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「学びと私」コンテスト 11月はこんな作文が集まっています![1]

11月30日が締め切りの第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

気づき

 私は大学を卒業してから塾に就職し、塾の先生になった。その塾では二科目以上教えなければいけなかったので、私は中学生の「英語」と「社会」を教えることにした。英語は大学でも学んでいたから問題なかったが、予期せず社会に手こずった。センター試験の世界史では満点を取ったほど、高校生までは社会の成績が良かったのだが、いざ教えようと支給された問題集を見ると、大学4年間ほとんど社会の勉強をしてこなかったので、「これ、なんだっけ?」と考え出す始末だった。生徒に教えなくてはいけないのに、これはまずいと思い、私は中学社会の勉強を1から始めることにした。
 まず始めに、教科書を覚えるのがいいだろうと教科書を読みだしたが、5ページくらいで眠くなってしまう。毎日少しずつでも、と頑張って読むのだが、あまり頭に入らないし、やはり眠い。
 そんなある時、タイトルは忘れてしまったがふと歴史関係の映画を見た私は、あることに気付かされた。歴史上の人たちって、私たちと同じ、生きていた人間なんだ。そんな当たり前のことに、その時初めて気がついた。高校生までの勉強が、いかに暗記に基づいていたか、ということにも気がついた。歴史は「織田信長 鉄砲 長篠の戦い 本能寺の変」というような暗記をする学問ではない。「織田信長はどのような人物だったのか?」「なぜ鉄砲に目をつけたのか?」「なぜ長篠の戦いに勝利できたのか?」「なぜ本能寺の変が起こったのか?」そんなことを追求していくことが、歴史ではないか。また、そこに歴史の面白みもあるのではないか。私は織田信長が生身の人間だったことすら、本当には気づいていなかったのかもしれない。私たちと同じ人間なのだから、考え、行動し、反省し、怒り…そんな歴史上の人物の人間像を、今まで考えたこともなかった。
 そんなことがあってから、私は教科書ではなく、小説や映画などを学び直しの材料にするようになった。小説や映画の教科書にはない特徴は、「虚構が含まれている」ということもあるが、「人間くささ」が描かれていることだと思う。その「人間くささ」を知ることが、歴史を学ぶ面白さだとも思う。それぞれの人物同士の関わり合いを知り、歴史の流れに身を任せれば、「暗記」なんかしなくても、どうしてこういうことが起こったのか「覚えられる」のではなく「理解できる」。中学生の時に確かに習ったことなのだが、当時必死に暗記したことを、今学び直したことでより深みのある知識が得られたと思う。
 すべての学問がそうだろうが、学ぶことに終わりはない。今私は、半ば必要に迫られて歴史の学び直しを始めたばかりだが、歴史の学び直しを続けるのはもちろん、地理や公民分野も学び直しをしていきたい。きっと、中学生の頃には気づかなかった面白みを見つけ、深みのある学び直しができることだろうと思う。

あやかさん(26歳)/埼玉県

 

学び直しの先に見えたもの

 「書きたい、伝えたい」
私のこの想いとシンクロするような、そんな主人公が登場する小説に出逢った。全ては感想文を書き上げるためだったが、読み始めるうちに主人公に自己投影し、気が付くとどっぷりとその世界観に浸かっていたのだ。
 『感想文』と聞くと、アレルギー反応を起こすように苦手意識を持つ人も多いのではないだろうか。中高時代、夏休みの課題に必ずといって良いほど出され、敬遠する余り、夏休みの終盤に慌てて読み始める。身が入らない上に書き方も知らない。それでいてミッションの文字数はそこそこな分量だ。目の前の悩ましい課題をどうやってやってのけるか、当時の私も例外ではなく困惑したものだ。
 感想文を書き上げるコツとして、本文の引用という方法が用いられる。自身が感銘を受けたり、自身を顧みるきっかけとなった経緯を、その一節を借りて表現していくのだ。また、全く別の書籍から引用し、角度や視点を変えて、ポイントが同方向であると話をもっていく。私はこの後者の手法を用いた際、とある有名な古典文学作品を引き合いに出した。二十年振りに改めて一読してみると、高校生の時分に感じた『小難しい言葉のオンパレード』であるとか、『理解するには時期尚早な大人の世界観』といった感覚は、すでに皆無だった。年齢や経験を重ねるうちに、すっかり汲み取り方も変化していたのだ。
 そして二十年後。私は感想文を書き上げるだけの武器を装備していた。大学時代に受けた法的思考入門の講義で、文章の書き方を教わったのだ。有名な『起承転結』から『序論・本論・結論』の三段構成、最後は法学部らしい『三段論法』だ。入試のために小論文の書き方を教わった経験のある人も多くいるだろう。私はむしろ大学で初めて学び、何度もレポートを書かされてはその訓練を受けたものだ。十数年後にここまで役に立つとは、学生時代の私には想像もできなかっただろう。
 完成した感想文を反芻して思う。学びは先着順に蓄積されていくが、思いもよらないところで突然パズルのピースがうまくはまるように、しっくりと繋がっていくものなのだと。感想文を書き上げるため、文章の書き方を学び直した。構成のみならず、句読点や括弧書き、引用のルールさえも。そこから派生して、古典文学をも学び直した。奥深い豊かな表現を吸収するために。
 意外性の中から生まれた結果は、驚きと共に確かな手応えを残した。「書きたい、伝えたい」というその想いが、点在する過去の知識を集結させ、学びの原点に悦びを見出だすことができたのだ。学び直しの楽しさは、単に知識の再確認ではなく、他のものには代えがたい恩恵を享受することだった。この楽しさをいつまでも噛みしめながら、これからも私は学びを続けていくつもりだ。

