達の旦那さんが会社で日本人むけの中国語のテキストを作製している聞き、何冊かテキストを頂きました。
目標を中国語検定試験に合格するということを目標としました。
「習うより、慣れろ」だと思い、中国語をウォークマンにいれ、繰り返し聞きました。
解答の説明が簡略化されていて分からない箇所は妻に聞きました。
ですが、「この言い方だと変だから使わない」というだけです。
語学を他人に教えることの難しさを知りました。
試験の日が近づくと、就寝前もウォークマンを耳にいれて子守歌のように聞きました。
簡単な文法と読解の試験はひたすら、問題を解きました。覚えられない単語は単語帳を作り暗記しました。
中国語は発音が大変難しく日本語を母語とするものにとっては大きなハードルです。
試験会場までも短期間ですがボロボロになったテキストを持っていきました。
試験会場では僕の子どものような受験生もいました。その子は試験が始まり聴解の試験が終わると出ていってしまいました。
僕の番号はありませんでした。
付け焼刃的な勉強では駄目だということを悟りました。
しかしながら、義母は僕が中国語を勉強していることに大変喜んでおりました。
あるときです。
成田空港にいるとき、飛行便の中国語で知らせを理解できたのです。
今までは雑音として耳が認識していた音が意味のある言葉として聞き取れたのです。
不思議な感覚でした。
勉強してもう一回チャレンジしたいと思います。

水越 栄一さん(45歳)/東京都

 

(一部の作文で編集室が文字の修正をしています)

過去の「学びと私」コンテストの金賞作品はこちらから
11月(第4回)の金賞3本が決定しました
10月(第3回)の金賞3本が決定しました
9月(第2回)の金賞3本が決定しました
8月(第1回)の金賞3本が決定しました