3鉢で所領を3つゲットした武士も、盆栽の歴史総ざらい

日本盆栽ー小さな巨木(その3)@京都造形芸術大学・藝術学舎

いま世界中でBONSAI(盆栽)がブームだ。この秋、京都でも盆栽をテーマにした展覧会が相次いで開催される。この機会に、盆栽の歴史を紐解きながら、京都と盆栽の深い関係を見ていこう。案内してくれるのは、日本で唯一の盆栽研家・川崎仁美先生である。

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「二条城DE盆栽展」パンフレットより

いま世界中でBONSAI(盆栽)がブームだ。この秋、京都でも盆栽をテーマにした展覧会が相次いで開催される。この機会に、盆栽の歴史を紐解きながら、京都と盆栽の深い関係を見ていこう。案内してくれるのは、日本で唯一の盆栽研家・川崎仁美先生である。

9月22日~24日、二条城でも盆栽展が

いま盆栽というと関東の文化のように思われているが、その歴史を追うと、長く盆栽の歴史を育んだのは京都であったという。京都造形芸術大学のアートカレッジ「藝術学舎」で開催された「日本盆栽−小さな巨木」では、盆栽の歴史から鑑賞までが体系的に解説された(前の記事「世界的ブームの Bonsai 超基礎とホメポイント」「外国人に聞かれる前に知るべき日本の盆栽スポット」参照)。

世界的にブームとなっている盆栽だが、京都には盆栽を専門に扱う盆栽店が4軒ほどあるのみで、専門の展示施設はない。その代わりといってはなんだが、関西最大という展示会が毎年開催されている。それが、毎年11月に「みやこめっせ」で行われる「日本盆栽大観展」だ。

それに加え今年は、9月22日(金)から24日(日)に世界遺産の元離宮二条城でも盆栽展が行われるという。「二条城 DE 盆栽展」と銘打たれたこの展示会の盆栽大使を務めるのが、講師の川崎先生だ。

京都と盆栽。この意外な取り合わせの源流を、川崎先生が解説した。

中国、唐の則天武后も盆栽を愛でた?

盆栽といえば江戸の町衆文化の中で生まれたイメージが強いが、その起源は中国・唐の時代にさかのぼるという。唐の女帝・武即天(ぶそくてん)(則天武后)の息子・章懐太子(しょうかいたいし)の墓の壁画に盆に入った植物を掲げる絵図が遺されている。

中国における盆栽は「盆景」と呼ばれ、道教の ”神仙思想” の影響が見られるという。仙境である桃源郷のイメージとして、二次元では山水画が、三次元では園林(庭園)や盆景(盆栽)が作られた。この盆景が、おそらく平安時代に、中国から日本へと伝えられたとされている。

高僧や貴族の嗜みとして

平安時代になると、平安京の貴族の邸宅にも盆栽が置かれることが多くなる。平安貴族を描いた鎌倉時代成立の絵巻物の中には、盆栽が散見される。たとえば13世紀後半の『西行物語絵巻』には軒下に置かれた盆栽が描かれている。平安初期に編纂された歴史書『続日本書紀(しょくにほんしょき)』には、庭先に植えていた橘を土器に移して天皇に献上したという話も出てくる。

鎌倉時代の風物を伝える『一遍上人絵伝』や『法然上人絵巻』には、石に樹木を這わせた「石付き盆栽」(「盆山〈ぼんさん〉」とも)の描写が見られる。高僧や貴族の嗜みとして “唐物(からもの)” を重んじる文化があり、そのなかで盆栽の文化も育まれていったようだ。

信長が和睦の品として本願寺に

そして室町時代中期に登場するのが、室町幕府8代将軍足利義政である。

銀閣寺建立で知られる義政は、大の「盆山」好き。義政遺愛の「末の松山」という盆石(ぼんせき=盆山に使用する石。単独でも鉢に置いて何かの景に見立てて鑑賞する)は、義政亡き後、織田信長の手に渡り、石山合戦の和睦(わぼく)の品として本願寺に送られ、今も西本願寺が所蔵しているという。

織田信長が政略に使ったアイテムとしては茶道具がよく知られているが、盆山(盆石)もまた、政治抗争のアイテムとして歴史の舞台に登場していたのだ。

盆栽を薪にして暖を取った武士

能や狂言などの演目にも、盆栽は登場している。なかでも観阿弥・世阿弥の作とも伝わる能の謡曲「鉢木(はちのき)」が有名。次のような話だ。

──ある冬の夜、一人の旅僧が、下野国(しもつけのくに=栃木県)の一軒のあばら家の扉を叩く。一夜の宿を求める旅僧を、あばら家の主(あるじ)は断れず、貧しさの中で精いっぱいもてなそうとする。主は所持していた松・梅・桜のみごとな三鉢の鉢木(盆栽)を薪(たきぎ)にして暖を取り、今はこのように落ちぶれているが自分は武士であり、「いざ鎌倉」という時には駆けつけて命を捨てる覚悟だと語る。翌年春、鎌倉から緊急の召集があり、その武士がその言葉通り駆けつけると、鎌倉幕府第5代執権北条時頼の御前に召された。時頼こそあの日の旅僧で、時頼は鉢木にちなむ三つの所領を武士に与えた。──

長屋暮らしで楽しんだ庶民たち

江戸時代に入ると、三百藩ともいわれる数多くの大名屋敷が江戸に構えられ、その敷地内に築かれた大名庭園を中心に盆栽が育成されるようになる。植木職人の中からは盆栽専門の職人も現れ、江戸時代後期になると、庶民の間にも盆栽や鉢植えが広がる。

狭い長屋暮らしでも季節感を楽しめる盆栽や鉢植えはまたたく間にブームとなり、浮世絵にも多く描かれ、盆栽文化が花開くのである。

京都に盆栽の美術館が

このように、歴史を紐解けば、盆栽は権力者に愛された文化であり、初期の盆栽の中心地は京都であったことがわかる。このような講義を聞くと、庶民の道楽と思っていた盆栽が高貴な輝きを放つように思えてくるから不思議だ。

そして川崎先生は、講義の最後にびっくり情報を教えてくれた。なんと京都に盆栽の美術館ができるそうだ。講義の途中、先生が紹介した「盆栽~神の匠」という映像に出演していた鈴木伸二さんという盆栽職人を迎え、京都の洛北あたりにオープン予定だという。

二条DE盆栽展の情報はコチラから

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世界的ブームの Bonsai 超基礎とホメポイント
外国人に聞かれる前に知るべき日本の盆栽スポット

 

取材講座:「日本盆栽ー小さな巨木」(京都造形芸術大学・藝術学舎瓜 生山キャンパス)
文・写真/植月ひろみ

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