KEIさん(36歳)/宮城県

 

小津映画の魅力再発見

 現在、ある女子大で死生学の講座を受けている。講義の中で小津安次郎『東京物語』を観る機会があった。最初にこの映画を観たのは、大学時代、映画表現論の授業だ。十九才の自分には日本が誇る小津映画を観ても何がよいのか少しも分からなかった。ただ、原節子がバタ臭く、想像していたよりも美人ではなかったこと。『男はつらいよ』の午前様、笠智衆が随分前から映画で活躍していたのに感心したくらいであった。
 その後、税理士として独立したばかりの三十九才の頃に再度観なおした。その時は息子役、山村聡の立場にたっていた。医学博士になり親の期待も高く、本人も努力したろうに東京下町で町医者として患者のために休みもろくに取れない様が描かれている。
 地元足立区とも取れる風景のせいか、自身の境遇にも重ねて、両親にたいして申し訳ないなあという気持ちがした。東山千恵子扮する母親のように自分の母もまたいつ亡くなるとも分からないという思い。孝行しなければと決心した。一瞬の決意はそのまま実行には移らず未だに不肖の息子ではあるが。
 今回五十九才になっての三度目の鑑賞だ。泣けた。感動した。やっと小津映画の素晴らしさが分かったような気がした。
 来年、還暦になる。友人や同級生などでもガン等で亡くなるものもでてきた。死がとても他人事とは思えない。これからの生き方、いや死に方は、どうすれば良いのか。そんな気持を抱いて、この作品を観ると今までとは違い、その深さが良くわかる。
 尾道から老夫婦が上京する。離れて暮らす子供たちと再会するためだが、子供たちは忙しく邪魔者扱いされる。
 上映、間もなくの場面。祖母が孫と遊ぶところがある。祖母が語りかける。大きくなったら息子のように医者になるのかの問いに対して、知らん顔で遊ぶ孫が描かれる。「どちらにしろ、お前が大きくになるころまで生きていられるかねぇ」。なんでもない台詞に感涙してしまった。
 この場面に限らず、久しぶりに観て感じたのは基底部に流れている死の予感である。生きている限り避けることができない。いつ訪れるかもだれにも予想できない。人の思いとは裏腹な突然の死。その無常観こそが小津が訴えたいところであろう。今回の講義でよく理解できた。  映画のラストシ-ン。戦争で亡くなった夫を偲びながら義理の父母に尽くす嫁の姿がある。亡夫を忘れてしまいそうになるという彼女に対して義父の台詞が胸を打つ。「ええんじゃよ、忘れてくれて。ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃ」
 葬儀の簡素化や無差別殺人の報道が恒常化する現代。我々は死を遠ざけ、無感情化している。死にとらわれることなく早く忘れて、立ち直っていくことが肝要だと考えている。
 小津は優しく教えてくれる。死者と伴にあること。死者の遂げられなかった思いに寄り添うこと。その上で前に進むこと。強く感銘を受けた。
 小津映画に限らず、若い頃には理解出来なかったものや、歳月を経て受け取り方が異なることは沢山あるだろう。学び直しの意義深さや楽しさもそこにあると思う。

鈴木功一さん(59歳)/東京都

 

(一部の作文に、編集室が文字の訂正などをしています)

過去の「学びと私」コンテストの金賞作品はこちらから
9月(第2回)の金賞3本が決定しました
8月(第1回)の金賞3本が決定しました