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『がん』は人類に最後まで残る課題 それに向き合うのが『哲学』

哲学がわからないように、がんもまたわからないことだらけ
(c)Jürgen Fälchle/fotolia

「がん哲学」とは、生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がんの発生と成長に哲学的な意味を見出そうとする順天堂大学教授・樋野興夫先生との対話から生まれたものだ。早稲田大学エクステンションセンターの「がんと生きる哲学」講座では、なごやかな空気の中にも人間存在を問い直そうとする質疑が熱く静かに行われている。前の記事「がんを哲学にした大学教授の心に響く名言」に続き、「がんと生きる哲学」講座の模様を紹介する。

哲学がわからないように、がんもわからない

講座ではまず、受講生が教科書(『がん哲学』樋野興夫著、EDITEX)を2ページずつ朗読。その後、朗読部分についての質問を樋野先生に投げかけていく。それに対して、樋野先生がわかりやすく、ユーモアを交えながら、そして時に楽しく脱線しつつ、回答や解説を行っていくというスタイルである。

受講生がまず、テキストの一節を朗読する。

ゲノム時代の到来 人は宇宙を内包する」(『がん哲学』P18-19)より

ヒトゲノムが解読されたといっても、遺伝子のすべてが解読されたわけではない。一個のアミノ酸を構成する四つの塩基(a・t・g・c)の配列が決定されたということである。四つの塩基を持っているということは、生きとし生けるもの皆同じであり、また、約三万あるといわれる遺伝子の数も、魚もネズミもヒトも同じである。では、なぜ魚であり、かたやネズミであるのか。何が人とチンバンジーとを異ならせているのだろうかという疑問が当然出てくる」(一部抜粋)

朗読の後、受講生は樋野先生に問いかける。

受講生:「哲学」に触れることが今までなかったので、哲学が意味するものや含むものが大きすぎていまだに理解が難しいです。改めて「哲学」について教えてください。

樋野先生:「哲学」というのは僕もわけがわからないんですよ。わけがわからないところがいいんじゃないかな(笑)。だから名付けた、というところがあります。というのは、どうして人の正常細胞ががん化するか、それはまだ解明されていないんですね。わからないんです。「哲学」がわからないように、「がん」もわからないんです。

それから、がんに「哲学」をつけると、対象が医療だけではなくなる。生命現象だけでもなく、社会的なことや心理学的なことが含まれてくる。そういうことを考えたくて「哲学」と付けたんですが、結果的に、これは正解だったなと思っています。

だって「がん哲学」と付けたから、いろんな人が気になるわけでしょう。「がん」だけなら気に留めなかった人たちが、「哲学」が付いたことで振り向いてくれた。この事実の重みを考えなければいけないんでしょうね。

「哲学」というのは一つには、〈対話〉なんです。病める人とどう接するのか、どう心を通わすのか。「がん」は人類に最後まで残る課題だろうと思いますから、それに向き合っていくのが哲学なのだろうと思っています

ヒマになると、その人がやるべき役割が与えられる

受講生:「ヒトとチンパンジーの遺伝子は約98.8%は同じと言われている」という先生の本の記述に驚きました。

樋野先生:そうですよね。遺伝子的には人間とチンパンジーはほとんど同じだと言えるんです。そして興味深いことに、遺伝子をすべて解析しても、種を変えることはできないんです。チンパンジーから人をつくることはできない。あるいは犬を猫にはできない。人間とチンパンジーの遺伝子の98.8%は同じで、残りの1.2%が違っていることはわかっても、どうしてそうなったのかは、まだわからない。

こういうことを知ると、人間同士の違いなんて、たいしたことないと思えてくるでしょう。様々な人種がいて、いろんな個性はあるけれど、結局は同じ人間なんです。だから俯瞰的にものを見るというのは大事なんですね。人と比較しなくなるから。人と比較しなくなれば、人生はとてもラクになるし、ヒマになる(笑)。ヒマになると、不思議なことに、その人がやるべき役割が与えられるんです

受講生:話題がずれるかもしれませんが、いま遺伝子組み換え食品が増えています。これは人間が遺伝子操作をしているという点で問題でしょうか?

樋野先生:遺伝子組み換え食品を食べても問題はないんです。害になるわけではない。いまはクローン植物なんかも作られていますね。ただ植物はいいとしても、人間の場合に問題になるのは「多様性」が失われることです。多様性が失われると、何か起きた時に全滅するんですね。どんな厳しい状況になっても生き残るためには多様性が必要なんです。寒さに強い人間と暑さに強い人間がいることが大切なんです。

我々が生きている間に何か問題が起こる可能性は低いかもしれません。しかし、自分の人生のみならず、人類の未来まで見通した上で為すべきか、為さざるべきかを考えるのが、俯瞰的なものの見方です。

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紹介したものは、講座のほんの一部にすぎない。納得する人も納得しない人もいていい、考えつづけることが、がん哲学であり、がんと共に生きる人生なのだと教えてくれる。

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◆取材講座:「がんと生きる哲学─医師との対話を通して「がん」と生きる方法を考える」(早稲田大学エクステンションセンター中野校)

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文/まなナビ編集室